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68専用コミュの煩悩について

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[デイジー秘密の部屋] トピック

2007年04月24日
01:49 自然成就〜解脱への道、(新連載)
デイジーダック

4月を迎えて、新たに修験道の根本思想「自然成就のための道」を書いていきます!
一般に修験道というのは、荒行と加持祈祷の世界だと思われています。
たしかにその一面もありますが、本当はもっと深淵なる教えであり、「自然成就への道」すなわち「そのままで解脱する教え」です。

4/3日の修習
人生のなかで起こる過失や、不満、不幸といったものは、
みずからの激しい煩悩から生じる。
その煩悩を起こす原因とは、まさに統制されていない心にある。
日常生活のなかで、なにも変えることなく鋭い注意力を保ち自身の心を見よ。

4/4日の修習
自身の心に起こる欲望の対象を、欲情が沸き起こる対象を、よく観察して、
五蘊により構成されるものを審らか分析せよ。
まずは煩悩が生じる源泉ともいうべき、身体を考察することから始めよ。

4/5日の修習
すなわち自身の身体と、愛する者の身体と、憎む者の身体とを考察し、分析せよ。
血と肉は生臭く、内臓には腐敗した食物が詰まっている。
自身の身体も、愛する者の身体も、憎む者の身体も、
不浄なるカルマが集合した塊りでない部分は、
一つたりとも存在しない。
愛する身体も、憎む身体も、皆同様なるカルマより構成されている。

4/6日の修習
身体を構成している肉、骨、内臓、血、爪、髪・・。
これらの部分を観察し、考察していく。
もうそれ以上分解できないところまで、細かく分析してみよ。
心が自身の肉体に執着しようがしまいが、
愛する者に執着が起ころうが起こるまいが、
憎む者に執着しようがしまいが、
肉体はただカルマが集合したものに過ぎない。

自身のこの身体をつまびらかに観よ。
身体はカルマの集合体である。
それが証拠に、どんなに美しい肌も年老いれば乾涸び、
しわだらけになる。
身体はやがて、小さな壷に納まってしまうほどの、
骨のかけらに変わってしまう。

この洞察を深めていき、そして洞察の流れが止まったとき、
受、想、行、識についても、
その本質を細かく分析して考えてみよ。

4/7日の修習
☆今までの解説です。

自然成就とは、また「任運成就」ともいいます。
運に任せて成就するという意味です。
ここでいう成就とは本来は修験道修行を成就するという意味であり、
俗世の欲望を満足させるということではないのですが、
このコミュに参加されている方々は修験道に専念するわけではなく、
社会人ですから、世俗の願望ということにも、それにあわせて解説していきます。

私達が人生の目標や願望をかなえられないことへの欲求不満や、
人生における不運、不幸との遭遇、
またそれらに見舞われることを想像したときに不安になる原因は、
けして外的な要因にあるのではなく、自己の内面に存在します。
それは一言でいえば「心の正体」ということへの不認識と不理解に起因します。

心のゆがみから思考が統制されないので、感情が混乱します。
知覚が起こる瞬間に心を集中する訓練によって、感情が立ち上がる原因と、
そのシステムを理解すれば、感情が立ち上がってもそれに振り回されずに、
混乱は取り除かれるのです。

4/10日の修習
☆今までの解説、つづきです。

感情が立ち上がってもそれに振り回されずにいれば、混乱が取り除かれるという、「混乱」こそが「煩悩」を生み出す、かっこうの肥料となります。自己の心を混乱させないこと、心を集中させて、明晰さを保ち続けること、これが必要なのです。

物質次元での、あるいは人間社会においては様々な、その集中を妨げる「刺激」があります。その刺激に惑わされると心は混乱し、その結果として煩悩が生じます。煩悩によって、本来の心を覆い隠され、自己が「大日如来」の「覚体」であることを忘れ去っているのが人間(凡人)なのです。

そこで「人間社会における様々な刺激」に惑わされないようにするには、心の明晰さを保たなければなりません。人間の暗くどんよりと混沌している心をつくるのは、他ならぬ、人間特有の複雑な感情であるのです。ですから感情をコントロールすることが自然成就の道を歩む第一歩となります。

私は山伏固有のいろいろな修行を実践しています。しかしそれは自然成就の道を歩むうえでは、副次的な修行でしかありません。真の修行は「日々の生活」そのものなのです。様々な刺激や、誘惑がある世俗、社会のなかで心を集中させておくことこそ、自然成就のための真の修行です。

4/12日の修習
☆今までの解説、つづきです。

混沌とした心に宿るスペクトルのような、感情の交差は物事の歪んだ見方を生み出します。それによって常に心理的な苦痛を引き起こし、ときには肉体にも苦痛がおこります。
煩悩は、次のものに分けることができます。

1、無知による困惑
2、肉欲による快楽
3、怒りと恐れによる憎悪
4、高慢による自己限界と自我の増長
5、不安による欺瞞と疑惑
6、直感あるいは霊感による妄想

これらは、すべて自然成就を妨げる煩悩に他ならないのです。

*写真は左→滝のなかでの禅定 中→山頂でのリラックス
 右→自室でのユーモア

どの場面でも私は、心を明晰に保つ瞑想をしています。
とくに右の写真は髪を切る前の私ですが「瞳」に注目してください。
さて、何を見ていると思います?

4/15日の修習
☆今までの解説、つづきです。

たとえば何かに失敗し、ひどく失望したとします。
それがどのような失敗であっても、失望というものは感情です。
そこからまた何かを強く望むような期待感が生まれます。

「何かを失敗した」という認識、これが無知による病、すなわち煩悩です。
「失望」は、怒りと恐れによる病、すなわち煩悩です。
「期待感」は、高慢による病、すなわち煩悩です。
今、ここに実在していないものへ期待する感情は、
けっきょく何もないところに到達します。
「今」いう実在に対する不満は混乱を引き起こす、
おおきな原因です。

さて、では一番右の写真で私が見ているもの・・。
それは「鏡」です。
と言っても、そこには鏡は置いてありません。
心のなかの鏡です。

4/17日の修習
☆今までの解説、つづきです。

修験の修行よって得る最終的な境地は「即身即身」といいますが、
それは「ありのままの状態」に於いて解脱することです。
その為には、ありのままの自分に、
ありのままの自分に於ける不満があってはなりません。

また、ありのままの自分に「世俗諦に於いての煩悩」があってはなりません。
世俗諦、勝義諦ということは、あとで説明しますが、現時点に於ける自分にたいする不満は煩悩を引き起こします。
嫉妬、憎悪、高慢といった感情が絡み合い、煩悩が生まれます。
自分がこの感情に支配されているときは、その感情が何処からやってきて、どこに去っていくのかを理解することは容易なことではありません。

煩悩は、自分が本来もっている「心の静寂と明晰」を破る感情の働きなのです。
感情をもたない人間はいないので、煩悩は誰にも存在しています。
あなたがもっているすべての煩悩は、次元の低い意識であり、一度その意識によって心が支配されてしまうと、現世から、また煩悩に覆われた来世へと輪廻していきます。

また現世に於いての出来事も、煩悩という次元の低い意識に支配されていれば、常に不満のある生活から抜け出ることはなく、延々として欲求を追いかける人生が続きます。
願望を「自然成就」するためには、まず「世俗諦に於いての煩悩」を超越するためのトレーニングが必要です。

4/18日の修習
☆今までの解説、つづきです。

人生に於けるすべての事象が円滑になり、無理なく願望を叶え、厳しい修行によるのではなく自然に解脱していくのが自然成就の教えです。

人生を楽に、幸福に満たされて生き、死ぬときは苦しみがなく、死んでも悪い境涯に転生しない。これを実現できる教えが自然成就です。

自然成就を成し遂げるには「世俗諦に於いての煩悩」を超越することが大切です。ここで何故「煩悩を捨てる」という、一般的な表現を使わず、超越と言っているのかといいますと、煩悩は捨てることが不可能だからなのです。

それで先ず「勝義諦」と「世俗諦」について話しましょう。
皆さんがわかりやすいように、ごく簡単に言いますと勝義諦とは「一切皆空」という無上の真理です、世俗諦は「それでも私はここにある」という現実に於ける真理です。また勝義諦、世俗諦の他に中諦という真理もあります。「空もまた空なり」で、勝義諦にも、世俗諦にも囚われず、いづれがそのときの真理かを、見極める真理です。煩悩はその世俗諦に於いて存在するのですが、煩悩を超越していくには、先ず煩悩をよく吟味しなければなりません。

「自分の煩悩、すなわち感情の動きを、注意深く、慎重に観察し、それが何処から来て、何処に去っていくのか」

初期の修習においては、必ずこうした心のトレーニングが必要です。
心が、いったん感情に支配されてしまうと、この心のトレーニングは難しくなりますから、日常生活のなかで穏やかな時間がとれるときにこそ、やっておかなければなりません。

忙しい日常のなかで、とても貴重な穏やかなその時間を、欲望を増長させるような遊戯、争いの気持ちを高揚させるスポーツ、人の噂に終始するテレビニュース、妄想をかきたてる映画やビデオ、性的興奮をもたらす雑誌、などなど、どうでもよいことに使ってしまわないようにしなければなりません。

現象に対する誤解は煩悩を生み出す基盤です。
宇宙の本質について限られた見方は、現にあるものと、理想という矛盾を生み出します。現実と理想とのあいだに挟まれている限り、宇宙とあなたとは調和しないのです。

4/21日の修習
☆今までの解説、つづきです。

忙しい日常のなかで、とても貴重で穏やかな時間を、どうでもよいことに費やしてはならないというその理由は、そうした習慣によって、あなたが気づかぬうちに心に先入観が植えつけられてしまうからです。

物事の見方への先入観は自然成就を妨げます。
先入観によって現実が歪んで見え、せっかくのチャンスを活かそうとしても失敗を生み出します。
先入観はさまざまな習慣的反応によって、実体のない心の幻影を作り上げています。

先入観によらず、現実をありのままに見るトレーニングはとても大切です。
何が現実で、何が現実でないかを理解することなしに、いくら願望達成を望んでも、空想的な起こりそうもないことを夢見て希望的観測を繰返すだけでは、常に失敗と混乱に遭遇するだけです。

修行においても、霊能や神秘体験といった妄念の世界に落ち込み、それらを追い続けているうちに、覚醒のチャンスを無駄にし、ついには煩悩によって支配された生から生へと輪廻を繰返して、けして安楽な世界に入ることができないのです。

世俗の人であればなおさらに、現実ではなく、心によって作りあげられた妄想のスクリーンに、どこまでも偏執しながら、つねに傷つき、つねに絶望し、もがき苦しみ続ける人生になってしまいます。

先入観によって起こる感情の反応はパターンとなっています。
ここでひとつの喩えをしてみましょう。目の前に蛇が現れたとします。
ある人は「わぁ〜〜気持ち悪い」と憎悪の感情が起こります。
またある人は「あら金運がやってきたわ」と歓喜の感情が起こります。
しかし、蛇は「ただ現れた」のに過ぎないのであり、両人を怒らせようとも、喜ばせようともしていないのです。
人生に於いて先入観による反応がどんな結果を引き起こすかは、この両人が起こすであろうその後の行動を考えれば理解できるでしょう。

4/24日の修習
☆今までの解説、つづきです。

あなたは生まれてから、いままでに両親や学校や、会社のなかでさまざまな教育を受け、テレビや新聞や雑誌から情報を得て、また自分の体験を重ねていくうちに、物の見方に対して一定のパターンが出来上がっています。また両親から受け継いだDNAも、自身の前世で薫重されたものも、そうしたパターンを形づくる要因となっています。

あなたは無意識のうちに、先入観による習慣的反応をしてしまうです。反応のパターンは、あなたが深く意識して壊そうとしない限り、なかなか壊すことができません。先入観や偏見があることに気づいていても、瞑想のトレーニングを続け、明晰な意識が輝き出すまでは、心の中にぼんやりと不可解な、不条理さを感じているだけなのです。

習慣づけされた意識に覆われている心から離れ、まったく違う側面から世間を見て、それを考察することは、あなたの人生を縛りつけている重い足かせから、心を自由に飛び立たせます。

因果やカルマの法則への理解を深めることで、あなたの心の霧は晴れ、道に明かりが灯ります。自然成就するためには、あなたの進む道に明かりが灯っていなければなりません。どうして真っ暗な夜道で、願望成就という目的地へ辿りつくことができましょう。これから話す瞑想法は、たんにイメージを創ったり、イメージのなかで遊戯するものではありません。あなたの習慣的反応を変えていくために大切な思考の分析なのです。

あなたは、「自己保存」という本能を宿す肉体が、どんなものであるか、徹底して分析してみることが重要なのです。肉体に対しての分析的考察は、あなたが最も愛着をもっている対象から始めるのがいいでしょう。あなたが男性で結婚しているなら妻を、あなたが女性で結婚しているなら夫を、未婚なら男女ともに恋人を、妻に、夫に愛想をつかしているなら、恋人がいないなら、憧れの人でいいでしょう。

とにかく男なら女を、女なら男を瞑想の対象とします。





書き込み

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2007年04月18日
19:39
35: 斬月
自分の中に 鏡があるんですか
なるほど・・・
かがみ⇒が(我)を取るとかみ 
神になれると解釈されていいのですかね〜

2007年04月18日
21:06
36: きき。
>鏡に映った影像は実在ではないですから・・。
なるほど。。。勉強になります
鏡を曇らせないよう頑張ります

2007年04月19日
08:52
37: たまっちょ
>現実と理想とのあいだに挟まれている限り、宇宙とあなたとは調和しないのです。

まさに今、この言葉が効きました・・・
ありがとうございました。

2007年04月19日
14:35
38: 森のスピリ
素晴らしいとても貴重な内容をありがとうございます。
とても嬉しくて涙が流れます。
デイジーさんが今までの人生において体で心で学んできている事を
努力もしないで教えていただいて本当に感謝です。
これからも続きを楽しみにしています。

デイジーさんはすごくキャシャでキュートなんですね。
これだけの修行をしていく人生をなぜ今世も男ではなく女として
生まれて来たのでしょうか?
考えてしまいました。

いつ何時も修行であり、心の鏡を見つめて明晰でありたいです。
いつもありがとうございます。

2007年04月21日
14:17
39: デイジーダック
4月21日の修習を書きました。
今までの解説の続きです。

2007年04月21日
16:19
40: HITOMI キャンベル
心の内を観察する・・・その感情が、どこから沸き起こるかトレーニングする。感情が感情に支配されるぬよう・・・知識ではなく感覚で身につくことが大事だと。今回もう一つの気づきがありました。 やはり生きるって素晴らしいということです。その感動を伝えるのが私の使命だと活動してきていたのに笑 血迷いました。いろいろ気づきを与えてくださり、ありがとうです。

いつも私は私でありたいものです。連載続けてください。

2007年04月21日
19:50
41: サマディ
[真の修行は「日々の生活」そのものなのです。様々な刺激や、誘惑がある世俗、社会のなかで心を集中させておくことこそ、自然成就のための真の修行です。 ]

には 特に 励まされました。
毎日 毎日 仕事で 遭遇したくない状況に 出会って、
イライラし
ぷっつんし
へこみ
疲れ
うんざりし

そしてそんな 自分に嫌気が差す繰り返しな 中
上のお言葉は 力強い励みになります。

通達菩提心真言に通じるモノを感じました。
ありがとうございます。

2007年04月22日
09:51
42: つるじいm(_ _)m
「現実をありのままに見るトレーニング」も
独断と偏見で 自分勝手にやってるので 間違った方向に進んでないか? 少し心配。

2007年04月22日
10:19
43: ☆★☆PHI☆★☆
だれにでも、どこでも出来ることは、「うぬぼれ」と「偏見」をなくすことです。次に、人に信用される人間なる事。思いやりのもてる人間になる事。これが教訓ではないでしょうか?

2007年04月24日
01:51
44: デイジーダック
4月24日の修習を書きました。
今までの解説の続きです。

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