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ゴスペルハウスコミュの「あなたの前に置かれている」2022.07.23

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ゴスペルハウスメッセージ 2022.07.23
「あなたの前に置かれている」申命記30:15-20

15 見よ、私は確かに今日あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く。
16 もしあなたが、私が今日あなたに命じる命令に聞き、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令と掟と定めを守るなら、あなたは生きて数を増やし、あなたの神、主は、あなたが入って行って所有しようとしている地で、あなたを祝福される。
17 しかし、もしあなたが心を背け、聞き従わず、誘惑されてほかの神々を拝み、これに仕えるなら、
18 今日、私はあなたがたに宣言する。あなたがたは必ず滅び失せる。あなたがヨルダン川を渡り、入って行って所有しようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くことはない。
19 私は今日、あなたがたに対して天と地を証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
20 あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためである。まことにこの方こそあなたのいのちであり、あなたの日々は長く続く。あなたは、主があなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われたその土地の上に住むことになる。

神様に導かれ、モーセをリーダーとして、エジプトから脱出したイスラエルの民。
その40年間の歩みは、民の裏切りと、神様の愛と赦しと支え、民の悔い改め、そしてまた、民の裏切りという、繰り返しでした。
神様は、たくさんの励ましと、たくさんの祝福を民にくれました。

そして今、モーセを通して神様は、「いのちと死」「幸いとわざわい」を、人々の前に置きました。

人間の世の基準だと、強い者、賢い者、財力のある者、地位のある者が、良いものを手に入れます。
または、努力や工夫に優れた者が手に入れることもあります。
それ以外にも、多数派が権利を握り、少数派や弱い人が、不利を被ること、割りを食うこともあるでしょう。

しかし、神様の基準では、そうではありません。
一人ひとりの「選択」が、何を選ぶかが、手に入れるものになるのです。
具体的にいえば、「本物の神様を選ぶ」か、「ニセモノの神を選ぶ」か、です。
ニセモノの神は、人間の欲を満たすために、人間が作ったものです。
または、サタンが人間に作らせたものです。

ですから、言い換えると次のような選択になります。
「神様の計画、神様の御心に、自分をとどめる」か、
「自分の計画、自分の欲望のために、神を用いる」か、
この2つの選択です。

もっと短くすれば、「主権者はだれなのか」という問いでもあります。
主権者を間違えれば、宗教や信仰を抜きにしても、国が滅びます。
例えば、国民主権であるはずの国で、一部の政党や内閣だけが好き勝手をするならば、司法も立法も牛耳って、マスコミやメディアも統制するならば、それは亡国の輩ということになるでしょう。

しかし、神様の基準は、能力でも努力でもなく、「選択」です。
それが民の一人ひとりの前に、あなたの前に、置かれているのです。
ヨシュア記第24章15節に、こうあります。

「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」(ヨシュア記 24:15)

仕えるというのは、従うとか言うことを聞くとかという意味よりも、属するという意味合いのものです。
居住地を選びその土地の住民になるとか、国籍を選びその国の国民になるとか、そのような意味合いのものです。
「本物の神様を選ぶ」か、「ニセモノの神を選ぶ」か、簡単な選択ですね。
本物の神様に、主である神様に、仕えればいいだけ、属せばいいだけのことです。
そして、この選択は、今のあなたにも、そのまま適用されています。

「あなたの選択が、あなたを救うのです!」
と、2000年前の私ならば、メッセージしたことでしょう。

しかし、だれ一人、その選択を成し遂げた人はいなかったのです。
主権者がだれであるのかを、だれに属すればいいのかを、取り違えてしまったのです。
ヨシュアに問いかけられたとき、民はすべて「私も主に仕える」と応答したのです。
しかし、自分が主権者になろうとする人間の罪が、罪から離れられない人間の性質が、それを妨げたのです。
律法では、だれも救われることはなかったのです。

だから、イエスさまが地上に来たのです。
罪に負けてしまう、あえて罪を受け入れてしまう、そんな人のために。
罪にがんじがらめにされた人を救うために。
十字架の死に至るまで、イエスさまは、あなたを愛しているのです。

だから今、あなたの前に置かれているのは、この日に、この聖書箇所に置かれているものとは違うのです。
「裏切らないように、主につくことを選び、いのちと幸いを得よ」ではないのです。

あなたの前に置かれているのは、次の2つです。
「罪人であること、主権者を取り違えてしまう者であることを認め、救い主イエスさまの十字架で赦されて生きる」と、
「自分の信仰や善行や努力や能力で、神様にかなう者、天国にふさわしい者になる」です。

「聖書の中の聖書」とも言われる、ヨハネの福音書第3章16節にこうあります。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
あなたの前に置かれている選択に、選別はありません。
「一人として滅びることなく」、一人の例外もなく、選択した者は救われるのです。

今、あなたの前に置かれている、「十字架の赦しといのち」と「努力や能力による滅び」。
あなたは、どちらを選びますか。
あなたは、何者として、生きていきますか。

あなたの選択のために、お祈りします。

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