ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ゴスペルハウスコミュの「嘲笑うとき、救われるとき (受難週)」 2021.03.27

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ゴスペルハウスメッセージ 2021.03.27
「嘲笑うとき、救われるとき (受難週)」 ルカ23:35-43

35 民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」
36 兵士たちも近くに来て、酸いぶどう酒を差し出し、
37 「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ってイエスを嘲った。
38 「これはユダヤ人の王」と書いた札も、イエスの頭の上に掲げてあった。
39 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
40 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

来週4月4日は、イースターです。
なので、今週の聖書箇所は、十字架上のイエスさまです。
ここから、「嘲笑うとき、救われるとき」というテーマで、聖書を開きましょう。

ここに、嘲笑っている人たちがいます。
イエスさまを、救い主を、救いそのものすら、彼らは嘲笑っているのです。

それは第一に、議員たちです。
「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」(35節)
彼らは、ユダヤ人です。
罪も神様も救いも、もちろん知っています。
しかし、自分に罪があるという自覚がないのです。
無自覚なゆえの、嘲笑です。

第二に、兵士たちです。
「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」(37節)
彼らは、ローマ兵です。
異邦人なので、神様がユダヤ民族に与えた律法も罪も、わかりません。
罪がわからない、無知ゆえの嘲笑です。

第三に、イエスさまと一緒に十字架にかけられていた犯罪人の一人です。
「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」(39節)
彼はすでに、十字架にかけられています。
死刑の執行がなされているのです。
もう、死に向かうしかない状況で、あきらめと絶望が彼をとらえています。
その絶望が生んだ嘲笑(ののしり)です。

彼らはだれも、無自覚・無知・絶望と、理由は様々ですが、自分の罪と向き合っていません。
自分自身への救いの必要性も有効性もわかっていません。
だから、残酷になり、投げやりになり、嘲笑っているのです。

ここにはまた、救われた人がいます。
救い主であるイエスさまに、救われた人がいます。

それは、 十字架にかけられていたもう一人の犯罪人です。
彼は、自分の罪と向き合いました。
自分が、罪の当事者であると、わかったのです。
ですから彼は、イエスさまにこう願いました。
「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」(42節)

本当は、ここから救い出してほしい、助けてほしいと言いたかったことでしょう。
天国に一緒に行かせてほしいと言いたかったことでしょう。
でも、言えない理由が彼にはありました。
・自身の罪が明らかで、救われる資格がない。
・だから、罪のための罰(償いの死)を、受け入れざるを得ない。
・しかも、もうすでに十字架にかけられている。死刑は執行されている。
二度と彼は、生きて地に足をつけることはありません。
そう、天国に行くには、救われるには、赦されるには、遅すぎたのです。

彼の控えめな願いに対して、イエスさまはこう答えました。
「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(43節)
彼は、イエスさまの十字架によって天国に行く事になりました。
そう、クリスチャン第一号になったのです。
自分の罪に向き合うときに、救い主があなたの救い主になるときに、あなたが救われるのに、あなたが赦されるのに、遅すぎるということはないのです。

罪の自覚のない者・罪は他人事としている者の残酷さ、そして、罪を自覚した者の控えめな態度を記した別のエピソードがあります。
ヨハネ福音書第8章1-11節です。(文末に聖書箇所があります)
姦淫を犯した女を連れてきた律法学者とパリサイ人は、自身の罪への自覚がありませんでした。
ただ、イエスさまを陥れようと、策略を練ったのです。
そのため、残酷で、攻撃的な態度でイエスさまに迫ってきます。
しかし、イエスさまの一言で、彼らは自身の罪と向き合わざるを得なくなりました。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)
そして、一人、また一人と去って行くのです。
残酷で攻撃的な態度とは、とても対照的な光景です。

残されたのは、引き出されて、ずっと自分の罪と向き合わざるを得なかった女性一人です。
そして、イエスさまは彼女に、赦しを宣言するのです。

イエスさまの公生涯は、たったの3年間です。
ですから、このとき立ち去った律法学者やパリサイ人は、イエスさまの十字架のときにも、まだ生きていたことでしょう。
彼らが、十字架の前にいたかどうか、聖書には記されていません。
いたとしても、どんな反応をしたのかも、わかりません。

しかし、わかっていることがあります。
それは、イエスさまの十字架の赦しは完全で、自分の罪に向き合うなら、そこに赦しは必ずあるということです。

すぐに理解できなくても構いません。
すぐに罪に向き合うことができなくても構いません。
そう、遅すぎるなんてことは、ないのです。

もう一人の犯罪人、第一号クリスチャンに起こった人生の大逆転は、あなたの人生にも起きるのです。
同じ救い主が、今も、生きて働いているのですから。
もう、罪から目をそむけなくていいのです。
罪と向き合うときに、本当の完全な救いが、あなたの人生に与えられるのです。



【参照箇所】
ヨハネ8:1-11
1 イエスはオリーブ山に行かれた。
2 そして朝早く、イエスは再び宮に入られた。人々はみな、みもとに寄って来た。イエスは腰を下ろして、彼らに教え始められた。
3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
4 イエスに言った。「先生、この女は姦淫の現場で捕らえられました。
5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするよう私たちに命じています。あなたは何と言われますか。」
6 彼らはイエスを告発する理由を得ようと、イエスを試みてこう言ったのであった。だが、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
7 しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」
8 そしてイエスは、再び身をかがめて、地面に何かを書き続けられた。
9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、真ん中にいた女とともに、イエスだけが残された。
10 イエスは身を起こして、彼女に言われた。「女の人よ、彼らはどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。」
11 彼女は言った。「はい、主よ。だれも。」イエスは言われた。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゴスペルハウス 更新情報

ゴスペルハウスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング