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ゴスペルハウスコミュの「いつくしんで」2021.10.23

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ゴスペルハウスメッセージ 2021.10.23
「いつくしんで」マルコ10:17-22

17 イエスが道に出て行かれると、一人の人が駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた。「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」
18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。
19 戒めはあなたも知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え。』」
20 その人はイエスに言った。「先生。私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」
21 イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」
22 すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。

今週の聖書箇所は、「金持ちの青年」というテーマで知られています。
みなさんも、何回もメッセージを聞いたり、本で読んだりしたこともあるでしょう。
今週はここから、イエスさまの愛を開いてまいりましょう。

17節に「イエスが道に出て行かれると」と、さらっと書かれています。
どこから道に出てきたかというと、その直前に、子どもたちを祝福した記事があります。
そのとき、子どもたちを祝福してもらおうとした人々を、弟子たちは叱っています。
それは、この道を歩んでいるイエスさまに、並々ならぬ決意・緊張感があったからです。
この道は、エルサレムへの道行きです。
もっと簡単にいうと、十字架の死への道行きです。
イエスさまにとって、気楽な愉快な旅ではないのです。
弟子たちは、そんな詳細を知ってはいませんでした。
しかし、イエスさまの様子で、察したのです。
それで、親たちを叱ったのです。
しかしイエスさまは、そんな弟子たちを叱って、子どもたちを祝福したのです。
ここに、極限状態の中にあっても、衰えることのないイエスさまの愛が、覚悟の愛が、見られます。

そのエルサレムへ向かう、十字架へ向かう道に、イエスさまが再び出てきたのです。
それは、私たちにとっては、救いの道、いのちの道、希望の道です。
しかし、イエスさまにとっては、苦しく、辛く、にがい、死への道なのです。
そのタイミングで、その場所で、金持ちの青年はイエスさまに尋ねました。
「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」(17節)

これは、最高のタイミングです。
マルコ11章が、エルサレム入城を記しているとおり、あと10日もすれば、イエスさまは十字架につきます。
そして、3日目によみがえり、永遠のいのちは、信じるすべての人に開かれ、与えられるのです。
イエスさまは、「そうか、じゃあ、あと10日ばかり待っていたらいい。」と言えばいいだけなのです。

またこれは、最悪のタイミングでもあります。
ユダヤ人が何百年も待ち続けた、待ちに待った救い主が目の前にいるにも関わらず、自身で何かをして永遠のいのちを得ようと、律法の時代をクリアしようと、この青年は、もがいているのです。

イエスさまは、そんな青年の心の飢え乾きを知り、言います。
「戒めはあなたも知っているはずです。」(19節)
青年は答えます。
「先生。私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」(20節)
でも、足りないんです。
なにか決定的なものが、足りないんです。

恵まれた家庭で、精いっぱい誠実に生きてきた青年の心の求め、飢え乾きです。
自分がどんなに頑張ってもそこに届かない、苦しさや悔しさ。
精いっぱいの力を尽くしても、得られない平安。
そしてその青年の目の前にいるのは、イエスさまです。
今まさに、青年の飢え乾きを解決するべく、苦しみの盃を、呪いの死を、嘲りや無理解を受けようとするイエスさまなのです。

「イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。」(21節)
おごそかに言われたではなく、はっきりと言われたでもなく、しっかりやこっそりでもありません。
教えるように言われたではなく、諭すように言われたでもなく、もちろん、脅すように言われたでもありません。
いつくしんで言われたのです。

「いつくしむ」、それは、愛情をもって、愛情を注いで、大事にしてという意味です。
イエスさまはいつくしんで、青年に言われました。
「わたしに従って来なさい。」(21節)
あなたが今まで苦しんできたものは、私がすべてを支払って成就し解決するから。
そして、あなたにそれを無条件に与えるから。
だから、あなたを支えてきたすべてを取り払って、あなた自身が私について来なさい。
イエスさまは、施しの重要性を説いたのではなく、ともに行こうと青年を招いたのです。
それは、エルサレム入城から、最後の晩餐、十字架の死、3日目の復活、永遠のいのちへの道でした。

青年は大喜びで、イエスさまについて行・・・・・・・くことができませんでした。
今までの自分を支えていたものを、今までの自分の歩んだ道を、手放すことができなかったのです。
これが、現実、現状なのかもしれません。
この青年について、様々な伝説めいたものは残っていますが、聖書はそれを記しません。

あなたが神様の愛を語っても、私が永遠のいのちを語っても、救いを伝えられても、わからない人はいます。
あなたを、馬鹿にする人もいるでしょう。
あなたから、離れていく人もいるでしょう。

しかし、私たちはそこに、裁きの目を持たないでいましょう。
「ああ、救いを受け入れない、あわれな魂」とか「神様の愛のわからない、滅びゆく人々」とか。
そうではなく、いつくしみの眼差しを持ちたいのです。
そう、イエスさまが青年に向けたように。

なぜなら、私たちは、その眼差しを受けた者なのだから。
そのいつくしみを受けた者なのだから。
あなたをいつくしみ、受け入れ、包むイエスさまとともに、今日も生きていきましょう。

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