ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ゴスペルハウスコミュの「やもめと裁判官のたとえ」2022.09.25

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ゴスペルハウスメッセージ 2022.09.25
「やもめと裁判官のたとえ」ルカ18:1-8

1 いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。
2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
3 その町に一人のやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私を訴える人をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
4 この裁判官はしばらく取り合わなかったが、後になって心の中で考えた。『私は神をも恐れず、人を人とも思わないが、
5 このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、 私は疲れ果ててしまう。』」
6 主は言われた。「不正な裁判官が言っていることを聞きなさい。
7 まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。
8 あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

このたとえばなしのテーマは明確です。
1節に書いてあるとおり、「いつでも祈るべき」で、「失望してはいけない」です。
登場人物は2人、裁判官とやもめです。
裁判官は、神様を恐れず、人を人とも思わない、不正な裁判官でした。
神様も人も大切にしないということは、利権や財産や栄誉を大切にし、賄賂が大好物と言っていいでしょう。
一方やもめは、夫をなくし、弱く貧しい人です。
一般的に、大切にされにくい人ともいえます。

やもめには、裁判官を動かすほどの賄賂を贈る財力がありません。
なので、繰り返し訴え続けるしかないのです。
そして、不正な裁判官は、うるさいから、しつこいから、裁判を開くことにしたのです。
それは、やもめの境遇に配慮したのではなく、うるさすぎて自分自身が疲れてしまうという都合からです。

うるさく、しつこく、訴え続ける。
今なら、ストーカーとか、□□ガーとか、言われそうですね。
しかし、聖書は、神様は、それをよしとするのです。

マタイの福音書第7章7節に、「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます」とあります。
この「求めなさい」「探しなさい」「たたきなさい」は、「求め続けなさい」「探し続けなさい」「たたき続けなさい」という意味なのです。
「し続ければ、叶う」と、言うのです。

また、マルコの福音書第10章15節には、「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」とあります。
子どもとは、純真とか、素直とか、謙遜とか、そういう意味ではありません。

何年か前のできごとです。
私が部屋でパソコン仕事をしていると、「トトトトト」と廊下に足音が聞こえてきました。
そして、ドアがカラカラっと開いて、子ども(当時2歳前)が顔をのぞかせました。
「パパァ!」と言うので、「なに?」と答えると、「なんでもない!」と笑顔でドアを閉めて帰っていきます。
5分後、「トトトトト」「カラカラ」「パパァ!」と、再びやって来ました。
「なぁに?」と答えると、「なんでもない!」と笑顔でドアを閉めて帰っていきます。
そしてまた、3分もたたないうちに、「トトトトト」「カラカラ」「パパァ!」・・・、「トトトトト」「カラカラ」「パパァ!」・・・
何度も何度も同じことの繰り返しです。
パソコンの前で、私は、なすすべもありませんでした。

そう、子どもは、幼子は、遠慮がなく、くどいのです。
遠慮していては、すぐに諦めていては、神様の国を手に入れることはできないのです。

このやもめも、同じように、遠慮がなく、くどかったのです。
それで、不正な裁判官を、動かしたのです。
裁判の結果も、もちろん「やもめの勝訴」と、わかっています。
なぜなら、やもめの訴えを退けたら、またしつこくやって来つづけるからです。

不正な裁判官ですら、やもめにとって良いものをくれるのです。
だから、なおのこと、全知全能の正義の神様が、あなたに良いものをくれないはずがありません。
これは、神様を信じたら、苦しみや悲しみがなくなるということではありません。
聖書の中の信仰者も、みんな、苦しみや悲しみを経験しました。
アブラハムも、モーセも、エリヤも、ダビデも、ダニエルも、そして、イエスさまだって。
苦しみや悲しみがあるからこそ、神様に求め続け、探し続け、たたき続けるのです。

もう一つ、失望しないための秘訣があります。
それは、「恥を受け入れること・プライドを捨てること」です。

このやもめは、裁判官以外の、周りの人から見ても、うるさかったはずです。
きっとそれは、やもめにとって、恥ずかしいことだったでしょう。
しかし、やもめはそこを乗り越えて、訴え続けたのです。

ルカの福音書第15章に「放蕩息子のたとえ」があります。
その中に、こうあります。
「しかし、彼は我に返って言った。」(ルカ15:17)
恥を受け入れ、プライドを捨てた彼は、ここから再出発し、自分自身を取り戻すのです。
父親のもとへ向かい、父親に抱きしめられて、愛された者としての自分を得るのです。

恥を受け入れ、プライドを捨てたとき、本心に立ち返ったとき、あなたと神様の本当の関係が始まります。
祈りましょう、失望してはいけません。
悪い者でも、不正な者でもない、神様がいるのですから。
とりなしてくれる、イエスさまがいるのですから。
あなたの前には、良いものが用意されているのです!


【参照聖書箇所】
マタイ7:7-11
7 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
8 だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。
9 あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。
10 魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。
11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。


マルコ10:13-16
13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。


ルカ15:17-21
17 しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。
18 立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。
19 もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』
20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
21 息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゴスペルハウス 更新情報

ゴスペルハウスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング