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ゴスペルハウスコミュの「まめな誠実が生んだ愛」2023.02.04

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ゴスペルハウスメッセージ 2023.02.04
「まめな誠実が生んだ愛」サムエル記下 17:22-29

22 ダビデと、ダビデのもとにいたすべての者たちは、ヨルダン川を渡り始めた。夜明けまでにヨルダン川を渡りきれなかった者は一人もいなかった。
23 アヒトフェルは、自分の助言が実行されないのを見ると、ろばに鞍を置いて自分の町の家に帰り、家を整理して首をくくって死んだ。彼は彼の父の墓に葬られた。
24 ダビデがマハナイムに着いたとき、アブサロムは、彼とともにいるイスラエルのすべての人々とヨルダン川を渡った。
25 アブサロムはアマサをヨアブの代わりに軍団長に任命していた。アマサは、アスリエル人イテラという人の息子で、イテラは、ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュの娘アビガルと結婚していた。
26 イスラエルとアブサロムはギルアデの地に陣を敷いた。
27 ダビデがマハナイムに来たとき、アンモン人でラバ出身のナハシュの息子ショビと、ロ・デバル出身のアンミエルの息子マキルと、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライは、
28 寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、炒り豆、
29 蜂蜜、凝乳、羊、チーズを、ダビデと彼とともにいた民の食糧として持って来た。彼らが「民は荒野で飢えて疲れ、渇いています」と言ったからである。

この聖書箇所は、アブサロムの反乱のときのできごとです。
アブサロムの反乱、アブサロムとの戦いは、ダビデの人生の中でも最も辛い戦いの一つでしょう。
実の息子にいのちを狙われ、王座を捨てて逃亡し、そして、戦いの結果、部下のヨアブがダビデの命乞いの司令にも関わらずアブサロムを殺すのです。

その反乱の途中で、エルサレムから逃亡したダビデ一行を、王を宣言したアブサロムがどう対処するのか、この第17章で話し合いが始まります。
アヒトフェルは、1万2千人ですぐに追撃し、ダビデ王一人のいのちを奪うことを進言します。
そして、それを自らやると言ったのです。
アブサロムたちは、さらに、フシャイの考えを聞きます。
フシャイは、そうではなく、じっくりとしっかりと、大軍で陣を敷くように進言します。
フシャイは、ダビデのためにアブサロムのところに残った者ですので、ダビデのいのちを救うために、この策を進言したのです。
神様がアブサロムたちの心を動かし、フシャイの策が採用されることになりました。
アヒトフェルは、失望したのか、諫めるためなのか、自らいのちを絶ちました。

ダビデ一行は、フシャイからの情報をもとに、ヨルダン川を無事に渡り終えました。
アブサロムが大軍で川を渡ったときには、すでに20kmほど離れたマハナイムにいたのです。
ただ、それでも安心はできません。
急いで逃げてきたため、また、ダビデ王を慕う人たちも多くいたため(15章14節以降参照)、十分な食料も、十分な武器も、機動性もないのです。
このままでアブサロムの大軍とまともに対峙してしまったら、ひとたまりもないでしょう。

そこに、「アンモン人でラバ出身のナハシュの息子ショビと、ロ・デバル出身のアンミエルの息子マキルと、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライ」(27節)の3人が来て、ダビデとともにいる人たちのために、大量の食糧を運び込んでくれたのです。
ショビの父親ナハシュは、生前ダビデと友好関係にありました。
ナハシュの死後、後継者のハヌンにも、ダビデは誠実を尽くそうとしました。
ハヌンの侮辱によって、ダビデはハヌンを滅ぼしましたが、ナハシュの子であり、ハヌンの兄弟であるナハシュは、ダビデの誠実を知っていました。
マキルは、ヨナタンの息子であるメフィボシェテを保護していました(9章参照)。
サウル王の息子であるヨナタンと、無二の親友であったダビデ王は、メフィボシェテを迎え入れ、王の食卓でともに食事をすることができるようにしました。
ヨナタンへの愛情が、メフィボシェテへの誠実を生んだのです。
バルジライについては、このときまでのダビデ王との関わりは、聖書には記されていません。
しかし、ダビデ王の誠実については、知っていたでしょうし、ショビやマキルからも聞いていたことでしょう。
彼らが、ダビデのために、その一行のために、食糧をプレゼントしてくれたのです。

戦いのために、また、そこで生き残るために、一番必要なのは食べ物、兵糧です。
兵糧がしっかりしていないと、戦力や武器が少し勝っていたとしても、負け戦になります。
それは、多くの戦争が歴史上で証明してきたことです。
アブサロムに追われ、戦わざるを得なくなっているダビデにとって、まさに最高の贈り物、最適な贈り物だったのです。
詩篇23篇5節にこうあります。
「私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。私の杯は あふれています。」
まさに、比喩ではなく、このときこのことが実現したのです。
そしてここから、ダビデの戦いは勝ち戦に転じたのです。

3人のダビデへの支援、もちろんそれは、神様がすべてを支配して、差配して、行われたことです。
しかし、そのもとになったのは、その手がかりになったのは、ダビデの日々の誠実の積み重ねです。
ダビデの、まめな誠意の結果です。
まめは、鬼を追っ払うために使うのではなく、まめな誠意は、まめな誠実は、愛を生み育てるものなのです。
神様が、それを見て、活かすからです。
人は見落とすことがありますが、神様は見落とすことがないからです。

ダビデの、まめな誠実、まめな誠意、まめな真実に対して、「そら豆、レンズ豆、炒り豆」が贈られたのです。
神様も、シャレが効いてるなぁと、感心しました(冗談です)。

あなたのまめな誠実が、まめな誠意が、あなたを救うのです。
神様が、その誠実な関係を利用するからです。
また、あなたに注がれた誠実・誠意が、あなたを救える人にします。
神様が、その関係を利用して、あなたに助ける力を、愛する力を与えるからです。

そう、あなたに注がれた誠実が、あなたに愛する力を与えるのです。

では、もっとも大きな誠実を、もっとも大きな誠意を、あなたに示したのはだれですか。
死に至るほどの、いのちがけの誠実を、あなたに示したのはだれですか。
それは、イエスさまです。
イエスさまの十字架です。
それだけでなく、あなたに、これでもかと言わんばかりに、まめにまめに、誠実を尽くし続けるのがイエスさまです。

だからあなたは、注がれた誠実によって、愛する力を与えられているのです。
しぼり出す愛ではなく、あふれ出す愛が与えられているのです。
その愛を、だれに注ぎましょう。
その愛を、だれに与えましょう。

聖書は、こう言います。
「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:5)
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」(レビ記19:18)
神様と隣人を、あなたは愛することができるのです。

まめが生んだ愛を、誠実が与えてくれた愛する力を、あなたのものにしましょう。
そして、その愛を十分に用いて、今日を生きましょう。

あなたのために、お祈りします。


【参照聖書箇所】
マタイ
22:36 「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
22:38 これが、重要な第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
22:40 この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

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