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ゴスペルハウスコミュの「神様が命じたものさえも」2022.10.01

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ゴスペルハウスメッセージ 2022.10.01
「神様が命じたものさえも」列王記下 18:1-8

1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。
3 彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。
4 高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いた。そのころまで、イスラエル人がこれに犠牲を供えていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。
5 彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。
6 彼は主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。
7 主は彼とともにおられた。彼はどこへ出て行っても成功を収めた。彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかった。
8 彼はペリシテ人を討ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。

わが家の聖書かるたの「ひ」には、「ヒゼキヤは 主のあわれみで いやされる」とあります。
そのヒゼキヤ王が、今週の聖書箇所の登場人物です。
南王国ユダのヒゼキヤ王の父親、前王のアハズは、神様に対して、とても悪い王でした。
主権者である神様に対して悪い王ということは、そこに住む人民に対しても悪い王ということです。
主権者である国民に対して不誠実な政府が、悪い政府であるということと、同じことです。

ヒゼキヤ王は、紀元前700年頃の王で、「彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。」(5節)とあるほどの、良い王でした。
徹底的に偶像を、ニセモノの神を、王国から取り除いたのです。
神様は、ヒゼキヤ王を祝福し、勝利を与え、王が脇道にそれてしまった後にも、憐れみを注ぎました。

今回は、「モーセが作った青銅の蛇を砕いた」(4節)に焦点を当てて、御言葉を開いていきましょう。

この青銅の蛇は、モーセが神様に逆らって勝手に作った像(偶像)ではありません。
民数記第21章5-9節にあるように、神様が、助けを祈り求めたモーセに対して、命じて作らせたものです。
神様とモーセに対して逆らった民に、神様が燃える蛇を送りました。
蛇は民にかみつき、多くの人たちが死にました。
しかし、モーセが作った旗竿ざおの上の青銅の蛇を見ると、噛まれても死ななかったのです。

旗ざおの上の蛇を見上げるだけで、死を免れる、死から解放されるのです。
これは、イエスさまの十字架の雛形です。
十字架という木の上につけられたイエスさまを、自分の救い主として見上げるだけで、死と罪から解放されるのです。

出エジプト記第32章では、モーセの兄アロンが金の子牛の像を作ってしまいました。
これはまったくの偶像でした。
しかし、モーセが作った青銅の蛇は、神様が命じたものであり、死からの解放という力あるしるしがありました。
この青銅の蛇は、確かな救いと力の証拠となるもので、壊せるはずもなければ、捨てられるはずもないものでした。

しかし、ヒゼキヤ王は、この青銅の蛇を砕きました。
神様が命じて作らせたものであるにも関わらず、いのちを救ったものであるにも関わらず、きっぱりと、はっきりと、破壊したのです。

それは、イスラエルの民が、この蛇に捧げ物をしていたからです。
「神様がモーセに作らせて、人を救う奇跡を行った青銅の蛇を礼拝する」ことと、
「人を救う奇蹟のために、モーセに青銅の蛇を作らせた神様を礼拝する」こととは、言葉は似ているようですが、まったく違うものです。
蛇を礼拝するか、神様を礼拝するかの違いなのですから。
しかし、言葉も似ているし、どちらも良いものなので、混同してしまいがちです。
神様が与えてくれたものでさえ、偶像にしてしまう、人の罪深さを実感します。

これは、紀元前700年頃だけの話ではありません。
今でも、起こる可能性はたくさんあります。
神様が命じて作られたものが、いつの間にか神様を出し抜いて、偶像になってしまうのです。

ある先輩牧師が、こんな体験を教えてくれました。
「あなたは奇跡を信じているのですか?」と、ある人に、少し懐疑的に尋ねられました。
そこで、「いいえ、私は、奇跡を起こすことのできる神様を信じています」と答えたというのです。
奇跡は、悪いものではありません。
しかし、信じるのは、あくまで神様なのです。

悪いものを、あえて信じたり礼拝したりする人は、少ないでしょう。
良いものだからこそ、それを礼拝したり、拝んだりしたくなるのです。

教会、それはいいものです。
あなたは、「神様が与えてくれた教会に従う」のと、「教会を与えてくれた神様に従う」の区別がついていますか。
また、「神様が立てた牧師に従順である」と、「牧師を立てた神様に従順である」の、区別はどうでしょう。
「神様が起こした癒やしや奇跡に驚き、信じる」のと、「癒しや奇跡を起こした神様に驚き、信じる」も、まったくの別物です。
このように並べたら、どちらか正しい方を選ぶことも容易いと思いますが、普段の生活ではどうでしょう。

良いものだからこそ、しっかり吟味し、見極める必要があります。
悪いものは、吟味しなくても一目瞭然なのですから。
能力も、地位も、財産も、何も悪いものではありません。
しかし、それを与えてくれた神様を差し置いて、それらを大切にするものでも、拝むものでもありません。

1996年のイースターのホノルルキリスト教会の週報が、わが家には大事に保管されています。
2003年4月にブラジルで伝道し始めたときの週報は残っていないのに、私が洗礼を受けたときの週報は、捨てられないでとってあるのです。
ステキな手描きのイラストが表紙に描かれている週報です。
これは、神様との出会いを忘れないため、神様を信じた喜びを忘れないための記念の品です。
しかし、もしそれが、礼拝の対象になってしまったら、誇りになってしまったら、つまり偶像になってしまったら、捨てるしかありません。
燃やすしかありません。
ヒゼキヤ王のように、きっぱりと、はっきりと、覚悟をもって。

あなたに良いものを与える神様を礼拝しましょう。
あなたの中にある偶像からか解放され、本当の自由の中に生きましょう。

あなたのためにお祈りします。


【参照聖書箇所】

民数記21:5-9
5 神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」
6 そこで主は民の中に燃える蛇を送られた。蛇は民にかみついたので、イスラエルのうちの多くの者が死んだ。
7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
8 すると主はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」
9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。

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