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☆日本語教師☆コミュの今月の勉強会?「可能形のない動詞について」

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私が属する日本語教師の協会では、月に一回、日本語教師が集まって勉強会をしています。
今回は「可能形」についてです。
日本語学習者が「続く」の可能形は何かと普通の日本人に尋ねたら「『続ける』じゃない」と言われたそうです。
もちろんこれは間違い。「続く」は自動詞であり、「続ける」は他動詞であり、「続く」には可能形はありませんと日本語教師なら言いましょう。

・可能表現
1.私はクロールで泳げる。(能力を表す)
2.このプールは誰でも泳げる。(許されるという状況を表す)
3.この川は流れがゆっくりなので泳げる。(動作の可能性を表す)
私は1と3の区別が少しあいまいだと思い、もう少し例文を作ってもらいました。
3-2・これはそんなに辛くないから食べられるよ。
3-3・腐っているから食べられない。
3-4・天の川が見られます。

・可能形のない動詞
1無生物が主語(意志に関わらず、力が働いている場合には可能形は使えない)
(雨が)降る、(木が)倒れる、(事故が)起こる、(病気が)治る、(葉が)落ちる、(水が)出る、(ビルが)建つ、(お湯が)沸く、(おいもが)煮える、(道が)続く、(川が)氾濫する、ある
○お金を入れても切符が出せない。
○ボタンを押したら切符が出た。
×ボタンを押して切符が出た。(*どうしてこれがダメなのか説明しましょう)
○ボタンを押して切符を出した。

*「ビンの蓋が開かない」と「ビンの蓋を開けられない」はどう違うか説明しましょう。

2.(人が主語でも)意志的に動作を達成できない、あるいは意志が問題とならない
(英語が)わかる、(大学に)受かる、(富士山が)見える、(問題が)解ける、(泥棒が)つかまる、(鏡に)映る、(背が)伸びる
cf。理解する→理解できる 合格する→合格できる

3.くれる
「あげる」は「あげられる」という可能形を持つが、「くれる」には「くれられる」という形はない。

・「〜得る」を使うと無生物が主語でも「起こる可能性がある」ことを表す

自動車事故は誰にでも起こり得るものである。
そんなことは、あり得ない。

・他動詞の可能形と自動詞が同じ形
解く(他動詞)/解ける(「解く」の可能形および自動詞)
抜く(他動詞)/抜ける(「抜く」の可能形および自動詞)
焼く(他動詞)/焼ける(「焼く」の可能形および自動詞)

上の動詞との比較
続く(自動詞)/続ける(他動詞)
付く(自動詞)/付ける(他動詞)

敬語で尊敬語には可能形があるが謙譲語にはない。しかし昨今、謙譲語を可能形にした誤用例が、さまざまのシーンで見られるようになってきました。

×このカードがご利用できます。
→このカードはご利用になれます。
×ご覧いただけます。
→ご覧になれます。
×ご乗車できません
→ご乗車になれません。
×お見せできません。
×ご招待できません。

「可能形+ている」の形はない。
出す→出せる(「出す」の可能形)→×出せている
例外:今日はバッドがよく振れていますね。

おまけ?
「泣く」→「泣ける」(可能形はあるが、最近の使い方には違うニュアンスがある)
「この映画は泣ける」→「この映画はとても感動的だ」「涙を誘う」という意味でしょうか。

おまけ?
「行く」の可能形の否定は「行けない」だが、最近TVで東京方面の方言である「行かれない」が目に付くようになりました。
名古屋方面では「行けれない」と言います。

コメント(16)

北海道方言にもあります。「大雪だから行かれない」

勉強会、楽しそうですね。
> ×ご覧いただけます。

これ、だめですか?
この「いただく」は、尊敬すべき相手の「見る」という動作を「もらう」という謙譲ですから、何の問題もないと思うのですが。

 「わたしの書いた作品をご覧いただけませんか。」

と同じだと思います。

 「このソースをお使いになれば、どなたでもおいしくいただけます。」

最近テレビでよく耳にする誤用ですが、これとは性格が異なるので区別する必要があると思います。


> 「泣く」→「泣ける」

使える場面は少ないかもしれませんが、ウソナキで何かを得ようかと相談しているとき、

  「あなた、そのとき必ず泣けるよね。」

と言えば、これは明らかに可能の意味です。

  「そんなクサイ演技では、観客は泣けないよ。」

これは厳しい演出家。
可能の意味から離れることもあるけれど、可能の意味も生きていることを確認したくて書きました。
私もでくさんと同じく「ご覧いただけます」はOKだと思います。

それから、
>×このカードがご利用できます。
→このカードはご利用になれます。

>×ご乗車できません
→ご乗車になれません。

は、主語が聞き手だから、
尊敬表現「お〜になる」の可能形「お〜になれる」を使うのが本来の使い方で、
謙譲表現「お〜する」の可能形「お〜できる」を使うのは誤用。
ということで理解できるのですが、

でも、
>×お見せできません。
>×ご招待できません。
の主語は、話し手(または話し手に属する物など)と考えられるのですが。それなら「お〜できる」は誤用ではないですよね???

「私の書いた小説は、恥ずかしくて人様にお見せできるようなものじゃありません」
「予想を上回る応募で抽選となってしまい、(わが社は)たくさんのお客様をご招待できませんでした」
>×お見せできません。
>×ご招待できません。

見逃してました。(^^;;
松子さんに賛成です。

「できません」の語感にミもフタもない拒絶の感じがあるので、多くの場合、謙譲表現と相性が悪いのかもしれませんね。

  お見せいたしかねます。
  ご招待さしあげかねます。

敬語はホント、厄介です。
コメントありがとうございます。

でくさま

「ご覧いただけます。」はルフトハンザ航空機内で乗客に向け読み上げるマニュアル本にあったものを、その客室乗務員の方が「これって変じゃないですか」と協会の日本語教師に問いかけた表現です。「今はこれも認知されている」「許容範囲だとされている」という結論でした。しかし、よく考えるとやはり、おかしいというのが個々の教師たちの意見でした。

「いただく」「もらう」は受給行為であり、話し手が相手の行為によって受益者となる行為です。
「右手に富士山がご覧いただけます」
乗客が富士山を見る行為自体で航空会社は益を得るのでしょうか。

もちろん「ご覧いただけませんか」とは語法が明らかに違いますね。これは話し手が相手にその行為を請う場合であり、相手に選択権があるニュアンスを含めた「可能形」です。


「泣ける」はもちろん<「可能形」はある>と書きました。
私もよく可能形の意味で使っています。
ただ最近の使い方はそれだけの使い方ではないという説明です。

松子さま

ここでは相手の行為つまり「尊敬語」の意味で謙譲語が使われているものを列挙しました。

おっしゃるとおり「お見せできません」「ご招待できません」は話し手の行為であれば誤用ではありません。ご指摘ありがとうございました。

それでは「ご利用できません」「ご乗車できません」は謙譲語としてでもなりたたないのか、なぜなのか、みなさま説明できますか。


日本語の敬語は「屋上屋を架す」の傾向が強くなり、変な敬語が「おかしい」と思われなくなっています。

「〜させていただく」を聞くたびに「許可した覚えは無い」と思いますし、「お疲れ様でした」と、こちらがお客の立場のところで言われると「ねぎらってもらう立場ではない」と思います。
だから生徒には教師に向かって「お疲れ様でした」は言ってはいけないと最初に教えます。
>それでは「ご利用できません」「ご乗車できません」は謙譲語としてでもなりたたないのか、なぜなのか

駅の切符自販売機などの「新札はご利用できません」とか、確かに「利用する」の主語になるのはこのメッセージの書き手じゃなく、読み手(乗客)なので、誤用ですね。
それでも、話し手が主語の時でも「ご利用できません」や「ご乗車できません」も使えないというのが、謙譲語の性質の違いに問題があると思います。

謙譲語には二種類あると、だいたい言われています。
?「お/ご〜する」で作れるタイプの「お見せする」など、申し上げる、差し上げる、伺うなど。これは、動作主がその動作の対象に敬意を持ち、自分の動作を低めるような表現である。
例:私は昨日先生にお会いしました。
  先生が忙しかったので、お会いできませんでした。
*動作の対象を高める謙譲語とも言える。

?申す、存じる、参る、いたす、などです。話し手が聞き手に対して配慮し、へりくだる表現です。動作の対象じゃなく、聞き手に対する敬語なので丁寧語に近い機能を持っています。自分がへりくだるための表現なので、自動詞にはたくさん使えます。
例:私は夜の新幹線に乗車いたします。
  父はパリに参りました。

参考:菊池康人 2004『敬語』講談社
(菊池は上の?は謙譲語A、?は謙譲語Bと名付けています)

つまり、「乗車する」という表現は、動作の相手がいないので、?の「お/ご〜する」の謙譲語タイプに出来ません。
→「私は電車にご乗車します」はそもそも言えないので、その可能形も作れません。

この説明で大丈夫でしょうか。母語話者じゃないので、ご指摘いただければと思います。
    
>タリさん
とってもわかりやすかったです!しっかり頭の中で整理できました。ありがとうございます。
(そういえば、学生時代に習った…のに、もうすっかり抜けていました。)
6: ファーティマB さん:
コメントありがとうございます。

「ご利用できません」「ご乗車できません」の文法的解明は、タリさんが見事に明かしてくださいましたね。

> 「右手に富士山がご覧いただけます」
> 乗客が富士山を見る行為自体で航空会社は益を得るのでしょうか。

  「お客様に快適なご旅行をなさっていただけるよう、お手伝いさせていただきます。」

「いただく」を二度使ってみましたが、これもダメということでしょうか。
そのことで乗客が快適になるのなら、それは航空会社の利益であるとも言えます。

> もちろん「ご覧いただけませんか」とは語法が明らかに違いますね。

シチュエーションによっては、そうとは限らないでしょう。

  「乗務員さん、富士山が見えないよ〜。」
  「え? ご覧いただけませんか?」

> 日本語の敬語は「屋上屋を架す」の傾向が強くなり、変な敬語が「おかしい」と思われなくなっています。

たしかにそうですね。
人間関係や差別につながりそうな言葉など、いろいろ気を使わないといけない言葉は、時とともに重みを失い、より重い表現が使われるのではないでしょうか。
逆に差別につながりそうな言葉は重みを増して、より遠まわしな表現に変化するようです。
ところが、母語話者の語感が一斉に変化するわけではないので、ある人には自然でもある人には不自然という事態が起きるのでしょうね。

> 「〜させていただく」を聞くたびに「許可した覚えは無い」と思いますし、

同感です。連発されると耳につきます。

> 「お疲れ様でした」と、こちらがお客の立場のところで言われると「ねぎらってもらう立場ではない」と思います。

理髪店では、気持ちよく受け入れています。「こんなに長い時間座らせてお疲れでしょう。」という意味だと解釈しています。でも、理髪店の不手際で必要以上に時間がかかったときに言われたら、イヤミのひとつも残して帰るかもしれません。(^^)

> だから生徒には教師に向かって「お疲れ様でした」は言ってはいけないと最初に教えます。

この誤用はよく耳にしますね。
わたしは、「上位者から何かをしてもらったときは使わない。」と教えています。
タリさま

見事なご回答ありがとうございます。


私は生徒に教えるときに、自分が自分のためにすること、例えば「散歩する」などは使えないといいます。

でくさま

 「お客様に快適なご旅行をなさっていただけるよう、お手伝いさせていただきます。」

「いただく」を二度使ってみましたが、これもダメということでしょうか。

悪文の例ですよね。実際こういう使い方を聞きます。いつから、こういう言い方が頻繁に使われる世になったのでしょうね。この流れを私達日本語教師は止めることがかなわないのなら、せめて私達自身が使わないようにしたいものですよね。


ただこれこそ、私が指摘した「させていただく」のオンパレードです。でくさん例文ありがとうございます。

「お客様に快適なご旅行がご提供できるよう、お手伝い致したいと存じます」

と言えないのだろうかと思います。

 「乗務員さん、富士山が見えないよ〜。」
 「え? ご覧いただけませんか?」

富士山が見える、見えないことを、客室乗務員がどうこうできるというニュアンスがあり、その隠された尊大さに「この人はどういう日本語を使うのだろう」と思います。

「すみません。これ、私が書いた小説ですが、ご覧いただけないでしょうか」と相手の意向を伺うまたは許可を得る(自分の望むことを婉曲にいう)場合に使うと文法書にはあります。

「させていただきます」をおかしいと思わない者の一人にならないよう、頑張りましょう。
こんにちは。

「させていただきます」は国会の審議の場でも1995年ごろから使用頻度が増えてきているようですね。(「質問させていただきます」「お答えさせていただきます」)

参考:薄井良子(2006)「…させていただきますの国ー国会会議録検索システムを使用してー」『社会言語科学会第17回大会発表論文集』

この現象も、でくさんがおっしゃったように、「いろいろ気を使わないといけない言葉は、時とともに重みを失い、より重い表現が使われる」ことの一例なのだと思います。

つまり、「…させていただきます」の場合は元々の使役(させる)+謙譲(いただきます)=許可を得て何かをする、という意味が徐々に薄まって、最近は単なる謙譲語Bあるいは丁寧語として使われているのではないでしょうか。
(逆に言えば、「いたします」などでは敬意が不足していると感じられて、「させていただきます」を使う、ということでしょうか。)

なお、申し添えますが、「国会議員が使っているから正しい」などと言いたいわけではありません。ただ、時系列でなされた研究の一例として挙げてみただけです。
個人的には、日常的な他の場面でも同じようなことが起こっているのではないか、と思います。
カツさま

こんにちは。カツさまのお書きになったことは、私はじめ教師協会の者も日々変化していく日本語に接し同じようなことを感じております。

横断歩道がないところでも、人が多くそこを通るとそこに横断歩道ができるように、「おかしな日本語」でも多くの人が使うと「広辞林」などで採用され、「正しい日本語」になっていきます。

「させていただきます」も今その変遷を辿っているのでしょうね。どの時点で許容範囲とするかは、教師側の判断によるところはあります。すでに桐原書店の「試験に出る文法と表現」でも「敬語」の項目で「意思表示の表現」として「させていただきます」が採用されています。まだ主流ではないですが、使用する年齢層も広がり「おかしい」と思う人が逆に少なくなっていくことでしょう。ただ現時点で「変だ」という感覚を日本語教育に関わっている方々には失ってもらいたくないと思います。

「おかしな日本語 正しい日本語」(柏書房)は「敬語」の誤用例が多く参考になりますので、皆様にも一読をお勧めします。(全て賛同しているわけではないですが)

協会の教師の中でも「おいしいです」「うれしいです」といった「い形容詞+です」が奇異に感じない者もおります。
わたし自身も外国人学習者が使う日本語としては、許容範囲だなあとは思っています。「とても」も少し前は「とても考えられない」と否定形でしか使われなかったようですが、いまは「とてもきれいです」と肯定形のほうが主流です。

古代時代の遺跡から「最近の若い者は・・」と書かれた木簡が発掘されたと聞きます。いつの世も年配の人は自分よりも若輩の者たちの「言葉」に眉を顰めるものらしい。それだけ私もちょっと長く生きたってことでしょうね。
「させていただく」は、ファミレス・コンビニ敬語と呼ばれるものの中によく登場する表現ですよね。

ファミレス・コンビニ敬語がどうして生まれてきたのか、といった背景を考えると、
このような表現が普及するのもしかたないのかな、とも思います。

敬語を使い慣れない学生のアルバイトが、短時間で数々の仕事をこなさなければならない、
その数々の仕事だって短期間で覚えなければならない、
でもお客さんに対応するのに、友達と話すのと同じことば遣いでよいわけもなく、さてどうしよう、
じゃ、敬語の「基本文型」を覚えておいて、それに代入して使おう、というのが始まりにあるような気がします。

あ、「させていただく」の多用に賛成しているわけではありません。
ただ、「おかしい!」「正しい!」と単に分けるのではなく、
必ずそのような変化が生まれる背景には、何らかの原因があって、
まずはそれが何なのかを知ることが大事なのではないかと思うのです。

今は、少しずつですが、このような敬語の使用を見直してきちんと従業員に教育しよう、というチェーンも出てきています(本当に少しずつですが)。

ファミレス・コンビニ敬語のようなことば遣いが生まれた背景を知った上で、じゃあどうやって現状を変えていこうか、という方法を探るのも、
私たちのような仕事をしている者にできることなのではないかと思います。
10: ファーティマB さん、コメントありがとうございます。

> ただこれこそ、私が指摘した「させていただく」のオンパレードです。

一度だけでも「オンパレード」ですか。よほど「させていただく」が腹に据えかねておられたのか、よくわかりました。
確認のため、わたしが提示した例文を再掲します。

9> 「お客様に快適なご旅行をなさっていただけるよう、お手伝いさせていただきます。」

ここの「させていただく」について言えば、
わたしは旅行するとき気ままに歩くのが好きなので、お手伝いなど余計なお世話だと思うのですが、それが彼の仕事なのだから、私の希望に沿わなくても言わざるを得ないのだと解釈するでしょう。

>  「乗務員さん、富士山が見えないよ〜。」
>  「え? ご覧いただけませんか?」
>
> 富士山が見える、見えないことを、客室乗務員がどうこうできるというニュアンスがあり、その隠された尊大さに「この人はどういう日本語を使うのだろう」と思います。

「富士山がご覧いただけます。」と案内した後の言葉としては、尊大でもなんでもないと思います。

>「すみません。これ、私が書いた小説ですが、ご覧いただけないでしょうか」と相手の意向を伺うまたは許可を得る(自分の望むことを婉曲にいう)場合に使うと文法書にはあります。

どこの文法書かわかりませんが、わたしは文法書を鵜呑みにしないことにしています。自分の浅い知識と語感で導き出した法則を確認するために利用しています。(手に負えない時はカンニングもしますが(^^;;)
松子さま でくさま
コメントありがとうございます。

文法がまず最初にありきではなく、言語の実態に即して、その中から法則性を見出したものが「文法」であるとするのが言語学なので、「文法的におかしい」という言い方こそ「おかしい」のですが、「規範的な日本語」と異なる場合は、教師は、学習者の言葉を訂正していく必要がありますよね。

生徒の中には日本語能力検定試験の1級2級を受けるものもいますので、定められた期間内に、多くの問題をこなしていくためには、文法をこちらが端的に説明できなければなりません。

でくさんの場合は1級を受験をする生徒の指導はどうしていますか。

私は職業病なのか、この表現は何級レベルとか、初級の表現だったら更に細かく「教科書」の第○課で出てくると思ってしまいます。

Wikipediaからです。
<日本語の乱れ>
「〜させていただく」の濫用
上記の「さ」入れ言葉以前の問題として、誰かの許可を得て何かを「させていただく」わけでない場面で、単に「いたす」の代用として「〜させていただく」と言うこと自体を嫌う向きもある。形式的にだが、反対する余地を残した言い方をすることで、高圧的な印象を薄める、同意を得て進行するという印象を持たせる、という意識が働いているわけで、これはいろいろな敬語表現に共通する発想であるとあまり否定的な評価をしない見解もある。さらに、一見、反対する余地を与えるような表現をしながら結果的には一方的に進めていくこと自体があまりに形式的として反発する向きもある。

例:
×それでは閉会させていただきます。(「誰も閉会していいとは言ってないぞ」「嫌だと言ったら閉会を取り止めるのか」などとして「閉会いたします」が正しいとする人もいる)

コンビニ・ファミレス言葉は、マニュアルを最初に作ったのは「スカイラーク」だそうで、現在スカイラークはそのファミレス言葉を使わないように指導しているとも聞きました。このバイト言葉は若者だけではなく、上の年齢層にも広がっていることで、不文律的にマニュアル化された特殊な接客用語とも言えるとWikipediaでは書かれています。


主語が客であれば「ご覧になる」の可能形で「ご覧になれる」
乗務員が主語であれば「お客さまに(こちらが用意したものを)ご覧いただく」
しかし、客がその用意したものを見ることを拒否した場合は、「ご覧いただけなくて残念です。」と表現できるかもしれません。

「富士山が見えない」
に対しては
「ご覧になれませんか」
と客が主語の文で答えるほうが自然であり、受給表現を使って自分(航空会社)の受益の意味を含んだ「ていただく」を使うと、主語も話し手本人であるところから、敬意を表しているつもりが、逆の効果になると思いませんか。

省略された主語をいれて考えると更にわかりやすくなるかと思います。
「富士山が見えない」
「(私は)(お客さんに)(富士山を)ご覧いただけませんか?」

受給表現の「ていただく」「てくださる」の違いは主語だけではなく、主体性がどちらにあるかです。「見てもらう」「ご覧いただく」は話者のほうから、相手にお願いして相手を納得させて、相手がその行為に及ぶのに比べ、「見てくれる」「ご覧くださる」は相手自らが望み、話し手が喜ぶ行為です。ただし、どちらも受益者は話し手です。

乗務員がその気のない(または主体性のない)客に富士山を見るように頼み、その行為で乗務員が何か得があるともとれます。

丁寧なようでありながら、押し付けがましい印象があるのでは。


日本語って本当に教えていて面白いですね。
初めまして、都内某大学の日本語教師養成講座を受講しているものです。

つい先日敬語表現が授業の主題で扱われました。いままで、避けてきた話題なので、腰を据えて勉強しようと思った矢先、まさに「〜いただく」表現でつまづいております。ここのトピは大変さんこうになります。ありがとうございます。

ところで「ご覧いただけませんか」がオーケーと感じてしまうのは、何となくわかる気がします。本来「お(ご)〜になる」が尊敬表現ですが、ひょっとすると最近の人は「〜になる」をそうとらえていないきらいがあるような気がします。あくまで持論ですので反対意見も是非聞きたいです。それと、きちんと敬語というのを系統立てて教わるということもないので、(学校でそういうクラスがあれば、どんなに助かったことでしょう)なんとなく使えばそれらしくなる「〜ていただく」を乱用してしまったのではないでしょうか。

「〜ていただく」は謙譲表現で、例えば「(我々は)(お客様に)ご利用いただきありがとうございます」ならいいですが、ここで問題になっている、でくさんの指摘する「ご覧いただけませんか」は、客の行為を低めているような気がするのですが、いかがでしょうか。なぜ、いいのかを論じてないので行為の方向性が見えにくくて、何がどう正しく感じてどう違うのかが上記の「ご覧いただけませんか」において、わからなくなってしまいました。

気がつくと「〜ていただけませんか」をよく使っていて、果たして自分が今正しい意味で使っているのか、ふと疑問に思ってしまうことが多くなり、使うのを気が引けてしまっています。

こういうときに、「ご説明していただけませんか」と聞けるのでしょうか。よろしくお願いします。

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