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ゴスペルハウスコミュの「世は、地の上か、水の上か」 2022.01.29

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ゴスペルハウスメッセージ 2022.01.29
「世は、地の上か、水の上か」ルカ1:1-4

1-2 私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。
3 私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。
4 それによって、すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。

今週の聖書箇所は、ルカの福音書の冒頭です。
世界中の人々にイエスさまを伝え、励ましを与え、救いに導いたルカの福音書。
実は、たった一人の人、テオフィロさんのために書かれたものなのです。
のみならず、同じくルカが記した使徒行伝も、テオフィロさんへの書簡です。
「たった一人のために」というテーマでメッセージをしたこともありますが、今日は、別のテーマで聖書を開きましょう。

ルカは、宣言します。
初めからの目撃者が伝えたとおりのことを書き上げます。
信頼できる目撃者が言ったとおりということは、事実そのものということです。
裏側に隠されている意味や真実はともかく、起こった実際の出来事ということです。
それを順序立てて、嘘やごまかしなしで、書こうというのです。

もう、20年以上前になりますが、ある先輩牧師が礼拝説教でこのようなことを言っていました。
「雪原をまっすぐに歩くためには、足元だけを見ていてはならない。
振り向けば、足跡はグネグネと曲がっている。
足元ではなく、遠くの一本杉のような目印から目を離さないで、そこを見つめて歩いていけばよい。
そうしたら、振り向けば、あなたの足跡は真っ直ぐになっているから。」

学生時代にヨット乗りだった私は、この話を聞いて、「そのとおり!」とは思いませんでした。
なぜなら、そうではなかった経験があったからです。
高校2年生のときに、私は初めて国体に出場しました。
島根県の隠岐の島で行われたレースは、私にとって初めての日本海でのレース、外海でのレースでした。
スタートして第1マーク(ブイ)に向かうのですが、最後のアプローチで、何回もマークに到達できないで、ずれていってしまうのです。
乗り慣れた船で、いつもどおりのメンバーで、万全のレースのはずでしたが、ピッタリのコースをとると、ずれてしまうのです。

原因は、海流(潮流)でした。
普段、小さな湾の中で練習していた私たちは、初めての強い流れに対して、無策だったのです。
自分たちがしっかりコースを取ったつもりでも、足元から流されて、ずれてしまったのです。

だから、先輩牧師の一本杉のたとえばなしも、「動かない陸の上ならね」と、思ったのです。

先日受け取ったメールに、チャックスミス牧師の言葉として、記されていた言葉があります。
「神は駐車している車を操作することはできない」
止まっている車のハンドルを切っても、車は方向を変えることはないから、動かなくてはならないというたとえです。

私にはこれも、「陸の上ならね」という気がしました。
先程も言った隠岐の島のレースは、台風一過のコンディションで行われました。
そのため、大きなうねりが残っていました。
私たちがレース開始を港で待っていると、港に入ろうと、一艘の漁船が航行してきました。
ところが、大きなうねりがその船を持ち上げ、前に運び始めたのです。
すると、漁船はコントロールを失い、90度横に回転し、転覆しそうになったのです。
漁船はエンジンで動いていましたが、それ以上のうねりの力の中で、水に対する速度を失い、コントロールができなくなったのです。

逆に、聖書には、動力も舵もないのに、潮流の運ぶままに進んだ舟もあります。
ノアの方舟です。
自力で進むことも、自力で方向を決めることもできない方舟は、神様のみこころのとおりに運ばれたのです。

地の上という堅く動かない場所と、水の上という流れがあり不確かな場所では、すべきことも起こることも違っているのです。

今、あなたが住んでいる世、あなたのこの世の人生は、堅く動かない場ではありません。
流れ行きやすく、流されやすい、不確かな場です。
「一寸先は闇」という言葉がありましたが、「一寸先は光」どころではなく、「一寸先はあるのか?」というような世界なのです。

世は、地の上ではなく、水の上なのです。
だから「一本杉を見つめてれば、まっすぐ」ではないのです。
レースが終わったあと、流れの早い水域での、自分のまっすぐの保ち方を聞きました。
自分の位置から目標物を見て、そのまっすぐの延長上に、もう一つの目標物を持つこと。
自分と近くの目標と遠くの目標が、つねに一直線になるようにしたら、方向を保てるのです。
信仰生活で言えば、あなたと、イエスさまの十字架と、神様の愛の一直線です。
神様の愛は十字架を通して注がれますし、十字架抜きに神様の愛に到達することはできません。
この一直線上にあなたがいれば、世の欲に流されることはありません。
流されそうになっても、すぐに修正できます。

世は、地の上ではなく、水の上なのです。
だから「あなたが前に進めばいい」ではないのです。
自分のハンドルを手放して、自分のアクセルから足を離して、神様のみこころにゆだねることも大切です。
自分の工夫や知恵で乗り切るのではなく、神様の導きのままに、そのままにすることが、大切なのです。

聖書には、事実が記されています。
人の手や考えで、こねくり回すことは必要ありません。
そのとき、聖書を読む人たちは、説教者たちは、説教を聞く人たちは、本当の道を見つけます。
本当の導きに生きることができます。

ルカは、そのままの事実を書き記しました。
あなたは、そこから何を読み取りますか。
そして、何を生きますか。

あなたのためにお祈りします。

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