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新宿ラヴ♪コミュの新宿のサブカルチャーの歴史を知るって、大事よん♪

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『1960年代後半の新宿』

日本のソウルミュージックの始まりは新宿
なんですよ。横田や福生、横須賀がまだ
栄えていない頃、黒人の兵隊達が中央線で
新宿に来て広まっていったんです。

当時の新宿、特に歌舞伎町辺りは不良だらけで、
僕もどちらかと言えばワルの方で、よく暴れて
いました。そんな連中の溜まり場がゴーゴー喫茶
やR&Bスポットで。踊るにもジュークボックス
がメインでレコードプレイヤーも1台しかありま
せんでした。歌舞伎町で遊んでいるうちにバイト
をするようになって、新宿ではまず「アップル」
という所で働きました。

「ディスコ天国 70s」より抜粋
白金「ダンステリア」オーナー、ドン勝本氏






歌舞伎町にある「サンダ−バード」という
ディスコ(ゴーゴー、踊り場)の壁面を先輩と
一緒に描くために歌舞伎町のど真ん中で2ヶ月
くらい暮らしたこともあるんだ。徹夜で仕事して、
ペンキまみれで朝窓から外を眺めると、神社の
境内に鳥が飛んでくるようなのどかな風景のなかで、
フーテンがシンナー吸っていたよ(笑)。

「DOORS」より抜粋
イラストレーター、DJ、麻布十番「キサナドゥ」
取締役、江守藹氏






今だと、僕らと細野(晴臣)クンたちって、
全然畑が違うでしょ?。でもその頃は彼等も
英語でやってたし、新宿に「パニック」って
お店があって、そこでよく一緒にジャムったり
したのね。

鈴木茂っているでしょ?。彼とか。林(立夫)
クンとかね。みんなまだ高校生でね。その頃
から良く知ってるよ。それに角田ヒロなんかも
仲間だったな

「輝け伝説の日本ロック1969-79」より抜粋
77年のクリエイション、竹田和夫氏のインタビュー

コメント(6)

東京のブラックミュージックの原点は実は新宿でしたか♪

ジュークボックスで踊る黒人米兵の気分で盛り上がりましょう☆
そうなんだああ クニさん 物知り〜〜〜♡
ダンステリアで習ったことある(笑)
ドンさん やさしかったよ。
ドン勝本氏の「サンダーバード」、ジョニー大倉さんの
著書「キャロル夜明け前」によると、キャロルの1st
デビューライブも、ここだったそうです♪。

同じく「アップル」に、横浜のパワーハウスも出てたそうで、
このパワーハウスのベースが柳ジョージさんで、柳さんは
パワーハウスの後、成毛滋さんとつのだ☆ひろさんと
一緒にバンドをやり、柳さんが末期のゴールデンカップス
に加入、柳さんの変わりに成毛さんが連れてきたのが、
若き高中正義さん!。

名曲「メリージェーン」は、もしかすると柳さんの
Voだったかもしれないそうですね〜♪。

で、つのだ☆ひろさんと高中正義さんが、加藤和彦さん
と作ったのが、サディスティックミカバンドだったと、、、
(つのださんはすぐ脱退して、高橋幸宏さんになった
そうですが)。

日本のロックの歴史も、深〜い!。
新宿のゴーゴーホール『サンダーバード』で、
デビュー宣伝のワンディ・ライブを行ったときの
ことは忘れられない。サンダーバードは、ジュリア
時代、オーディションで落とされた悔しい思い出のある
場所だった。

このとき司会を買って出てくれたのは、当時
「学生街の喫茶店」の大ヒットで人気絶頂だった
ガロのリードヴォーカルだった。彼はキャロルの
デモLPを聴いてぼくたちを気にいってくれた一人だった。

「キャロル夜明け前」より抜粋
元キャロル ジョニー大倉氏
こちらに紹介した、ドン勝本氏が逝去されたそうです、、、

詳しい情報は、のちほど。
良く存じてなかった方なんですが日本の踊り場のパイオニア的な方だったのですね!

世間的には失礼かもしれませんがソウルミュージック聴いてステップする事が一番の供養かと思います。

合掌

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