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ゴスペルハウスコミュの「善人の最善と神様の最善」2023.02.11

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ゴスペルハウスメッセージ 2023.02.11
「善人の最善と神様の最善」ヨハネ2:1-12

1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。
2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。
3 ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
4 すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」
5 母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
6 そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つ置いてあった。それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。
7 イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
8 イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
9 宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、
10 こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」
11 イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
12 その後イエスは、母と弟たち、そして弟子たちとともにカペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。

今週の聖書箇所は、「最初のしるしとして」(11節)とあるように、イエスさまの最初の奇蹟です。
ガリラヤ地方のカナという町の、結婚式でのできごとです。
わが家の聖書かるたの「け」には、「結婚式 かめの水が ぶどう酒に」とあります。
これまでに何度もメッセージしていると思っていたのですが、調べてみると、今日が初めてでした。

当時の結婚のお祝いの宴は、親類・知人・友人をたくさん招いて、1週間から2週間もかけて行われるものでした。
士師記第14章では、サムソンも7日間の祝宴をしていました。
カナの婚礼には、イエスさまの母のマリアも、イエスさまも弟子たちも招かれていました。
その祝宴で、たくさん用意されているはずのぶどう酒がなくなってしまったのです。
これは、一大事です。
宴会の中心は、本来は結婚した二人を祝うためですが、実際は、お酒です。
みなさんも、結婚披露宴やお葬式の後の食事会で、体験したり見たりしたことがあるでしょう。
マリアはそれで、イエスさまに頼りました。
イエスさまは、少し(かなり?)そっけない態度でしたけれど、給仕の人たちに、「水がめを水でいっぱいにしなさい。」(7節)と指示しました。
指示通りに水がめをいっぱいにしたら、それが、上等なぶどう酒に変わっていたというのが、あらすじです。

1メトレテスは約40リットルですので、「二あるいは三メトレテス入りのもの」であった水がめは、80リットルあるいは120リットル入りのものです。
間をとって100リットルとして計算すると、6つの水がめには、600リットルのぶどう酒ができたことになります。
現代のワイン瓶は、750ミリリットルが主流なので、800本分にあたります。

この箇所からは、
「わたしの時はまだ来ていません。」(4節)
「あの方が言われることは、何でもしてください。」(5節)
「彼らは水がめを縁までいっぱいにした。」(7節)
「最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。」(11節)
など、いくつもお伝えしたい内容があるのですが、今週神様から与えられたテーマは、「善人の最善と神様の最善」です。
この場で現れた、善人の最善と神様の最善を通して、御言葉を開いていきましょう。

祝宴の世話役はこう言いました。
「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが」(10節)
これは、普通の人の最善です。
礼儀としても、経済的な面でも、良いことでしょう。
酔う前には味がしっかりわかるし、酔っ払ってしまったら安いぶどう酒でも問題ありません。
祝宴に来た人たちも、十分に受け入れられる、普通の最善です。

ところが、この花婿は、悪いぶどう酒を用意しませんでした。
世話役の味見にも、悪いものはありませんでした。
彼は、良いものだけを用意したのです。
ただし、その結果なのか、ぶどう酒は足りなくなってしまいましたが。
そう、この花婿は、普通の人ではなく、善人だったのです。
彼の最善は、決して悪いものではなかったのですが、でも、足りなかったのです。
人間の最善は、それが善人であっても、決して悪いものでなかったとしても、欠けがあるのです。
決定的に足りないことがあるのです。
それが、不完全な存在である人間の限界なのです。

それに対して、イエスさまが用意したのは、水がめ6杯分のワインボトル800本分の上等なぶどう酒です。
決して足りなくなることのない、あり余るほどの最高が用意されたのです。
それが、神様の最善なのです。
ただ、そのためには、すぐには理解できない経緯が必要になることもあります。
給仕の人たちが水を入れた水がめは、ぶどう酒を入れるためのものではありませんでした。
きよめの儀式のために使用する水がめです。
「ぶどう酒が足りなくなっているのに、きよめの儀式のために使う水がめに水を満たす」のは、通常あり得ない行動です。
そんなことをしても、なんの役にも立ちませんから。
しかし、神様の最善は、その先にあるのです。

普通の人の最善は、「悪くなけりゃいい」「なんとなくうまく行けばいい」「叱られなければそれでいい」という程度です。
「クリアさえしとけば」とか「攻略しちゃえば」とか、現代の風潮にも通じます。
善人の最善は、「良いもの」「良いこと」を願い、行動します。
しかし、どこかに欠けがあったり、不足があったりします。
神様の最善は、最良のものを、あり余るほど、惜しみなく与えます。
そして、その最たるものが、イエスさまの十字架です。
あなたの罪を赦すために、神様のひとり子であるイエスさまを、十字架につけて殺したのです。
「何もそこまで」と思うかもしてませんが、それが神様の最善なのです。

あなたは、どの最善を生きたいですか。
普通の人の最善を生きて、なんとか人生をやり過ごしますか。
善人の最善を生きて、心を尽くし、そして、自分の足りなさを味わいますか。
神様の最善を生きて、神様が用意する、あり余るほどの喜びの中で生きますか。
うまく人生を攻略しようとしますか。
自分でまっすぐぶつかって、足りなさに気づきますか。
神様の約束に、神様の言葉に、信頼して、最高を得ますか。

あなたは、どうしたいですか。
そして、神様は、あなたにどう望んでいますか。

イエスさまの十字架の死は、覚悟と愛の死は、あなたが神様の最善を生きるためのものなのです。


【参考聖書箇所】
士師記
14:10 彼の父がその女のところに下って来たとき、サムソンはそこで祝宴を催した。若い男たちはそのようにするのが常だった。
14:11 人々はサムソンを見て、客を三十人連れて来た。彼らはサムソンに付き添った。
14:12 サムソンは彼らに言った。「さあ、あなたがたに一つの謎をかけよう。もし、あなたがたが七日の祝宴の間に、それを見事に私に解き明かし、答えを見つけることができたなら、あなたがたに亜麻布三十着と晴れ着三十着を差し上げよう。
14:13 もし、それを解き明かすことができなければ、あなたがたが私に、亜麻布の衣服三十着と晴れ着三十着を差し出すことにしよう。」彼らは言った。「謎をかけなさい。われわれは聞こう。」
14:14 そこで、サムソンは彼らに言った。「食らうものから食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」彼らは三日たっても、その謎を解き明かすことができなかった。
14:15 七日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「おまえの夫を口説いて、あの謎をわれわれに明かしなさい。そうしないと、火でおまえとおまえの父の家を焼き払ってしまうぞ。おまえたちはわれわれからはぎ取ろうとして招待したのか。そうではないだろう。」
14:16 そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがって言った。「あなたは私を嫌ってばかりいて、私を愛してくださいません。あなたは私の同族の人たちに謎をかけて、それを私に明かしてくださいません。」サムソンは彼女に言った。「見なさい。私は父にも母にもそれを解き明かしてはいないのだ。おまえに解き明かさなければならないのか。」
14:17 彼女は祝宴が続いていた七日間、サムソンに泣きすがった。七日目になって、彼女がしきりにせがんだので、サムソンは彼女に明かした。それで、彼女はその謎を自分の同族の人たちに明かした。

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