ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

現場の外国為替!コミュの円高はいつ反転するのか?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
円高はいつ反転するのか?いつ円高は終了するのか?

そんなことをよく聞かれるし、新聞等でもしばしば騒がれている。



この問いへの答えは簡単だが、奥深い問題でもある。

まず前提条件を2つに分けて考える必要がある。



?一つは現在の構造に大きな変化がないままで、円高が反転し円安に向かうケース。

?もう一つは大きな構造変化が伴って円安になるケースである。こちらは、具体的には昨今話題の日本の経常収支の赤字化等を意味している。日本の貯蓄率の低下、そして貿易収支の赤字化に伴い、日本の経常収支は所得収支の黒字が貿易収支の赤字を埋めきれなくなり、2018年近辺には赤字化するかもしれないと予想されている。エコノミストによっては、最近のエネルギー価格の上昇を考慮すると、2015年には赤字化するとの見方もある。

これは重要な構造変化、資本フローの変化を意味する。日本が先進国中でも最悪の財政状況にもあるにも拘わらず、先進国中で最も金利が低いのは、日本の国内で国債が消費されているからだという説明がよくされる。日本国債の外国人保有比率は1割にも満たない。(尤も近年では急速にこの比率が上昇しており、昨年は5%から8%程度まで上昇している) これがギリシャのように(米国もそうだが)、国内の富では賄いきれず、海外投資家に依存することになれば、より高い金利が要求され、それはますます借金が膨らむこと、そしてインフレ圧力を伴い、円安になる可能性があることを意味している。この構図には、いろいろ異論もあるが、今回は言及しない。今回説明したいのは、?だからだ。

ここでは、とにかく?のようなケースもあるが、そういうことがない状況での円高反転を検討するということを念頭に置いて欲しい。



さて、?のケースで円高が終了する場合はどんなケースだろう。そして、それはいつだろうか?

これは実は難しくない。既に経験済みだからだ。

2003年から2004年前半の重要な展開とその後の為替レートの推移を振返ってみよう。

2003年、2004年とはどんな年であったか?外国為替市場の参加者ならこう答えるはずだ。

「異常な介入の時期であった!」

その通りである。日本政府は2003年に20兆円強、2004年は1月から3月までの3ヶ月間で15兆円の介入を実施した。1年3ヶ月間で35兆円の介入である。特に印象深いのは2004年の年明けの相場である。正月明けのこの年は1月5日にスタートしたが、なんと政府は5日、6日、7日、8日、そして9日と5営業日連続の介入を正月早々から実施したのである。すごい幕開けだ。



ちなみに、2004年年明けのドル円相場は105円40銭近辺、ユーロは1ユーロ=1.2715ドル、日経平均は1万825円、NYダウは1万545ドル、原油33ドル/バレル、金価格は425ドル近辺というレベルであった。

この時のことをもう少し説明すると、日本では政府が是が非でも1ドル=105円を割らせないために必死になっていた。105円を割り込めば、ついに100円に向かってしまうという恐れだ。日本の首相は小泉首相、財務大臣に谷垣さん、財務次官に林さん、日銀に福井総裁、米国はブッシュ大統領、グリーンスパンFRB議長、スノー財務長官という陣容だ。ところが、世界では全然別の議論がされていた。それは「ユーロ高懸念」である。全世界的に「ドル安」が問題となる中で、日本や中国は巨額の介入で対抗していたが、欧州は「為替レートは市場に委ねる」方針の下で、ドル安の受け皿となっていた。1ユーロ=1.2715でユーロ高?と現在の感覚では感じるわけだが、2002年のユーロは、1ユーロ:0.8563ドルであり、2003年には1.0335ドルから1.2450ドルへ上昇、そして1.2715ドルという強烈なユーロ高ドル安の流れで見れば、欧州の不安も無理もない。この当時は1ユーロ=1.3ドルを越えるようなユーロ高になれば、欧州経済はボロボロになる。ユーロ高ドル安問題をG7で話し合う・・という議論がされていた。日本の円高など、世界は無関心どころか、介入を繰り返す姿勢に批判が高まっていたのである。



さて日本はそういう中でも介入を継続し1月には単月の介入としてはこの当時、過去最大の7兆1545億円を実施した。それでもドル円相場は105円から106円前後で推移していて、一向に円安とはならなかった。業を煮やした日本政府は、2月になると「押し上げ介入」を実施し、為替レートを吊り上げた。106円台から108円へ、108円台からも更に介入を継続し、ついには109円40銭へ。

そして運命の3月を迎えた。グリーンスパンFRB議長からは、「日本の介入は異常」と批判、米国のGM会長はしきりに「日本は市場をゆがめている」と痛烈に批判。そんな中で3月18日の日経新聞に「政府は3月末で介入を中止へ」という驚くべきニュースが掲載された。林次官はすぐに否定したが、これは意図的なリークだったとの噂もある。そして3月29日のUKTIMESに日本の介入中止の記事が掲載される。そして運命の31日、ドル円相場は106円台から海外市場で105円を割り込み、なんと103円40銭までいっきい円高が進行したのだ。そして、この間、政府の介入は観測されなかった。そして、その後も介入は全くなくなったのである。



では、その後の為替レートはどんどん円高になったのだろうか?介入をどれだけしても円高の流れを変えることはできなかった。35兆円もの介入である。それを突然中止すれば、強烈な円高になるのではないのか?

それは2011年の相場にも繋がる話である。2011年にも強烈な介入を何度か実施した。しかし、いまだにドル円相場は76円台と、80円も回復できずにいる。



さて2004年以降のドル円相場はどうなったのか?

答えは政府が介入を中止してから皮肉にも円安に反転したのである。2004年もドル安は継続した。

2004年の12月には101円台まで円高が進行したり、ユーロは1ユーロ1.36台までユーロ高ドル安が進んだ。ところが2005年にはドル円相場は、121円台まで円安に反転したのである。

一体何が起こったのか?

それはFRBの利上げである。FRBだけではない。世界各国の利上げである。FRBは2004年6月から、毎回利上げを繰り返し1%だったFF金利は2005年には4.25%まで引き上げられた。イギリスやカナダ、オーストラリア、ユーロでさえ同様の動きであった。そんな中で日本だけがゼロ金利を継続、強化していたのである。世界の中で日本だけが突出して金利が低い状況が生まれたのである。それは逆に言えば、世界の経済が平和で好調であったということでもある。

この間、実際に日経平均株価は2005年前半の1万1千5百円から年末には1万6千円、2006年前半には1万7千4百円台へと上昇していく。原油価格も43ドルから77ドルへと上昇してくのだ。世界が好調で投資ブームとなり、キャリートレードが本格化していく過程である。円は現在では「円安バブル」と称されるほど、幅広い通貨に対して全面安となったのである。



さて、現在の円高はいつ反転するのか?

この回答は、もうお分かりだろう。それは米国が持続的な利上げに政策を反転してからということだ。当然、その頃には欧州以外の他の諸国も利上げを実施しているだろう。日本は、その環境でもやはり、他国に遅れていることは間違いない。そういう環境になれば、自然にドル円相場は円安に反転してくだろう。



逆に言えば、そういう環境になるまでは、一時的な相場の上下はあっても、持続的な円安トレンドにはならないということもでもある。実際に現在の米国と世界環境を眺める限り、金利の引き上げのタイミングは相当に先のことになるだろう。



次回は?についてだ。現実の世界では?だけが起こることはない。?とともに、当然?も同時に起こる。その他の要因も様々に混ざり合って世界は動いていく。だから相場は難しいのだ。

しかし、もしも?のような構造変化が起これば、それは現在の円高のほうが、日本にとっては?で発生する円安に比べれば、遥かに幸せだったということになるかもしれない。

ということで次回は日本の構造変化を考える。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

現場の外国為替! 更新情報

現場の外国為替!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング