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長野県コミュの県歌 【 信濃の国 】

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日本の各都道府県には、それぞれ制定した県花・県木・県鳥・県獣がある。
長野県だと、
県花:リンドウ
県木:白樺
県鳥:雷鳥
県獣:ニホンカモシカ
と、制定されている。
そして長野県には県の歌として、「信濃の国」がある。


6番まであるその歌詞には、それぞれにテーマが割り振られていて、

1 長野県の地理に関する概要
2 山河
3 産業
4 旧跡・名勝
5 長野県出身の著名人
6 碓氷峠の信越線アプト式鉄道と、全体の締めくくり

といった内容になっている。


この長大で壮大な歌はおよそ長野県出身者ならば、
大概の人は忘れかけていても歌えばすぐに思い出す事ができるだろう。
何故なら県民ほぼ全員は子供の頃に丸暗記をするからである。

長野県の全ての小学校では児童たちに、この「信濃の国」全唱を丸暗記させる。
そして音楽会や運動会などの行事では、演奏隊を選抜して、全校生徒で6番まで斉唱する。
最近はここまでしていない学校も少なくない様だが、
私の世代では、これがどの学校でも当たり前だったそうだ。


「信濃の国」の誕生のいきさつは、明治維新後の廃藩置県にまで遡るらしい。
南北に細長い長野県は当時、長野市に県庁を置く「長野県」と、
松本市に県庁を置く「筑摩県」に分かれていたが、
その5年後に筑摩県は長野県に編入されるかたちで、今の長野県の形になったらしい。

しかし元々山々と川に隔たれ、それぞれの地域との交流が薄かったせいもあって、
なかなか県全体の一体感がよくならなかった。
そこで信州の地理や名勝、歴史上の人物などを万遍なく織り込み、
県内の地理教育の教材として、また県民が一体となる意識を喚起する目的で作られたのが、
この県歌「信濃の国」という事らしい。



「信濃の国」にまつわる、こんな逸話がある。

昭和23年春の第74回定例県議会で、長野県を南北に分割しようとする分県意見書案が
中信・南信地方(合併前の筑摩県域)出身議員らから提出され、
分割に反対する北信出身議員の病欠などもあって可決されそうになった。

この際に、分割に反対する北信地方と東信地方(合併前の長野県域)の住民が占拠する
議場の傍聴席から、突如として「信濃の国」の大合唱が沸き起こり、
県の分割を求める県会議員たちの意思を潰して、分割を撤回させたと言われている。

長野県民にとっての「信濃の国」とは、まさに愛国心ならぬ愛県心の象徴なのだ。

ともすれば社会主義的な洗脳教育とも受け止められかねないが、そうでは無い。
例えるならば、アメリカ国民が誇りをもって自らの意思で星条旗(国歌)を歌うかの様に、
信州人もまた「信濃の国」に特別な思い入れを持って歌う。


読売テレビ制作の番組「秘密のケンミンSHOW」にて、東京で「信濃の国」を道端で歌えば、
同じ長野県人は釣られて歌いだす。という説明があったが、大げさではない。
実際、居酒屋などで「信濃の国」の大合唱になる事もある。
母校の応援歌などが意図せず大合唱になるのと同じ理由だと思う。

全国でこれほどの県歌というものは、恐らく他には存在しない唯一の存在だろう。
全国どこに移り住もうとも、信州人の誇りと心の拠りどころのひとつが、この「信濃の国」なのだ。




一.
信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
聳(そび)ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃(ひよく)の地
海こそなけれ物さわに 万(よろ)ず足らわぬ事ぞなき

二.
四方(よも)に聳ゆる山々は 御嶽乗鞍駒ヶ岳(おんたけのりくらこまがたけ)
浅間は殊(こと)に活火山 いずれも国の鎮めなり
流れ淀まずゆく水は 北に犀川(さいがわ)千曲川(ちくまがわ)
南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり

三.
木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖(うみ)には魚(うお)多し
民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて 蚕飼い(こがい)の業の打ちひらけ
細きよすがも軽(かろ)からぬ 国の命を繋ぐなり

四.
尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床
木曽の棧(かけはし)かけし世も 心してゆけ久米路橋(くめじばし)
くる人多き筑摩(つかま)の湯 月の名にたつ姨捨山(おばすてやま)
しるき名所と風雅士(みやびお)が 詩歌に詠てぞ伝えたる

五.
旭将軍義仲(よしなか)も 仁科の五郎信盛(のぶもり)も
春台太宰(しゅんだいだざい)先生も 象山(ぞうざん)佐久間先生も
皆此国の人にして 文武の誉(ほまれ)たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽(つき)ず

六.
吾妻はやとし日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山(うすいやま)
穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道
みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
古来山河の秀(ひい)でたる 国は偉人のある習い






さて、歌詞をフルコーラスで憶えていないとしても、皆はちゃんと歌えるだろうか?

コメント(24)

平成元年生まれの南信育ちですが、残念ながら2番までしか歌ったことがありません冷や汗
4番だけ曲調が変わるというのは知ってます。

6番まである意味がよく分かりました!ありがとうございますわーい(嬉しい顔)
私の時代は、ただ単に丸暗記するという感じでしたが、
ウチの甥っ子(小4)によりますと、学校の社会科の授業でひとつひとつきちんと意味を教えていまして、
私が出した歌詞の質問に全て答えられていたのは驚きです!
驚いたのは上に書いた昭和23年の分裂危機に関しても学校で習っていた事。

今の小学校の方がよほど本腰入れて県の歴史を教えている様です。


でもこの話、オチがありまして・・・
長野市在住なんですが、「長野市歌?知らない!」と言われましたw

長野市ももっと頑張ってクレよ・・・orz
母が南信出身で小さいころに覚えさせられましたわーい(嬉しい顔)
関東にいても心は信州にあるんだなって思います。
小学校で習い、行事のたびに歌ったので、完全にインプットされています。長野県を離れてだいぶ経ちますが、おそらく我がソウルミュージックです。歌詞と4番のメロが怪しいですが・・・。

ユーロヴァーション?
場所は県文(ホクトホール)の正面玄関前。



頭文字Dヴァーション
もう意味不明www


下伊那には「下伊那の歌」もあります。
学校で習った記憶は無いですが、全部歌えます。
長野冬季五輪の閉会式に流れたときは、あっけにとられましたが、胸が熱くなりました。
まだ新幹線が無かった頃に帰省する際、特急あさまの車内アナウンスの冒頭に「信濃の国」が流れると、
「あぁ長野に戻ってきたんだなぁ」としみじみ思ったものでした。
> リヒャルトさん
デフォルメが強い長野の車(東日本)と原曲に近いアレンジの金沢の車(西日本)とでアレンジが違ってまして、

白山号と一部のあさま号では原曲に近いアレンジの西日本版

大部分のあさま号と臨時を除くあずさ号は東日本版のチャイムが使われてましたほっとした顔
>15 ポンタ@KK01(紅羽)さん

ぬ、情報ありがとうございます。
実際白山を利用した記憶は殆ど残っておりません。
どこかのサイトにそれぞれの音源などありませんでしょうか?
ぜひ聞き比べてみたいものですねぇ。
諏訪地方のアラサーですが、丸暗記した覚えはないですね。たぶん2番くらいまで。
ただ、おぼろげですが、歌詞の意味は教わったような気がします。運動会の全校ダンスでは信濃の国だった気もします。
逸話はためになりました。
でもやはり、地方や年代によって信濃の国に対する思いや記憶はまちまちかと。
長野県南部に来て十数年になりますが、「信濃の国」という歌がある事は聞いた事がありましたが、歌詞や由来など初めて読ませていただきました。

夫も他県の出身で、県内に親類などなく、子供もいないので学校とのつながりもないので耳にする機会もないのが現状です。
大いなる日本の屋根の

要なる理想の県都

呼び合いて人は集まり

轟きて産業伸び行く

長野,長野,大長野市よ

躍進の歌声起こる


Aメロとサビしか歌詞は憶えていませんでした。Bメロはきれいさっぱり忘れてた・・・orz
しかし長野市以外、特に旧筑摩県の中信・南信から非難轟々な歌詞だなぁ。

「県都」という言葉にまず反感を買いそうだし、そもそも日本の屋根の所在は中信と南信にそれぞれある。
「産業伸び行く」は商業の中心は松本市周辺、工業の中心は上田・塩尻・岡谷が定説で、
長野市の産業は躍進どころか衰退の一途をたどっている。

自分が住んでいる市の歌ですが、これはちょっと恥かしいかも・・・。
> カズヤさん

上伊那の歌もありますか?

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