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ゴスペルハウスコミュの「天にのぼるイエスさま」2021.05.15

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ゴスペルハウスメッセージ 2021.05.15
「天にのぼるイエスさま」使徒1:3-12

3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。

いよいよ来週は、ペンテコステです。
弟子たちに聖霊さまが下った日、教会の誕生日ともいえる、記念すべき日です。
弟子たちに聖霊さまが下るためには、イエスさまが天に帰る必要がありました。
今週の聖書箇所は、その場面です。

イエスさまは、よみがえってから40日間、様々な方法で弟子たちに現れ、神様の国のことを教えてくれました。
いよいよ天に帰るときに、イエスさまは弟子たちにこう命令しました。
「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(4節)

これはエルサレムが特別なすばらしい場所であるという意味ではありません。
日本や他の国にいてはいけないということでもありません。
弟子たちにとってみれば、「今いる場所」なのです。
12節に「安息日に歩くことが許される道のりのところ」とありますが、およそ1キロメートル以内ということです。
「今いる場所を離れないで」、つまり、「そのままのあなたで」ということです。
また、「今あなたの置かれている状況で」ということです。

そして、することは「父の約束を待ちなさい。」なのです。
「待つ」ということは、神様に主権を明け渡した生き方の、最も大切な要素の一つです。
自分の意志や努力や工夫で獲得するのではなく、神様の与えてくれる時を待つのです。
イライラ・カリカリして待つのではなく、期待して、希望を持って待つのです。
そう、天に帰るイエスさまの命令は、「そのままのあなたで、今、置かれた場所で、神様の約束に期待して待ちなさい」と言い換えることもできるのです。

このように言われても、弟子たちは理解できないでいます。
「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」(6節)
彼らは、待つ態度がとれませんでした。
「この時」と、自分の希望の時間を勝手に設定し、「イスラエルのために・・・」と、イエスさまにリクエストしています。
自分の計画を、自分のタイミングで、成就させようというのです。

これは2000年前の彼らに限ったことではなく、私たちも良くしてしまう間違いです。
待つことができず、神様を自分の召使いのように、自分の都合通りに動かそうとしてしまうのです。
まるで、ランプから出てくる魔人へ願うかのように。

無理解な彼らにイエスさまは言います。
「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。」(7節)
主権者はだれなのか、イエスさまははっきりと宣言したのです。
主のタイミングで、主の御心がなるのです。

そして、約束の聖霊さまが与えられたときの幸福を教えてくれます。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(8節)
「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土」とは、弟子たちのホームグラウンド、彼らの考え得る行動範囲のすべてです。
それに対して、「地の果てにまで」というのは、それを越えたということです。
今いる場所だけでなく、考えられる限界の範囲ではなく、無限の可能性があなたに与えられるのです。

そしてあなたは、「わたしの証人」、イエスさまの証人になるのです。
これは頑張って伝道しようということではありません。
教会に一生懸命集い、奉仕し、礼拝しようということでもありません。
イエスさまの言葉は、創造の言葉です。
創世記第1章で、全世界・全宇宙を創り出した、力ある言葉なのです。
「わたしの証人となります。」という宣言は、あなたを、弟子たちを、イエスさまの証人にするのです。

実際、10日後に、彼らが思ってもみなかったことが起こりました。
ペンテコステの日に、聖霊様が弟子たちに働き、彼らは各国の言葉でイエスさまの証をしたのです。
弟子たちが、外国語を学んだからではありません。
弟子たちが、外国語を知っていたからではありません。
ただ、聖霊様によって、イエスさまの約束の言葉によって、なされたのです。

「こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。」(9節)
このとき、弟子たちは、喜びにあふれ、期待にあふれていたでしょうか。
そうではなく、彼らはただ「天を見つめていた」(10節)のです。
そんな彼らに、「白い衣を着た二人の人」(10節)、つまり神様の御使いが遣わされました。
そして、理解できない彼らに、裁きや叱咤ではなく、励ましと導きを伝えてくれたのです。
これが私たちに対する神様の態度です。
神様にとって私たちは愛すべき存在なのです。

この使徒行伝と同じ記者のルカの福音書には、こうあります。
「彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた。」(ルカ24:52-53)
御使いの励ましの言葉に、イエスさまの約束の言葉に、彼らは大喜びでエルサレムにいたのです。
この大喜びは、あなたへ与えられる大喜びでもあるのです。

イエスさまはあなたに、そのままのあなたで、神様の約束を待ちなさいと命令しました。
そしてあなたは力を受けます。
創造の言葉を受けます。
あなたの思っている限界を超えて、イエスさまはあなたとともに住み、あなたそのものがイエスさまを証しします。
迷っても大丈夫、神様の愛はあなたを決して見捨てません。
神様の言葉が、あなたを再創造するのです。
さあ、そのままのあなたで、神様の約束を、ちからいっぱい期待して待ちましょう。

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