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「いのちの風」通信コミュの?サヨクが報じない沖縄

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転載が大変遅くなりました。 申し訳ありません。


いのちの風 ?517―その2 
平成19年9月10日(月)発信 大圓(だいえん)


今回のテーマ 

日本人居留民虐殺事件/サヨクが報じない沖縄/誰も書かなかった沖縄


反日のサヨクが生み出す偏向報道


3 沖縄の惠です。

マスコミの沖縄報道は偏向しているというより一種の逆差別のように思えてなりません。 県民がもう少し聡明であれば怒るべきなのですが・・・・。

ただし、誤った史観を国民や,無垢な児童に植え付けるのは、もしかすると敵性国家の諜報工作が動いている可能性も否定できません。 要するに沖縄と日本本土を分離する策略です。

 ある高校歴史教科書に、昭和天皇が米国に沖縄を譲渡されるご発言をされたと記載されているようですが、前後関係を分析すれば決してそれは沖縄を売り渡すようなものではありませんでした。


 終戦直後、東京では沖縄出身徳田球一共産党書記長が中心になって米軍を「解放軍」と呼び、沖縄独立を主張していたのであります。 そして在京の不逞沖縄人グループは「沖縄人連盟」を結成し、朝鮮人連盟と連帯して第三国人的言動を繰り返しておりました。 この一連の行動の結果、マッカサーをして「沖縄返還の際は、日本復帰か独立か住民投票に付す」と発言させるほどでした。

 一方、沖縄復帰運動は確かに純粋なナショナリズムによって行動した県民もおりましたが、こういう不逞な輩もおりました。



 ? 復帰運動の中核を占めた沖教組は、米軍統治下では米国並みに公務員の給与が低いので復帰を望みました。 この際、国旗国歌を米軍統治への抵抗のシンボルとしてかざしておりました。 ところが、佐藤ニクソン会談で復帰が確実になるや手のひらを返し「国旗国家は軍国主義に繋がる。 沖縄戦の悲劇をくりかえすな」とこう変化し、現在に至っております。

 ? 沖縄の実業界はニクソンショックでドルが対円レートで下落するまで復帰に反対でした。 小生はっきり覚えております。 沖縄の歓楽街で、店頭に「日本人立ち入りお断り」の看板を出した県民がおりました。 沖縄の通貨がドルでかつドル高であった頃、同胞が持参する円は魅力がなかったのであります。 (沖縄の通貨は、昭和47年5月15日通貨交換によって円となりました)。



では、以下2点、くだんの偏向教科書に反論します。本来ならこのような史実を教科書に掲載すべきなのですが・・・。

  ?戦後、沖縄に米軍の駐留がなければ
昭和23年6月、石垣島の旧日本海軍飛行場に国民党の軍用機が強行着陸して米軍によって排除されました。 仮に戦後、沖縄に米軍の駐留がなければ、沖縄本島を含む南西諸島は確実に北方領土のようになっていたでありましょう。 沖縄人は好むと好まざるとにかかわらず第三国人になっておりました。

?大阪朝日新聞(昭和7年1月15日)参照
「沖縄県政につき、とくに有難き御下問、 井野知事より奉答」とあります。 これは全国地方長官(知事)が宮中の午さん会に招待され、陛下が各長官に地方の実情について御下問された時のハプニングが紹介されております。 事前に宮内大臣より各長官に対し、自己紹介のみという指示があったようでありますが、陛下は、沖縄県知事が自己紹介するや、沖縄の現状について詳しくご下問遊ばされ、参加者一同を驚かせたという内容であります。

本来なら今は亡き昭和天皇のご恩に感謝すべきものが、このような不逞の輩に改竄されて国民に伝承されるとは何と不遜極まりない事でありましょうか!

このような沖縄史の実態は、小著「誰も書かなかった沖縄」(PHP研究所刊)や、以下のホームページに掲載されております。

                     (完)

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