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オモロイ坊主を囲む会.コミュの『北朝鮮托鉢行』(17)

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第三章 『北朝鮮 やじ馬見聞記』(その五)

板門店 (休戦ライン)
 
北朝鮮三日目の十一月十八日、朝早くにホテルを出発し、一路板門店へと向かう。
平壌から板門店へ向かう道路はおそらく軍事道路なのだろう、まっすぐに南へと延びており、道幅も小型機であれば余裕で滑走路として利用できるくらい広い。通訳が「今は休戦しているだけ。わが国はあくまで戦争中なんです」と俺に語った言葉が思い起こされる。

 板門店へ向かう二時間半ほどの間に車窓から見える景色は、ほとんどが枯れた「はげ山」である。ところどころ畑で農作業をしている姿も見受けられるのだが、農機具のようなものは一切使わず、すべて手作業あるいは牛を使って農業を営んでいるようだ。
 
板門店へ到着すると通訳から、ここでは中国人の団体といっしょに行動するという説明を受けた。実はこの旅で、他の外国人観光客と五メートル以内に接触するのはこれが始めてだった。そして結果的に最後となったことから考えると、外国人同士が必要以上に接しないよう、時間調整されているらしい。(これは外国人同士の場合だけに限られた事ではなく、何処へ行っても北朝鮮人の団体とも接触しないように、急かされたり、待たされたりと時間調整させられた)

ここではさすがにチマチョゴリの女性ガイドは現れず、胸に階級証をつけた将校らしき軍人がいろいろと説明し、それを通訳がそれぞれ日本語と中国語に訳すというスタイルがとられた。
 それにしても中国人のマイペースさには、ほとほと呆れてしまう。まあ、中国人同士が集まると回りの人の迷惑も考えず大声で話し騒々しいのは、ある意味当たり前のことなのだが、場所が場所だけにいい加減、頭にくる。その上、若い恋人同士らしきカップルが、真剣な顔つきで如何にも一生懸命説明する案内役の将校の話ももろくに聞かず、イチャイチャ、イチャイチャしているのには思わず『お前ら馬鹿か!お前らの国には常識も恥じって言葉もないのか。そんなにイチャイチャしたかったら、こんな所まで来ずにお国のモーテルでも旅社でも行きやがれ』と日本語で怒鳴りつけてやった。

 俺は、出家前に韓国側からは板門店に行ったことがある。
このときは先ほど『馬鹿やロー!』と思わず怒鳴りつけてやった若い中国人カップルではないが、まったくの物見遊山気分もよいところで、前夜のキーセンパーティーで飲みすぎ二日酔いで足元はふらつくし、頭は痛いし胸はムカムカという最悪の狂態で、今から振り返れば恥さらしもよいとこ、韓国人のガイドや同じミニバスに乗り合わせた他の日本人グループの奴らからは、いかにも軽蔑したような顔で白い目で睨まれ、正直もところ殆ど何も記憶に残っていないのだ。

ブッダと出会い、その教えを学ぶブッタの弟子としての俺が、北側から板門店を訪れて休戦ラインと呼ばれる38度線を跨いだ感想は『情けない!悲しい!』としか言いようがなかった。
朝鮮戦争とはそもそも何だったのだ!何故、長い年月を共に生き同じ歴史を共有する、同じ民族が南と北に別れ血を流しあい、憎みあい、血の繋がった親族・親子が北と南に別れ、離れ離れに暮さなければならないのだろう。

俺が朝鮮戦争について知っているのは、日本があの前の敗戦で何もかもなくし国民は食うものにも不自由し、育ち盛り食い盛りだった俺たちは何時も腹を空かせ、米軍からの配給の脱脂ミルクと、中から折れた釘や針金が出てくるようなパンの給食で、かろうじて飢えを凌いでいた時に突発したお隣での戦争、戦地に一番近いという理由で、米軍からの軍需物資の発注でにわかに降って沸いた好景気、戦後の日本の復興はこの戦争のお陰だった、さらに言えば、今日の世界に誇る経済大国日本の基はこの戦争のお陰だ、と言うことくらいだ。

休戦ライン上に建てられたプレハブのような建物の中央に並べられた、南北の代表が向かい合って座るようにイスの配置された、会議用デスクの中央にまで引かれた休戦ラインを示すテープ、窓の外を見ると臨戦態勢の重装備を身に付けた兵士が、休戦ラインに沿って緊張した顔で監視している。
本来なら緊迫した場なのだろうが、何故か俺にはその緊張感が伝わって来ない。
周りを見渡すと俺だけではなく、中国人グループの面々の顔も丸きりの観光ムードのくつろいだ表情、どこかの映画セットの見物に来たような顔だ。
過っては彼らの国の中国共産党軍兵士も、ここでアメリカ軍を中心とする国連軍の兵士と戦い赤い血を流しあっただろうに、なのにどの顔も旅行者独特の何かに解放されたような屈託のない顔で、仲間の向けるカメラにこれ以上は出来ないというような笑顔で、大きな笑い声を上げながら収まっている。
その休戦ラインを挟んで緊張した顔で立っている兵士と、観光ムードに浸りきって楽しそうにふざけあっている中国人グループの格差に、俺はなんとも言い難い不思議な気持ちになり、にわかにむらむらと悪戯心が沸きあがり、建物の外へ出て休戦ラインすれすれまで歩いて近寄り『一丁試してみるか?』と心の中で呟き、さも頭がふらつき足元がもつれた、と言う感じで右足を休戦ラインの南側に出してみた。と、ここはやはり南北の緊張の極点である侵入不可ラインなのだ、それまで置物の兵隊ように銃を空に構え無表情で立っていた兵士が、にわかに緊張した怖い顔で銃を俺に向け取り囲んだのだ。
俺はとっさに『ゴメン!ゴメン!チョット頭がふらつき足元が乱れてしまった』と照れ笑いしながら、通じないのを承知で日本語で弁解すると、少し離れて立っていた通訳が顔色を変えて駆け寄り、兵士にペコペコ頭を下げながらなにやら朝鮮語で必死に弁解し、俺の方を振り返り『困りますよ!早くここから離れてください』と言って、俺の手首を引っ張って休戦ラインから遠ざけたのだ。
やっぱりここは戦場なのだ、今は一時的にこのラインを境にして南北が休戦しているだけで、決して戦争が終わった訳ではないのだ、戦いを休んでいるだけなのだ、平和なわけではないのだ。
俺が何時も歩いて渡っているタイ・ラオス国境や、タイ・ミャンマー国境、インド・ネパール国境とは、全然そのラインの持つ意味・性質が違うのだ。
このラインでは明日にでも、いや今日にでも、否この瞬間にでも弾が飛び交い、双方の赤い血が流れてもなんの不思議も不合理もないのだ、と、今更のようにそのラインの持つ意味を実感し心が震えるのを感じた。


『欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生じる。欲情を離れたならば、憂いは存在しない。
  どうして恐れることがあろうか?
 快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽を離れたならば、憂いが存在しない。どうして恐れることがあろか?』      ウダーナヴァルガ 第二章 2・3

『ものごとは心にもとづき、心を主として、心によってつくりだされる。
もし汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。・・・
車を引く牛の足跡に車輪がついていくように。』

『ものごとは心にもとづき、心を主として、心によってつくりだされる。
  もし清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。・・・
         影がそのからだから離れないように。』
 
            ダンマパダ 第一章 1・2

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