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フランス妖怪会議(仮)コミュの『憑依』についての考察。

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※昨年の夏くらいに書いたものを、改めて纏めてアップします。

自分へのメモも含めて。知識は勝手な解釈なので、亜流です。お坊さんにもなった今、「僧侶として自覚しろよ」「甘いよ」とか自分の環境で随分また知り合いの方々に怒られる乱暴な内容かも知れません。。。現在の判断です。

「憑き物」というのは映画等の物語で知った知識によるのか・・・、怨念に取り憑かれたり、何かしらの儀式での呪いで死に至るというのが主流(?)となるのかもしれません。
所謂「取り憑かれたー!」という事で。

其の「取り憑くもの」というのが、なんなのだろうというと、大抵は「個人」だったりもするのです。物語ではボンヤリしてるものよりは「サダコ」とか誰々みたいな感じで明確にしてる訳で。でも、亡くなる方というのはどんな状況・時間の流れであれ、「サダコ」だけではなく、色んな人が色んな原因で、色んな状況を踏まえて亡くなられてる訳で。
そうすると、「サダコ」さんよりも、もっと悪い状況で亡くなった方が居るかもしれないのです。じゃあ、その人は呪わなかったのか!?「サダコ」さんは、癇癪持ちやったのか!?とか、色々と思う訳で、まぁ物語ですから内容から思うに怒っても仕方ないのだろうなぁっとは、心情思うわけです。

「憑く」というのは、何かというと「情報伝達」だと思うのです。
どういう事かというと、Aサンの事を知ってる人にAサンの情報を伝える&そしてその事をAさんに何らかの自然な流れで知らせると「取り憑き」が成立するのですが、Aサンの事を知らない人にAサンの事を伝えても、知らない・興味が無いから「取り憑き」が成立しないのです。

じゃあ、見ず知らずの旅行者が『リング』という映画・小説の中でビデオを観て、呪いにかかって一週間で・・・というのは、何だ!?というと、それはフィクションだから。物語だからとしか言い様がありません。
※此処でまた分裂するのですが、
「呪い」と『祟り』は、またちょっと違ったものだと思ってます。今回は『祟り』で。

Aサンが、「祟り」に会うのはどういう事か?


「祟り」とか言えば、幽霊とかお化けとかがドロドロドロ〜って闇から現れて身体を乗っ取られたり、殺されたりかもと不安な面が多いのです。確かにそんなの現れたら怖いです。ブルってしまいますよ。。。

昔、まだ都市とか町とかが余りなくって日本各地「村」という地域社会が主流でした。その中のルールは絶対でしたし、なかなか他の処との交流も難しかったのです(それは当時の宗教のや倫理観の違いなども有り)。
近所の人でも其の人の毎日の「憂い」というものがあり、其の中で優劣というのも生まれます。金銭や、食物の「蓄え」という処の優越です。
其れは、まずは村内レベルの事だったのですが、他の地方から移住してくるという人が居ます(他の村を追われてとか、移民を主としてる人々とか)。
そうすると、優越の度合いが、益々激しくなるのです。

何かって言うと、元々そこに根付いてる村人の所に新たな人がやってくる(普通はそうやって村というモノが出来て、それが大きくなると町や都市となるんだけど。でも「村」がどこでも主流としてる時代というのは閉鎖社会が今で言えば特殊なもので)。
その新たな人が地に根付いて、その村で活躍すると(それは農耕の技術や、町の文化の知識を披露したり、水産業や技術を皆に知らせたり、単純に変わった人であったり)元々、地元に根付いてる有志は、新しい知識や波・他の村人の思想が新たに来たアイツに向いてしまうのではないか。 と、恐れるのです。

村がよそ者の主流になる、乗っ取られるのではないかっていう変な嫉妬感が生まれて。

で、どうしたかって言うと権力を使って、「アイツは、○○の生まれ変わりらしいぞ」「アイツは○○からやってきた危ない家系のヤツだ」とかって好き勝手な噂を流したのね。
村民は、名士の言う事だから村人も不安がって、怖がって、仲良くするのをやめたりして。地域の事もあるから、一度そういう離れ方するとイジメやないけど率先して触れ合おうとはせずで。。。
そから50年、100年と過ぎ村内のことやから事実を確かめる術がないのか、勇気がないのか、嫌な噂が残って(思い出の印象は「恨み」が強い事も多くて)定着してね。

そういうのって真実が判らない風聞だから世に残ってしまって、下手すると尾ひれがつくもので。。。

其れが其の場で収まったら良いんだけど、なまじ知識を一寸知ってる人の登場とかで場所によっては時間が流れても「昔、そういう変わった人が住んでて・・・もしかしたら、あの一族の末裔じゃない?」等の不安要素として存在が確立するのね。
そうなると、ただ夜に外に出た(それは夏だから家の中に居たら暑いからという理由でも)だけでも、「夜中に何かしでかす!」と思われて、ますます疎外感を味わったりで。

実際、癲癇などの病気や、ストレスの心意性のものや、性癖や、人間性なのは今と変わらずあって、それに上乗せでその人の性格を「憑き物」という嘘話で塗られてた訳だから、「狐に憑かれてるよ!」とか「○○神様の御使いだ!」とか言われる存在になったのだとも言われます。
そうじゃなくっても、文字が書けたり数学が出来るだけでも、おかしなヤツだと思われたで。大体は良い神様とか偉いモノに憑かれてると思われない訳で、どちらかと言えばなんだか判らない悪霊や鬼とかの一族の末裔だと思われた訳でね。
それだけ情報が少なかったってのは仕方ないんだけど(今なら疑問に思った事はネットで調べたり出来るだろうし)。


今の世で言われる、「何かに取り憑かれてしまった」というよりも「何だか変なヤツだから、何かに取り憑かれてるのだよ」という出発点の違いが今と昔に「憑き物」としての考えがある様に思います。

その中で、現在の認識としては「憑依」という、所謂「乗り移り」というのもあるやもしれませんが、それは現在(映画・TV・雑誌・小説・ラジオ・伝聞、等々)の事例を個人が知った上での、取り憑かれたと感じてしまう「催眠」の症状ではないのかとも思うのです(一概に全部はそうとも言えませんがね)。
・暗闇で、見えないものに不安を感じるストレス。
・何かソコからやって来るのではないかというストレス。
・ココは色々噂があり、居たら大変な事に遭うだろうストレス。
・周りから追い詰められるストレス。
・救い方は判らなく、ただ情報が大量に入ってきて其れに溺れるストレス。
・古くからその家庭や生きていた中での信仰に縛られるストレス。

等々、形は様々だと思います。


まず「取り憑かれてる」と状態を認識する為の手段としてあるのが、何かというと現在は上記にあげたテレビや映画などのメディアの演出が大きいと思うのです。
怖いモノが出てきて、取り殺されてしまうみたいなね(想像するだけでも怖いのですが・・・)。ですが、実際の「取り憑かれてる」というのは近所から疎外感を持たれてる、つまりは人間が人間に起こしてる状態を表したものだと思うのです。
だもので、全然オバケとかそういうものに罪は無いのです。

それが、いつの間にか責任転嫁で、「取り憑くったら、オバケの本業(?)だろ〜」みたいな感じになったりで。

今の世で「何かに憑かれてるみたいなのです」って思う人は、それは「憑依」では無いのかもしれません(憑依というのを短絡的な言い方になりますが「近所からの悪口・嫉妬」という考えでいくとね)。
孤独感や、一つの事への執心、視野の狭さ、情報が少ない中での解釈、他者との格差からの閉塞感や憧れや妬み嫉み、自分が悪く思われてるのではないかという罪悪感、消極性、等々の精神面があっての、それを「何だ自分はどうなってるのだ」と状態を具現化する為に在るのが「憑かれてる」と認識する状態。
そして、憑かれてると判断し、接する周りの醜悪さ。

それが重なっての「憑依」という機能の確立の様にも思います。

今、自分が知る中のは第一段階での解釈なので、まだまだこれから信仰や民俗学などを知らないと判らない事は多いと思います。
今も「取り憑かれた」「憑依で狂った」など都市伝説の裏にある、そういう不可思議な事の裏には、過去もう一つ人間が犯した政治的な迫害や、個人の貪欲な心などの行いがあったりするものなのです。
それをカモフラージュされる為に使われるオバケや妖怪ってのは悲しいなぁっとも思いました。


※そして、コレはその物自体が怖いのではなく、この解釈を「憑き物」を信じてる人が現象を解かれた解きに反発する力の方が怖いのだと思いました。↓

「何、言ってんだ!憑き物ってのは、あるんだよ!お前みたいな何も知らないヤツが適当な事言うから、逆に世の中駄目になるんだよ。お前を排除してやる!」

という。。。
確固とした他と分かち合わない信仰心や、孤立密室した考えからの、衝動的な結論への流れで抑えられなくなる人の、こういったものは事実あります。それはその人が安らぎを持てる場として選んだ考えなので仕方ないのでしょう。

これから多くの過去・現在の事例を知り、長年をかけて解釈し、間違った考えを「演出」なら演出、「実際」なら実際(実際というのは何故そういう事になったのかという流れ、等)と分けてやらないと、これからの人が変な風に過去を認識して使う事になるか不安だからです。

魔法を使える人間(手から火を出したり、雷を落としたり、レーザービームを出したりとか)は居ないと今の人は、かろうじて思ってても(憧れはあったとしても)、それから先の人は判らないんだから。
「そういう人も居たんだよ!」と、信じて生きてく人も世界に出てくるかもしれない訳で。


「憑き物」の由来の一説がそういう事であっても、何故その人が現在「憑かれた」という状態に思ってるのかの原因は、また別問題ですから、それは究明してあげないといけないと思います。
それは、もう霊とかオバケとか関係なく、生まれてきてからの家庭環境や、対人関係や、出会った情報との接し方という、その人の生きてきた環境の蓄積から出た症例なので、それは究明に切になってあげて下さい。
その事例をあてがう役目としての一環に(例えば目に見えない「感情」とかね)あるのが「妖怪」なのです。今は、ただ存在としての妖怪の立場が多いのですが(それはそれで妖怪を知って貰う上では良い事なのでしょうが)、その時は症例として使ってあげて下さい。妖怪というのはそういう機能もするものだと思いますから。

偏見ってのが「憑き物」としての機能してた時があったそうで。いわゆる「ねたみ」とか「不安」などの道具としてね。

だから今現在「私は呪われてしまってる」とか「何かに取り憑かれてしまった・・・」と、思ってる方は落胆しないで欲しいのです。言葉だけが現代に生きて意味が随分変わってる事もありますし、やはり神懸りよりも人員的な事であると思うのです。
どうしても映画・テレビ・漫画・小説で神秘的な事に憧れや現実化が気持ちの上ではありますが、それを隠れ蓑に相手を攻撃するという事もあるという事も知って下さい。
落胆する前に、その状況を勉強するというのも一つの手です。

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