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オモロイ坊主を囲む会.コミュの『北朝鮮托鉢行』(11)

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第二章 北朝鮮の仏教事情(その八)

月精寺  

 北朝鮮六日目、紅葉の見られる九月が最も美しいことから、その名前がついたという九月山に行った。
朝鮮五大名山の一つとされるだけあり、展望台から見る景色はまさしく水墨画の世界そのもので本当に綺麗だった。その中腹にある月精寺も、近くを流れる小川のせせらぎが聞こえてなかなか情緒があり、規模は小さいが朝鮮に伝わる仏教様式を垣間見ることのできるお寺だった。
俺のようないい加減な男でも、この寺に五、六年もいれば悟りが開けるのではないだろうかと思うくらい、環境は素晴らしかった。正に仙人が出てきても何の不思議でもない雰囲気の寺だった。
 
この寺には中国へ仏教修行に行ったことがあるという四十二歳の住職がいた。

『お坊さんが着ているのは、日本の衣ですか?』
『タイ、ミャンマー、インドなどで、テーラヴァーダ佛教の比丘が着ている衣です。色は国によって少し違いますが』
『数珠はもっていないのですか?』
『テーラヴァーダ佛教では一般的には数珠も木魚も使いませんので、タイでも使いませんが、ミャンマーのお寺では瞑想に数珠を使っているところもあります』

 北朝鮮の僧侶は、チマチョゴリに似た薄いグレーの上衣に、作務衣のような長ズボンを履き、赤い布を肩から斜めに掛け、首から数珠をぶら下げている。数珠と聞くと日本人は手で持つ腕輪のような、葬式に参列する時の必需品を思い浮かべるだろうが、それとは異なる長いネックレスのようなものだ。
ミャンマーでは瞑想の道具として、これと同じような数珠(珠が108個)が使われているが(座って目を閉じ膝の上に数珠を両手で軽く握り、数珠の珠を一個づつ数え心を集中させる)、日本のように読経の道具ではない、テーラヴァーダ佛教では日本のように読経に木魚も太鼓も鉦も何も道具は使わない。ブッタの教えを語るのにお囃子はいらないでしょう。

また比丘が着用する袈裟と言うのは、身を飾るためでも楽しむためでもなく、ただ寒さ暑さを防ぎ、虻・蚊・風・太陽の炎熱・蛇の害を防ぎ、陰部を隠すために受容するもので、本来はゴミ捨て場に捨てられた布や、墓場の死体に巻いてある布を拾い集め、どこでも手に入る草木で煮詰め染め、縫い合わせたもので、それで現在でもはぎれ布を縫い合わせたような縫い目が付いている。
北朝鮮の僧侶が着ていたものは、色は違ったが日本の僧侶が着ける簡用衣(略式衣)と同じだった。
北朝鮮の僧侶から俺に質問があったのは、なんとこれが初めてのことだった。タイの僧侶が北朝鮮に行ったのは、間違いなく俺が始めてだろうに、今まで出会ったどの僧侶からも、何も聞かれなかったのだ。
 今までよりも少しは会話が弾むかも…という期待は、次の瞬間に打ち砕かれた。また「金日成将軍・金正日総書記長様」である。

『金正日総書記様がこのお寺に来られ、古い歴史のあるお寺だから大事に守っていってくださいとおっしゃって、この金時計をくださったんです』
 こりゃ、どうしようもないアホや。他人からいただいたものを自慢する坊主がどこにおる?
この話をあるミャンマー人に話したら『誰だって人から高価なものを貰えば嬉しいですよ。ミャンマーの坊さんだっていろんな物を喜んで貰っていますよ』と言ったが、違うのだ俺の言いたいことはそんな事ではないのだ、俺だって人様にいろんな物を貰って生きている乞食の身だ。タイの偉い坊さんだって王様や信者さんからいろんな物を貰っている。だけど誰も『俺はこんな人から、こんな高価なものを貰った』などと言わないし自慢などしない。ましてや権力者に媚を売ったりは絶対しない。それが道を求めて家を出て乞食の身になった修行者の姿だ、と俺は思うのだが。それよりこれよりも出家者は『身にアクセサリー(金・銀)を付けない』と戒律で定められていて、その中には腕時計も含まれているのだ。

俺はすっかり話をする気をなくしてしまったが、ひとつだけ気になっていたことを確かめてみた。
『家族は?』
『妻と子供二人、それと私の母の五人家族です』
やはり、妻帯主義か。しかし、朝鮮半島の仏教における妻帯主義は日本がもたらしたものだ。
日本の僧侶を含め出家者の妻帯について、俺がとやかく言う立場ではないので控えさせてもらうが、俺個人としては『釈迦尊の佛教では妻帯はおろか女性に触れる事さえ禁じられている』だから彼らが『自分が帰依し修行しているのは釈迦尊の佛教でなく、例えば親鸞さんの教え、親鸞教だ』と言えば俺も納得できるのだが。ブッタと言う呼称は一人称ではなく、真理に目覚めた人の事を言うのだから、ブッタが何人居られても不合理ではないし、浄土真宗の親鸞さんも、真言宗の弘法さんも、天台宗の最澄さんも、曹洞宗の道元さんも、日蓮宗の日蓮さんも、日本宗派の祖師さんはどの方もブッタと呼ぶに相応しい人々だ、と俺は思っているが。 

あとで久保田に聞いたことだが、この住職の母親は七十歳くらいのおばあさんで、日本語が少し話せるとのことだった。『私は日本語がわかりません。全部忘れました』と日本語で話し、久保田の話すことも概ね理解していたらしい。
日本語使用の強制、そして日本仏教の強要。日本統治時代の爪あとを見た俺は、少し複雑な気持ちだった。

月精寺では、ハンガリー大使館の女性と遭遇し、久保田の通訳で少し話をすることができた。彼女は仏教徒ではないが、仏教が好きだとのことで、俺のお経にも熱心に耳を傾け、真剣に本堂に奉ってある釈迦尊の像を拝んでおられた。俺はハンガリーと言う国が何処に在って、どんな政治体制で、国民はどんな宗教を奉じている国かはよく知らないが、北朝鮮と日本は実際には日本海を挟んだだけで、世界の中で一番近いお隣同士の国で、同じ文化を共有している仲なのに、我々日本人が訪れるのがこんなにも困難で遠い国の、それもこんなに山深い人里は慣れた寺で(実際この寺へ行くために、曲がりくねった山道を車で三時間ほど登って行ったのだが、行きも帰りも途中で出会う車は一台も無く、私たちの車とこの女性の乗った車が追い越し追い越されするだけで、紅葉の名所とされ道中に見晴らし台なども造られていたが、季節外れのためか地元の人の姿も全然見かけなかった)目の青い金髪の女性の口から『私はキリスト教徒ですが佛教が好きです。ブッタの哲学に大きな関心を持ち、国でも佛教に関する本を読み漁り勉強しています』と聞くとは夢にも想像していなかったので『ブッタの教えはアジアの人の心にだけではなく、世界中の人たちの心にも伝わり信奉されているのだ』と感激し嬉しくなり、ブッタが与えてくださったこのご縁を『これこそ仏縁だ』と心の底から喜びの声を発し、これも久保田が通訳してくれたお陰だ『久保田大明神様々だ』と感謝したのだった。(通訳は英語は出来ないとのことだった)

この寺は深い山の中に在ると言う事で、ホテルで昼食の弁当を用意してくれたのを持って行って、この寺の縁側に座り頂いたのだが、寺の裏山の谷川からトユで導いた水で、僧侶の奥さんが、キムチを漬けるための白菜を洗っておられたので『おいしそうですね』と言うと、食事をしているとき僧侶の息子(中学3年生くらい)が『食べてください』と言って持って来てくれたので、水洗いしただけの生の白菜に弁当に付いていた唐辛子の効いた調味料をつけて食べたら、その美味しかった事、美味しかった事、朝鮮滞在の10日間に食べたものの中で最高の味だった。

『この世における人々の命は、定まった相(すがた)がなく、どれだけ生きられるか解らない。いたましく、短くて、苦悩を伴っている。
 生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては死ぬ。実に生あるものどもの定めはこのとおりである。
熟した果実は早く落ちる、それと同じく生まれた人々は死なねばならぬ。かれらにはつねに死の恐れがある。若い人も壮年の人も愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。
すべての者は必ず死に至る。

見よ。見まもっている親族がとどめなく悲嘆に暮れているのに、人は屠所に引かれる牛のように一人ずつ連れ去られる。
このように世間の人々は死と老いとによって害われる。それ故に賢者は世のなりゆきを知って悲しまない。

泣き悲しんでは心の安らぎは得られない。ただかれにますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。
みずから自己を害いながら、身は痩せて醜くなる。そうしたからとて死んだ人はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。

たとえ人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々から離れて、この世の生命を捨てるに至る』
 
 スッタニパータ 第三章八 574・575・576・580・581・584・585・589

コメント(2)

かしょうさん

仰るとおりです。
タイで住む事を認めてくれた(と言うよりは反対する余地を与えなかった、ごり押しだったと言うのが本当のところですが)お陰でブッタの教えに触れ魅せられ惹かれ、出家できたのですから。

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