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ゴスペルハウスコミュの「人道回廊ではない」2022.07.30 ゴスペルハウスメッセージ

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ゴスペルハウスメッセージ 2022.07.30
「人道回廊ではない」ルカ14:25-33

25 さて、大勢の群衆がイエスと一緒に歩いていたが、イエスは振り向いて彼らに言われた。
26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。
27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
28 あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。
29 計算しないと、土台を据えただけで完成できず、見ていた人たちはみなその人を嘲って、
30 『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。
31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようと出て行くときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうか、まず座ってよく考えないでしょうか。
32 もしできないと思えば、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和の条件を尋ねるでしょう。
33 そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。

今週の説教題は、「人道回廊ではない」です。
人道回廊とは、戦争時や紛争時の非武装地帯の一つです。
人道的な援助のため、人民の避難のため、通行の安全を保証するものです。

つい先日、ニュースでこんなことを言っていました。
ウクライナ領内に侵攻していたロシア軍の兵士1000人が、ウクライナ軍に包囲され、ロシアはその兵士たちを避難させるために、ウクライナに対して人道回廊を要求したというのです。
私はこのニュースを聞いて、驚きました。
なぜなら、人道回廊は、軍や兵士には適用されないからです。
兵士は、武器を捨てて、白旗を揚げて、降伏して、捕虜になるのです。

今週の聖書箇所で、イエスさまは、「わたしの弟子になることはできません。」(26,27,33節)と、繰り返しました。
その要求は、なかなかに難しい内容です。
しかし、マタイ福音書の巻末で、「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ 28:19)と、あります。
こんな厳しい条件で、あらゆる国の人々を弟子とするのは、不可能なチャレンジのようにも感じます。

その不可能を可能にする鍵は、28-32節のたとえ話を、イエスさまが語ったということです。

前半のたとえでは、塔を建てるとありますが、別の訳では、家、邸宅と書かれてもいます。
つまり、簡単ではない何かを、神様の前に成し遂げるということです。
そのために、自分の持っている金・財産が足りるかどうか、「まず座って」つまり、落ち着いて計算するということです。
そうでなければ、笑い者になる、バカにされるというのです。

後半のたとえは、他の王と戦う、敵対する相手を屈服させたい、言うことを聞かない相手に言うことを聞かせたいということです。
自分の思い通りを実現すると言いかえることもできるでしょう。
そのときに、自分の力・兵力が、相手に対して勝っているか、足りているか、「まず座って」つまり、落ち着いて考えるということです。
そうでなければ、戦いに敗れ、滅びます。
考えた結果によっては、使者を送って講和するという、外交も必要になります。

どちらも、「まず座って」とありますが、まず座ったら、何が得られるのでしょうか。

「自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら」(26節)と、イエスさまは言います。
それらは、私たちが、つい誇ってしまったり、価値あるものと考えたり、してしまうものです。
「父が国会議員で」「母が社長で」「妻が女優で」「子がプロ野球選手で」「兄弟が金持ちで」「姉妹の嫁ぎ先が名家で」などです。
また、信仰の世界でも、「私は5代目クリスチャンで」「先祖が殉教しました」「父が有名な牧師で」「私は奉仕や献金をしっかりしてて」、あるいは、信仰の深さや善行が自慢になることもあるでしょう。

これらは、他人には威張れるかもしれません。
また、他人からは、褒められるかもしれません。

しかし、神様の前では、全知全能の完璧で完全な神様の前では、無意味で無価値なものです。
それはあたかも、塔を建てようとして、財産が足らない人のようです。
土台だけ据えて、笑い者になるだけです。
また、戦いにおいて、自分の兵力が、戦いに必要なものに足りない王のようです。
つまり、神様の要求に対しての、神様との戦いに必要な力に対しての、自分の力の不足です。

神様とは敵対していないと考える人もいるかも知れません。
しかし、聖書ははっきりと言います。
「なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。」(ローマ8:7)
「節操のない者たち。世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。世の友となりたいと思う者はだれでも、自分を神の敵としているのです。」(ヤコブ4:4)
罪人である人間のそのままの思いは、この世に調子を合わせている人間の思いは、神様と敵対するのです。

では、どうしたらいいのでしょう。
「このままの姿で赦してくれ。見逃してくれ。責めないでくれ。」という、人道回廊の要求は、通用しません。
なぜなら、神様に敵対している私たちには、つまり、神様への敵兵である私たちには、人道回廊は適用されないからです。

なので、すべきことは一つです。
武器を捨てて、白旗を揚げて、降伏して、捕虜になるしかないのです。
「自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎む」とは、自分の財産・武器のすべてを手放すということです。
それらを、死刑の道具、滅びの道具、呪いの道具、つまり十字架につけて、それを掲げるのです。
自分の十字架、それは、イエスさまの十字架とは違うのです。
イエスさまの十字架は、救うための十字架です。
それに対して、自分の十字架、あなたの十字架は、救われた者としての十字架、自分の力を滅ぼすための十字架なのです。

3つの「わたしの弟子になることはできません。」(26,27,33節)は、弟子になるための条件は、人道回廊にあるのではなく、武器を捨てて、神様に降伏したところにあるのです。

神様と戦うのを、やめましょう。
自分や家族を誇ることを、やめましょう。
そのとき、あなたは、神様の愛の中の捕虜に、神様に愛される人に、なれるのですから。

あなたのためにお祈りします。

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