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ゴスペルハウスコミュの「毒麦のたとえ」2020.10.18

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ゴスペルハウスメッセージ 2020.10.18
「毒麦のたとえ」 マタイ 13:24-30、36-43

24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は次のようにたとえられます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
25 ところが人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて立ち去った。
26 麦が芽を出し実ったとき、毒麦も現れた。
27 それで、しもべたちが主人のところに来て言った。『ご主人様、畑には良い麦を蒔かれたのではなかったでしょうか。どうして毒麦が生えたのでしょう。』
28 主人は言った。『敵がしたことだ。』すると、しもべたちは言った。『それでは、私たちが行って毒麦を抜き集めましょうか。』
29 しかし、主人は言った。『いや。毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。
30 だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。』」

36 それから、イエスは群衆を解散させて家に入られた。すると弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
37 イエスは答えられた。「良い種を蒔く人は人の子です。
38 畑は世界で、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らです。
39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたちです。
40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのようになります。
41 人の子は御使いたちを遣わします。彼らは、すべてのつまずきと、不法を行う者たちを御国から取り集めて、
42 火の燃える炉の中に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
43 そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。

今週の聖書箇所は「毒麦のたとえ」です。
実際にドクムギという植物があり、その実には、菌によって毒があるそうです。
芽生えは麦とよく似ているので、実りまで区別することは簡単ではありません。
インターネット検索で、画像も見られます。

さて、前回のたとえ話のメッセージでもお話しした通り、イエスさまのたとえばなしには大きなポイントが1つあります。
ではこのたとえのポイントは何でしょうか? 
それは「この世の終わりには裁きがある」です。

旧約時代には、罪のための捧げものとして動物(牛・ヤギ・羊など)が殺されました。
(レビ記にはその詳細が書かれています)
捧げる人は、その動物のいのち(血)によって贖われ、罪を赦されました。
捧げるときに殺される動物に対して、同情することはありません。
情け容赦なく殺されます。罪の贖いのためです。

このたとえばなしでは、今度(この世の終わり)には、自分自身が裁かれるよ、と伝えているのです。
情け容赦なく、罪のための裁きがあなたに下ると言っているのです。
当時の人々には衝撃的な内容だったことでしょう。

しかし、このたとえばなしをイエスさまが語っているという事実を見逃してはなりません。
道徳家でもなく、律法学者でもなく、救い主・イエスさまが語るとき、このたとえばなしの本質が見えてきます。

2000年前に、あなたの罪のために、すべての人の罪のためにイエスさまは死にました。十字架上で死にました。
イエスさまは、3年間の公生涯の間、様々な奇跡を起こしました。
死人を生き返らせ、嵐をしずめ、悪霊を追い出し、病を癒し、水の上を歩きました。
しかし、イエスさまが死んだとき、そこには奇跡は起きませんでした。
情け容赦なく、苦しみ、痛み、血を流して、イエスさまは死んだのです。
まるで、いけにえの動物のように。

まったく罪のないイエスさまが、まったくの罪人になり、あなたの罪を負ったのです。
罪がないからこそ、他の人の罪を負うことができたのです。

そのイエスさまが語ったたとえなのです。
世の終わりのときに、裁きは必ずある。
しかし、私はそのためのいけにえになる。
すべての罪は私が背負う。
私はそのために血を流す。
その血を浴びるとき、毒麦は変わる! 
これがイエスさまの心なのです。

神様の目から見れば、イエスさまの十字架の救いなしに救われる資格を持った人など1人もいないのです。
みんな裁かれて殺されるのです。
みんな毒麦だったのです。
人間の目から見たら立派な人も、立派な信仰を持った人も、すべて毒麦だったのです。
例外はありません。
イエスさまの弟子だったペテロやパウロも、旧約時代のアブラハムやダビデたちも、後のマザーテレサやマルチン・ルターやローマ法王だって、みんな毒麦だったのです。
しかし、御言葉とイエスさまの血によって、よい麦に変えられたのです。
毒麦を最後まで見守って、愛して、最後の最後までチャンスを下さるのがイエスさまなのです。

9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(ペテロの第2の手紙3:9)

どんなに、遺伝子組み換え技術が進んでも、毒麦をよい麦に完全に変えることはできません。
しかし、イエスさまの十字架の血潮を浴びるならば、毒麦はまったく新しいよい麦に変えられるのです。
本来焼かれて捨てられるはずだった私たち毒麦は、神様の宝物として、神様の倉に入れられるのです。

あなたは毒麦です。
私も毒麦です。
しかし、イエスさまの十字架の血潮が、あなたを変えました。
イエスさまの十字架の血潮が、私も変えました。
あなたは、今はよい麦です。
私も、今はよい麦です。
天使が歌いながら、私たちを喜びます。
そう、あなたも私も神様の宝物になったのです。

神様の宝物として、愛されて、喜んで、生きましょう。

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