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「いのちの風」通信コミュの京都・広隆寺

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          いのちの風?三四〇―その2

            五月四日(火) 発信 大圓

今回のテーマ

映画「パッション」/広隆寺


 
先週の二十九日「みどりの日」(昭和天皇誕生日)に日本的キリスト教の一つ「キリストの幕屋」の人々と京都の「広隆寺」へ行きました。 ここは古代イスラエルと関係が深いといわれる所です。  
  

屋外学習会のテキストは「キリストの幕屋」創設者、故手島郁郎氏の「太秦ウズマサの神―八幡信仰とキリスト景教について」。 手島氏は世界的景教学者、佐伯好郎博士と親交があり、古代東方キリスト教景教研究の後を継がれた。 私も以前から景教に興味があり、「幕屋」と縁ができた時、このことを知り驚きました。


古代の最大の渡来豪族秦氏の長、秦河勝が京都、太秦に広隆寺を建立したが、もともとこの地には秦氏の氏神、ダビデ神社なるものがあった。 京都上鴨神社の宮司によると「広隆寺はユダヤ神社ですよ」と。 秦氏はユダヤの血をひく景教徒らしい。 


秦氏は失われた古代イスラエル十部族の末裔。 秦の始皇帝もユダヤ人といわれる。 他国に征服され亡国の民となって世界を放浪し、中国、朝鮮を経由して古代日本に渡来した。


ここには有名な聖徳太子から秦河勝へ下賜された国宝第一号「弥勒菩薩半跏思惟像」がある。 しかしこれは宝物殿に収められ、本堂には仏像は何もない。 あるのは鏡のみ。 普通の寺にはない手を清める場所もある。 共に神社の形式だ。 驚いたことに本堂の扉には十字架のマークの入った寺の紋章が刻まれていた。


聖徳太子は秦河勝と非常に懇意な関係にあり景教徒であった可能性がある。 太子の幼名が「うまやど」の皇子という。 馬小屋で生まれたイエスを思い起こさせる。 太子の周りには「聖書」の臭いがする。 そして今回初めて聞いたこと。 「太子の母の故郷、丹後の神社にはダビデの六角の紋章が刻まれている」と。 


秦氏の創った「八幡」神社や稲荷神社は日本の神社の中でともに一番数が多く、これらでほとんどを占める。 「やはた」は「ユダヤ」に通じるといわれる。
 

日本神道を創った物部氏はユダヤ旧約聖書を奉じる古代イスラエル人の末裔であり、秦氏もまた新約聖書を奉じて多くの神社を創った渡来の民、景教徒であった。


(さあ、また大圓のほら吹きワールドが始まった、後は次回のお楽しみ。二十才台から始まった日本のルーツをたどる旅もここに極まれり)


広隆寺は昔は六万坪もあって、かってその敷地内だった東方に「木嶋神社」がある。 この神社の祭神は八百万の神の一つではなく、キリスト教のように唯一絶対神である。 そしてここの鳥居は皇室の神社にしか使われない特別の形式で、素材は白木で出来ている。 ここには「禊ぎ」をする池があり、景教徒たちはここで「洗礼」の儀式をしたのではないか、といわれる。


この由緒ある格式の高い神社もすたれ、宮司は銀行勤め。 掃除が行き届かないのか、枯葉が舞っている。 日本の心のルーツである神社がこのように荒れ果てていいのか 日本を愛する人々はイデオロギー論争ばかりでなく、この日本の貴重な遺産を後世に残す実践活動をしなくてはならないと思った。
 

掃除によって「日本を美しくする会」という運動がある。 トイレや町の清掃だけではなく、いま消えつつある日本の宝、神社や寺院を美しく子孫に残すプロジェクトXがいま必要ではないだろうか。

             (終)

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