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従軍慰安婦論コミュの「小野田寛郎元少尉の証言」

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私が見た従軍慰安婦の正体  
                   
http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/2005/2005-01-16-onoda_ianhunoshoutai.html

                                  「正論」一月号より

コメント(1)

『近隣諸国条項を生み出した第一次教科書騒動を間近に見て』

西岡 力(にしおか つとむ、1956年- )は日本の現代朝鮮研究者。
東京都生まれ。
1980年国際基督教大学教養学部卒。
1983年筑波大学大学院地域研究科修士課程修了。
韓国・延世大学校国際学科に留学。

駐韓日本大使館(専門調査員、1982年 - 1984年)
現代コリア研究所(所長・佐藤勝巳)主任研究員(1984年 - 1991年)
東京基督教大学(しばしば“国際基督教大学”の誤記あり)神学部専任講師(1991年 - 1995年)、同助教授(1996年 - 1999年)を経て、2000年より同学部国際キリスト教学科教授。



『近隣諸国条項を生み出した第一次教科書騒動を間近に見て』 西岡力

 西岡力です。
あとから話すと得なことがありまして諸先生方のお話を聞きながら補足すればいいということで(笑い)そのようにさせていただきます。

 実は私は今『救う会』の活動をしていますけども、この『近隣諸国条項』についてはある面で目撃者でもあるんですよね。

あの『近隣諸国条項』が出来た第一次教科書問題の時にソウルにいたんです。

当時大学院を終えてですね、外務省の専門調査員という仕事でソウルの大使館に勤めていたんです。

私の与えられたテーマは「韓国人の日本感を分析せよ」ということでした。

 82年の7月にすぐに教科書問題が始まったのです。

私のテーブルの横に新聞をこんなに積んで(頭の高さまで手を上げて)全部切り抜きましてそれをずっとやっていました。

そうしましたらですね、たしか『週間朝日』だったと思うのですけど渡部先生が「書き直しなんかないんだ」「もともと原稿に侵略なんか無かったんだ」と言ってらっしゃるのを小さな記事で見つけたんです。
これは大問題じゃないかと思ってですね、大使館の中の小さな会議で提起したのですけども、ほとんど外務省のキャリアの人たちはそういう問題意識はなくて、これで反論出来ると思わなかったんですね。

全然思わなくてどんどん過ぎていきました。

 そして私は新聞を切り抜いていて発見したんですけど、もう一つ大きな誤報がありました。
もともと当時の日本の左翼は北京と連帯したかったので、当時の韓国は全斗煥政権なんですが朝日新聞は全斗煥が大嫌いだったんですね。
2年前に光州事件があって200人くらいしか死んでないのに2000人死んだとか5000人死んだとか嘘を書いているわけです。

その2年後に朝日新聞と全斗煥の連帯ができちゃったんですよ。
ここが韓国問題でいいますと歪みの初めなんです。

 で、当初は日本の新聞は華北への『侵略』を『進出』書き直しました。

中国への『侵略』という原稿を検定の結果『進出』と書き直させたと書いたんです。

ところがそれを東京にいる韓国の日本特派員が「中国・韓国への『侵略』を『進出』に書き直させた」と打ったんです。ソウルの新聞にそう出ていました。そうしたらソウルにいる日本特派員が「中国、韓国への『侵略』を『進出』に書き直させた教科書問題」と打ち返してきたんです。

実際にもともと中国への『侵略』なんて原稿はなかったんですけど日本の左翼は韓国への『侵略』なんてチェックもしていなかったんですがプラス韓国も入っちゃったんです。

 特にですね、これは具体的に別にその新聞をどうこう言うつもりはないのですが『毎日新聞』の82年の7月26日の社説というのが韓国中国への『侵略』が『進出』と書き直されたと書いてあります。
それでその『毎日新聞』の社説は韓国の全国紙全紙が掲載しました。
そこで「日本の教科書には、もともと原稿に韓国への『侵略』と書いてあり、悪辣な文部省がそれを『進出』に変えたんだ」という刷り込みが起きてしまいました。
しかしそれに対して日本の外務省はきちんとした反論を全然しないで、今に至っているという新しい誤報を私は目撃したわけです。

新しいというかもう一つの方法ですね。

 そしてもっと言いますと私はソウルの大使館の文化院にいまして、韓国の国史編載委員会という国立機関がありまして国史の教科書は国史編纂委員会が書きますが、そこから電話がかかってきまして「日本の国史編纂委員会の電話番号を教えてほしい」「えっ?ありません」「いや、ないはずがないだろう!じゃあ、教科書は誰が書いているのだ!国史を書かなくて国家が成り立つのか!」とそういう話になりました。「なにか、資料編纂所みたいなところはあったと思いますけれど」と言いました。
韓国人は「一冊しかない日本の国史の教科書が、文部省の検定で書き直させられたんだ」と思っているわけです。
それについてのきちんとした反論も無く未だにそう思われています。

 ということの中で韓国側は先程お話がありましたけれども、私が現地で見ていた事でいいますと、8月5日に『国史編纂委員会』が24項目167箇所の歪曲事例というのを発表するんですね。
それを大々的に韓国の新聞に発表するわけです。

しかしそのあと『宮澤談話』が出て全斗煥さんはちょっとやりすぎたと思って抑えにかかるわけです。
そして『宮澤談話』の後の9月27日に、今度は『外交文書』として日本政府に39項目の是正要求資料を渡すんです。
学者が発表するのはあるのだと思いますし議論すればいいんです。
しかし韓国政府は『外交文書』として82年の9月27日に、39項目の是正要求文書を日本に正式に渡しています。
ここで完全に韓国が検定に関与するようになりました。

 それに対してそれを調べてみると39項目のうち、13項目が「即時是正せよ」ということになっていたわけです。
日本側はそれを調べてみますとそのうち13のうち5箇所は検定で意見がついて何らかの変化があった箇所なんです。
残りはもともと原稿がそうなっているということなのですが、あの検定について若干の変化がおきた項目について、先程高橋先生がおっしゃった「強制連行」の部分なんかもそうですけども、それ以降は検定意見を付けないという対応をしました。
韓国側は39項目を申し入れてそれも正式に『外交文書』で申し入れて「日本がチェックしたらそのうち5箇所は検定意見を付いていて、今後は検定意見を付けません」ということになったので、そこで左翼の人たちが書き放題になってしまいました。
しかしそれは実は誤報の積み重ねから起きているのです。

 じゃあ、何故韓国が日本の朝日新聞と連帯するようなことをやったのかということなのですけど、それは当時の韓国のおかれた政治情勢が関係しています。
実は79年に朴大統領が暗殺されまして、そしてそのあと全斗煥大統領が政権をとるわけなのですけども経済が大変苦しかったのです。

80年マイナス水準でした。
それで日本に対してですね「60億ドルの経済協力をしてくれ」というふうに言ったのです。

当初は「安保経済協力」だと、「ソ連の脅威に対して韓国が日本の砦になっているのだから、韓国軍の10年間の軍隊の近代化の費用の三分の一ぐらいを持つべきだ」とそういう論理だったんですね。
で、レーガン政権が出てきてdetente(緊張緩和)が終わって軍拡をやるという、そういう雰囲気の中でそういうことが出てきたのです。

 しかし日本がそれを呑まなかったのです。
「出来ない、出来ない」と言ったんですね。それで韓国は困ってしまってそして見ていたのです、日本を。
当時『文化広報部』の次官にキョさんという人がいまして、東大出た人で日本人を良く知っているんです。全斗煥さんの腹心ですから左翼じゃないですけども、日本をよく知っています。
日本を見ていたらばその『誤報』が原因となってですけども「中国と朝日新聞が組んで反日キャンペーンが始まった、日本から金を取るのはこれだ」と。
「安保で共産主義勢力の脅威をお互いに話し合って協力するということは日本人にはダメだ。
しかし机を叩いて(西岡さんも机を叩く)36年と言うと黙る」と 。
(かすかな笑い)それを70年代に日本で見ているわけですね。それを全斗煥政権が採用しました 。

 それで外交ルートで他国の教科書について是正要求しました。
それも同じ体制の友好国同志で。
それはしかし、教科書そのものには関心は無いのです。
教科書そのものに関心があるのなら日本は検定制度であって国定制度ではないと知らなくてはならないわけです。
関心が無いのです。
そうではなくて机を叩く道具として『朝日新聞の誤報』を利用してやったのです。
そうしたらお金が出たのです。
(会場は苦笑)これは麻薬みたいなものでして、

机を叩くとお金が出るのです。

 次はなにをやったのかというと、在日朝鮮犬の指紋押捺反対です。日本に来るたびに天皇陛下のお言葉問題があって、そして10年後極めつきが『従軍慰安婦問題』です。

これもまた『朝日新聞の誤報』ですよね。

これは1989年に日本の変な女性が韓国に行って韓国にビラを配って「日本相手に裁判やりましょう。

私が裁判費用を全部持ってあげます」と言ったわけですよ。
そして、遺族会の人たちが乗ってきて裁判を始めました。
そしてまだその時は徴用された人たちの遺族とかだったのです 。
それも1965年の条約で日本は一括で韓国にお金を渡しています。
韓国政府は受け取ったものを分配しています。
遺族に対しては分配したのです。
ただ額が少ないと言って揉めました。
ケガをした人たちには出していません。
でもそれは韓国政府が決めることです。

 それで、終わったんですが額が少ないと揉めていた遺族会の人たちが残っていました。
その人たちがビラを読んで「ただで裁判をやってくれるならやってもらおう」と言って、90年に最初にこういうホールに日本人が来て説明会をやりました。
「裁判やりましょう、判子さえ押してくれれば、私たちが費用はもちますよ。
やりましょう」ということになって、そのホールの側に日本大使館があったものですから、日本大使館に最初の反日デモをしかけたのです。
これが今毎週1回やっているという『慰安婦』の人たちの先駆けですね。
それを指導したのは日本人なんですね。

 そしてそこの団体が裁判を始めたときに、今度は四十数円で妓生(キーセン)として売られたと本人が言っているのにもかかわらず「私も裁判に入れてください」と来たわけですよ。
その女性のことを世界で一番最初に、韓国のマスコミよりも先に報道したのは『朝日新聞』です。
(苦笑・ざわめき)『朝日新聞』のウエムラという記者です。
今、北京にいます。
彼の嫁さんは実は遺族会の幹部の娘です。
だから世界で一番最初に、韓国の新聞より早く『慰安婦』のインタビューを報道出来たのです。

それで彼は、四十数円で妓生(キーセン)として売られたと言っているのにもかかわらず「挺身隊、強制連行された慰安婦が出てきました」と書いたのです。
自分の義理のお母さんの裁判を有利にするために紙面を使って嘘を書きました。
それをまた韓国の政権が使い「『慰安婦』で机を叩くとお金が出る。
(苦笑)技術援助が出てくる」これが盧泰愚政権の時ですね。

 盧泰愚さんが後になって、盧泰愚さんは本当は日本が大好きで『文芸春秋』が好きでしてね「『文芸春秋』に出たい出たい」と在任中2回インタビューに出たのですけど、『文芸春秋』のインタビューで「あれは日本のマスコミが火を点けたことでしょう」と言っています。

 しかしそうやって日本の左翼の反日運動を、韓国の右派が利用して机を叩いてお金をもらうという事をやった、その結果今の韓国はおかしくなりました。
実は日本は『反日史観』がおかしいと言っていますが、韓国は『反韓史観』が蔓延してしまいました。
ごく最近、韓国で親日的行為をした人間を裁く法律が韓国国会で通りましたね。
(ざわめき)あれは全部北朝鮮の政治工作、思想工作なのです。(拍手)

 あの金日成という人は日本の統治時代に国内にいなかったのです。
中国共産党の部隊の隊長でした。
そのあとソ連に逃げてソ連の情報部隊の隊長をやっていたわけですね。
共産主義者ですから民族のためよりも階級のために戦ったという、まぁそれはそれで彼の自由ですけれども、そういうことをやって帰って来たのです。
国内にいた人たちは日本人でした。
その中でいろいろなことがあったし異民族支配で悔しいこともあったけれども、しかし技術も学んだし近代化も進んでいたし、両方なのですよね。
一方的には簡単に言えない。
しかしそこの中にいた人たちはみんな、日本の名前を付けていたから親日派だとそういう論理ですよね。

 そして北朝鮮はそういう日本時代に協力した人間を大規模にパージしたのです。
外から来た人間が政権をとって地主や知識人を全部パージしましたが、実は金日成の弟は親日派だったのです。
日本軍の通訳をしていました。そのことを北は隠しているのです。しかし表向きはパージしたと思っています。

 韓国の方は李承晩大統領が海外にいましたけれど、しかし韓国軍を作る将軍たちは日本の士官学校を出た人たちが大部分ですね。
警察や行政機関もそうしたのです。
それは近代国家としてのノウハウを持っていたから使ったわけです。

我々の観点で親日派と言うのであれば「もう一度日本の総督府に戻ってきてください」と言い出す人が親日派ですよね。日本が負けた後も、日本時代に学んだ専門知識で大韓民国のために尽くした人たち、その人たちが作ったのが大韓民国です。
そしてその代表が朴正熙大統領です。
満州の士官学校文官学校を出て陸士を出ているわけです。
北朝鮮は韓国の今の繁栄の基礎は「朴正熙大統領が親日派であるので、大韓民国というのは生まれた時から穢れているのだ」と、そういうふうに韓国の若者に刷り込む『反日史観』『反韓史観』を20年間やってきて、そして盧武鉉大統領になっちゃったわけです。
 
 そういう点では日本はさすがに『慰安婦問題』で「こんな馬鹿なことがあるか!事実とあまりにも違う」と92年〜93年にかけての河野談話時、みんなで・・し始めてそして97年につくる会が出来て巻き返す押し返す運動がやっと始まり、そしてこういうことが出来るようになりました。しかし韓国はまだ押され続けて『反韓国家』になっています。

 お互いにお互いの歴史を愛する環境を作らなければなりません。
実は82年以前の日韓関係というのはそうだったんですね。
この82年の時の最初の教科書問題の時に、私が一番印象的な韓国の社説(ソウル新聞という当時の政府系の新聞7月10日)は「日本が歴史を歪曲してまで子どもたちに愛国心を植え付けようとすることを、我々は見習わなくてはいけない!」そういう趣旨のことを書いています。
(声を荒げて)「それぞれが愛国者を作るべきだと、そしてその愛国者同志が尊敬し合っていけばいいのだ」という関係が、1982年以前の1965年に朴正熙大統領は一度も『歴史問題』でお金をとる材料に使っておりません。
「共産主義が来るから連帯しよう。
朝鮮総連をもっと取り締まれ」とそういうことは言いましたけれども。

 そこにどうやって戻っていくのかというと、そのためにまず我々は日本の中の反日勢力を駆逐しなくてはなりません!(大拍手)自民党の中にいる反日勢力の責任は大きいと思います。
(そうだ!大拍手)責任をとってもらわなくてはいけないと、そういうふうに強く思います!(大拍手)




http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=80&no=12

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=2435280

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