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ゴスペルハウスコミュの「ないところにある愛 --クリスマス--」2021.12.25

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ゴスペルハウスメッセージ 2021.12.25
「ないところにある愛 --クリスマス--」ルカ2:1-7

1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

クリスマス、おめでとうございます。
イエスさまのお誕生、おめでとうございます。
イエスさまが生まれたのは、約二千年前のベツレヘムです。
皇帝が命じた住民登録で、ごった返している中でした。
身重のマリアには場所が与えられず、イエスさまは家畜小屋で生まれ、飼葉桶に寝かされたのです。

パソコンもインターネットもない時代、それどころか、紙も鉛筆もない時代に、スピーディーに登録が済むわけがありません。
今日の日本で、マスク配布や給付金交付をするのでさえ、やたらと時間がかかるのですから、当時は言わずもがなです。

私たち(私・妻・長男のハレル)がブラジルに行ったのは、2003年4月2日でした。
宗教ビザで、有効期限は1年(翌2004年4月2日まで)です。
1年単位の更新を続ければ、5年間まで滞在できるということでしたし、その途中で永住ビザへの切り替えの申請もできるということでした。

滞在が半年を過ぎた頃に、連邦警察にビザの延長更新について問い合わせに行きました。
すると「早すぎるよ。3ヶ月後においで。」ということでした。
その3ヶ月後(滞在9ヶ月)に行くと、「まだ早いから、何もできないよ。」と帰されました。
不安になって翌月にまた行くと、「え?もう2ヶ月しかないから、書類作成は間に合わないでしょう。」と言われ、大慌てになりました。
ちょうどその頃、次男タリタが生まれたこともあって、宗教ビザの更新は諦めて、急遽、子どもがブラジルで生まれたことによる永住権の申請に切り替えることにしました。

それでも、用意する書類は膨大です。
あちこちの役所を行ったり来たりしながら書類を集め、なんとか提出できると思われたとき、連邦警察がストライキに入ったのです。
無期限のストライキで、いつ開庁するのか、一切予測がつきません。
そうこうしているうちに、3月も中旬を過ぎ、ビザの期限まで、10日ほどになりました。
ストライキの有無に関係なく、4月2日をすぎればビザは失効し、永住権の申請もできなくなります。
手続きの手伝いをお願いしていた旅行会社の係の人からは、「申請書の提出は本人でなければできません。」と言われ、毎朝、連邦警察に出向くように指示されました。
開庁したとしても、夕方までに再びストライキに入る可能性があるからです。

しかし、ちょうど3月下旬から4月1日まで、私はマリンガ(サンパウロから約700キロ西方)での出張伝道が予定されていたのです。
マリンガへ行く前は、朝から夕方までずっと、生徒に授業をする予約が入っていたので、連邦警察に出向くことができるのは、4月2日のワンチャンスだけです。
旅行会社の係の人は「そんなリスクの大きい行動は理解できない」ということでしたが、それ以外に方法がありません。

私が4月2日に連邦警察に出向くと、なんと、開庁していました。
ストライキによって止まってしまった分と、ボリビア人に対する恩赦の手続きが重なり、長蛇の列がありました。
遅々として進まない行列の中、自分の順番まで開庁しているのか、勤務時間内に窓口にたどり着けるのか、不安や疑念は募るばかりです。
いつもなら周りの人々を見て、のんびりした気持ちでいられる場所なのですが、その日に限っては、自分のことだけで精一杯で、周りに目を向ける余裕がありませんでした。

二千年前のベツレヘムも、自分のことだけで精一杯の人たちばっかりだったのでしょう。
ベツレヘムはダビデの町なので、登録しようとする人は大勢いたことでしょう。
だれもが、早く登録を済ませて、地元へ、自分の家へ、帰りたかったはずです。

住民登録に来ている人は、身重のマリアに対して、生まれてきそうな子ども(イエスさま)に対して、だれも目を向けようとしなかったのです。

ひどいと思いますか?
確かに、2003年頃のブラジル人から見たら、ひどい人たちです。
妻は、ブラジルで2度出産したのですが、妊娠期間中に、電車や地下鉄で立っていられたことがありません。
まわりの人たちが「座りなさい」と言って席を譲り、「次の駅で降りるから」と言っても、「じゃあ、次の駅まで座りなさい」と言われていたのです。
弱者に対して、徹底した配慮がある国でした。

しかし、2020年頃の日本人から見たら、普通の仕打ちかも知れません。
「妊婦やベビーカーは邪魔だから、電車に乗らないでほしい」とか、「俺たちだって仕事で疲れているのに、なんで席を譲る必要があるのか」とか、「小さな子ども連れでも、松葉杖ついていても、エスカレーターの右側を空けない人は非常識なんだ」とか、愛のかけらもない姿があふれているのです。

ともあれ、
だれにも目を向けてもらえない。
だれにも居場所を与えられない。
だれからも愛も関心も向けられない。
そんな、何にもないところに生まれたのが、イエスさまだったのです。

神様なら、宿屋の貸し切りだって、できたはずです。
「マリアは月が満ちた。神は宿屋の人々をすべて去らせ、マリアは安心して暖かい部屋で男子の初子を産んだ」ということも、可能だったはずです。
しかし、神様は、そうしなかったのです。

それは、なぜでしょう。
神様は、「ないところにある愛」を、全世界に届けたかったのです。
だれにも目を向けられず、居場所も与えられず、愛も関心も向けられない、そんなところに愛を届けたかったのです。

それは、すべての人に、その愛が届くためです。

イエスさま抜きのクリスマスに浮かれている人たちにも、愛を。
神様なんていないし、神様なんていらないという人たちにも、愛を。
忙しくてそれどころでないという人たちにも、愛を。
そして何より、だれからも愛される資格がないと思っている人にも、愛を。
だれにも目を向けられず、居場所も与えられず、愛も関心も向けられない、絶望の中にいる人に愛を注ぐために、愛を届けるために。

イエスさまは、ないところに生まれた愛そのものです。
また、その生涯を通じて、ないところに愛を注ぎ続けました。

あなたが、喜びの中でイエスさまを忘れたとしても、イエスさまの愛は、そこにあるのです。
あなたが、悲しみの中、苦しみの中でイエスさまを忘れたとしても、イエスさまの愛は、そこにあるのです。
絶望があなたを覆い、縛り付けたとしても、イエスさまの愛は、そこにあるのです。

ないところにある愛、イエスさまの愛は、決してあなたを見捨てないのです。
今日も、これからも、この愛とともに生きましょう。

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