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キリストの幕屋研究会コミュのハワイ最後の女王の幽閉

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ハワイ最後の女王の幽閉


先日の「フットプリント」の詩を知ったキリストの幕屋の衛星放送「生命之光」の、次の週には「アロハオエ」がありました。

ハワイ王朝の最後の王、リリウオカラニ女王が作ったといわれるこの歌はノー天気な常夏のムードをかもし出しているが、真実は哀しみの歌。 祖国を失った悲しみを悲恋としてあらわした歌です。 愛する祖国とハワイの人々を恋うる歌。 

彼女について書こうと思って資料を探していたら、シンクロです、今月の文藝春秋6月号に彼女のことが少し写真とともに載っていました。 この雑誌からは文章は転載できなかったので、yahooから転載しました。


以下またまた長いですが、最後まで読んでいただけたらうれしいです。


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ほんとうのハワイ 
http://www.1101.com/hawaii/2000-07-01.html

“Aloha Oe”

「誇らしげに谷を横切る雨は
木々の間を通り抜け
それはまるでliko(ハワイの植物)を
探しているかのよう
それ(liko)は山の花、アヒヒ・レフア
さようなら、あなた。さようなら愛する人
木陰にたたずむ愛しい人よ
私が去る前にもう一度あなたを抱きしめたい
もしもまた会うことができるなら」


以下はこの記事にあった文章を一部抜粋

「この歌は一説に、リリウオカラニが、彼女が大切に思うふたりの人に月明かりの下で別れを告げたときのことを歌ったものだといわれています。 またその一方では、彼女の愛するハワイが奪われ、1898年にアメリカの領土となり併合される運命となったことへの悲しみを歌ったものだという説もあります。 

リリウオカラニはその当時、ハワイを奪おうとするアメリカの実業家たちの策略によって、反逆罪という罪名で、8ヶ月もの間イオラニ・パレスに軟禁されていました。

愛する人とはハワイの民そのものであり、彼女はハワイ王国とその民がいずれ手の届かないところにいってしまうこと、そして予想もできない未来が待ち受けていることへのはり裂けるほどの思いを込めたのだと思わずにはいられません。

彼女はハワイの民にその涙を、そしてどうすることもできない謝罪の気持ちを感じて欲しかったのだと思います。ハワイの民は、心から王族の人々を愛し、信頼していました。 アメリカの政府が女王を王宮の一室に軟禁したその日、ハワイの民の心の一部は、死んでしまったも同然でした。

ハワイ人は、カラカウア王の元で自由を取り戻し、ハワイアンの誇りを再び手に入れました。 しかし、アメリカ合衆国によってすべてを奪われた後は、その心さえも、持ち続けるのがとても難しくなってしまったのです」

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ハワイが「太平洋の楽園」として欧米社会に知られるようになるのは、18世紀末、 クックが発見してからです。 クックを先頭としハワイに来島した白人たちは、「楽園」にさまざまな伝染病を持ち込みました。 船乗り、貿易商、キリスト教宣教師といった外来者とともに、麻疹、結核、コレラ、 ハンセン病、梅毒などが上陸し、抵抗力のない先住ハワイ人を襲ったのです。

クックが来島した頃30万人だったハワイの人口は、1872年には5万7千人にまでに落ち込んでいます。 伝染病に加えてアルコール飲用も人口減に拍車をかけました。 



ハワイ諸島と白人の武器で統一したカメハメハ大王はサトウキビ等の輸出など、国内産業の発展に尽力しハワイ王朝の基礎を築いた。 しかし輸出相場の変動、疫病の蔓延などにより、国力は徐々に低下していった。 この間に日本人や中国人など多くの外国人をハワイでのサトウキビ農園の労働移民として受け入れることになった。
 
しかし白人の農園主たちが実力をつけ、王権を強化しようとした王女リリウオカラニが王位につくと、親米派の白人クーデターが起こって、女王は宮殿に幽閉されて王位を奪われ、1898年にはハワイはアメリカに合併されました。 

「アロハオエ」がたたえる悲しみは、侵略者に踏みにじられた先住ハワイ人の悲しみでもあったのです。


明治14年 カラカウア王(リリウオカラニ女王の前の王で実兄)は、来日し明治天皇に日本皇室と将来のハワイ王位継承者カイウラニ王女の婚約を提案しましたが結局は果たせなかった。 この提案はハワイがアメリカ合衆国の領土となることを防ぐためだったのか? そしてカラカウア王はアメリカ訪問中に急死している。 暗殺だったのか?


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アメリカは南北戦争が終わって国内が統一されると西部開拓の魂は今度はさらに西の太平洋へ向かった。 そして独立王国だったハワイを奪い取り、スペインとの戦争でフィリピンを勝ち取り植民地とした。 そしてめざすは中国。 

その前に立ちはだかったのが日本だった。中国市場の争奪戦で日本と激突するのは目に見えていた。 そのためにアメリカは日本を仮想敵国をみなしてこれを攻略する「オレンジ計画」というものを作成していた。 日米戦争のシナリオはすでにできていた。

日米必戦論と「オレンジ計画」、日米戦争やむなし
http://www.ichinomiya.gr.jp/web/HTML/OrengePlan.htm


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この「アロハオエ」は祖国を失うということがどんなに悲惨かということを訴えている。 日本も、もしかしたら敗戦によってアメリカかソ連の領土に併合されて日本国はこの地上から消滅していたかもしれない。 

今私たちが日本語で話ができることにさえ感謝しなくてはいけない。 その教訓をふくめて、亡国の経験のない平和ボケ民族の日本は「アロハオエ」に秘められた亡国の哀しみを肝に銘ずべきである。



歌の題名の「アロハ」は愛する、「オエ」はあなた。 リリウオカラニ女王はクリスチャンであり、彼女にとって「オエ」とは神、ハワイの人々、そして祖国を意味した。 

「神を愛する」という神への信仰を表現している言葉でもあるために「生命之光」が取り上げたのです。 そして祖国への愛をもってほしい、という意味も込めて、この愛国主義的教団、キリストの幕屋は「生命之光」に取り上げたのです。


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このハワイ亡国の運命について東郷平八郎元帥の関連でどこかに書いたと思って「東郷平八郎とハワイ」とyahooで検索していたら、私の「いのちの風」?404が掲載されているのを発見しました。 
http://www.geocities.jp/ennohana/enisiguro404.htm

東郷平八郎について書いた部分の一部で、本人が忘れていたのに偶然にもyahooに載っていたのでした。 色々な問題で書いているのであちこちの検索に「いのちの風」が引っかかります。



「アメリカ海洋帝国の脅威」

日清戦争の前にハワイで政変が起こった時、ハワイへ日本海軍軍艦が日本人居留民保護のために派遣されました。 国際法にくわしい知識をもつ若き東郷平八郎がその司令官として選ばれたのです。 

ハワイには原住民の王朝がありましたが、アメリカの謀略でハワイの王朝が奪われました。 アメリカが米国人居留民を使って王朝を倒し、植民地政権を作ったのです。 アメリカの侵略によって幽閉されたハワイ最後の女王が獄中で作った曲が有名な「アロハオエ」です。
 
アメリカはメキシコとの戦争で南部のテキサスなどの広大の土地を奪い、その恨みから今もメキシコ人は反米・親日です。(アメリカと戦った日本を英雄視しています) そしてスペインとの戦争でキューバ・プエルトリコ・グァム・フィリピンを占領しました。 そして東へ東へと侵略の手を進めるアメリカ海洋帝国の前に立ちふさがったのが日本でした。  

「ハワイの英雄」

いつかは日米戦争になっていたのでした。 東郷はアメリカの野望を知っていました。 そのため沖合いで艦砲射撃をして日本人保護目的とハワイ人との連帯を示し、傀儡政権を威嚇したのでした。 

また人種差別への敵意を示し、有色民族・日本の存在を白人に畏怖せしめたのです。 そのことがハワイの人々の心をとらえ英雄として歓迎されました。 

ハワイ遠征にあたり東郷が司令官として乗組員に訓示したのが「我らの一挙一動は帝国の品位に影響あり」という言葉でした。 日本人としての誇りをもって行動せよ、さもなくば日本国の恥をさらすことなる。 我は日本国民の代表なり、との覚悟で身を挺して任務に着くように、という意味であったと思います。   

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