ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ゴスペルハウスコミュの「1%の鬱屈」 ゴスペルハウス2022夏便り(2)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2022年8月夏休み
ゴスペルハウスからのお便り(2)

「1%の鬱屈」(証詞)

「以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の諸氏族である。大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである。」(創世記10:32)


1996年のこと。
クリスチャンになった私が、はじめに与えられた奉仕は、小学生の教会学校の先生でした。
クリスチャンになる直前まで大手塾の講師だったこともあり、子どもへの対応ができ、話すのも得手ということで、選ばれたのでしょう。

小学4年生から6年生までの担当になった私は、毎週、子どもたちに福音を語り続けていました。
「Aくん、イエスさまは君を、いのちを捨てるほどに愛しているんだよ」
「イエスさまの十字架によって、Bさんは、神様の子どもとされたんだ」
「CくんもDさんも、永遠のいのちをいただいてるんだ」
私は、100%の確信を持って、子どもたちに語りました。
福音を伝えること、それは、とてつもない喜びでした。

しかし、その喜びを得ながら、私の心は一つの鬱屈を抱えていました。
“この子たちは、100%イエスさまの十字架で救われる。もちろん、私も救われるはずだ。でも、もしかすると、私のように罪深く、良いわざも行なえない、取るに足らない者は、救いから漏れるのではないだろうか。”
99%は大丈夫と思っているのですが、1%ほどの危惧が、私の心に暗い影を落としていたのです。

そんな状態の私が、聖書を開いた時に、この創世記第10章が目に留まりました。
ここには、ノアの子孫たちが書かれています。
ヤペテの子孫が14氏族、ハムの子孫が30氏族、セムの子孫が26氏族、計70氏族です。
彼らのうちの多くは、他の聖書箇所に出てくることのない者です。
名だたる者でない、特筆すべき者でもない、そんな人たちです。
しかし、神様は彼らのすべてを知り、すべてを認め、すべてを受け入れてくれたのです。

この事実は、私の人生を一変させました。

神様の愛は、特別な人にだけ与えられるものではない。
神様の愛を受けるには、何の資格もいらない。
立派な行ないができなくても、どんなに罪深くても、どんなに弱くても、神様の愛は注がれている。

私の1%の鬱屈は、神様の愛によって、完全に払拭されました。
私は、この弱く醜いままで、神様に知られ、認められ、受け入れられていたのです。
私は今、100%の愛で満たされています。

私が立派ではなくても、神様の愛が立派なのです。
私が特筆すべき者ではなくても、イエスさまの十字架が特筆すべきものなのです。

この愛の招きに、あなたも招かれています。
あなたは、あなたのまま、神様に知られ、認められ、受け入れられているのです。
100%の確信を持って、私はあなたにお伝えします!

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゴスペルハウス 更新情報

ゴスペルハウスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。