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ゴスペルハウスコミュの「羊のように、羊のようでなく(レント-1)」2021.02.20

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ゴスペルハウスメッセージ 2021.02.20
「羊のように、羊のようでなく(レント-1)」イザヤ第53章

1 私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。
2 彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。
3 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8 虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。
9 彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。
10 しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
11 「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。
12 それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」

今週からレント(四旬節・受難節)、十字架と復活への備えの時期です。
イザヤ書の第53章から、御言葉を開きたいと思います。
この章は、最もメシア(キリスト)を預言している章とも、最も愛されている章の一つとも言われます。
苦難のしもべが描かれ、イエスさま以外にありえない預言がされています。

イザヤは、イエスさまの時代から700年ほど前のです。
しかし、この預言は過去形で書かれ、まるで700年後のイエスさまの姿を見てきたかのような表現です。
時間も空間も超越した神様の御業を感じます。

2節に「ひこばえ」という言葉が書かれています。
漢字で書くと「蘖」で、切り株から出た芽のことです。
新改訳2017から採用された訳で、以前は、若芽・若木・若枝などが使われていました。

切り株は、木材を伐採したあとの部分です。
捨てられた利用価値のないもので、開墾などの場合は、邪魔ものでもあります。
木としては、死にかけている状態とも言えるでしょう。
そんな切り株に新しい命として生えるのが、ひこばえです。
それは、弱々しく見えるものかも知れません。
しかし、たしかに新しい命のあかしなのです。

この切り株にたとえられるのはイスラエルだという人もいます。
確かに、そういう解釈もできます。
傷つき、悲しみと絶望の中で停滞している、罪の虜となり、死んだような状態です。
でもそれは、当時のイスラエルだけでなく、イエスさまと出会う前のあなたでもあるのです。
このイザヤの預言は、イエスさまを通して、あなたに新しい命が与えられるという、新しい生き方が与えられるという、約束なのです。

そのために、イエスさまは十字架にかかりました。
イエスさまは、苦しみ、痛めつけられ、打たれ、砕かれ、呪われ、死にました。
しかも、それが神様のみこころだった(10節参照)のです。

そんなイエスさま(苦難のしもべ)について、こうあります。
「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(7節)
確かに、イエスさまは、この羊のように口を開きませんでした。

羊は、視力が弱く、遠くを見ることができません。
また、屠り場というものを理解してもいません。
理解したときには、もう、屠られています。
また、羊は毛を刈ってらなければ、雨や川の水で濡れてしまったときに、大変なことになります。
そして、自分で毛を刈ることもできないのです。
羊は、無知と無力のゆえに、口を開かないでいるのです。

しかし、イエスさまは、自らの進む道を知っていました。
逃げ出すすべも、逃げ出す力も、持っていました。
無知でも無力でもなかったのです。
でも、口を開くことなく、あえてその苦難を受けたのです。

羊のように、口を開かなかったイエスさま。
しかし、羊のような無知でも無力でもなかったイエスさま。
羊のようだけど、羊のようではない。
静かに仕方なく苦難を受け入れたのではなく、逃げられずに苦難を受けたのではなく、神様のみこころを進んだのです。

それは、あなたを愛しているからです。
あなたを救うためです。
死んだ切り株のようなあなたの人生に、新しい命を与えるためです。
強い意志の愛を持って、すべてを負ったのです。

この愛が、あなたに注がれています。
あなたとともにあり、決して離れることはないのです。
さあ、あなたも、神様のみこころを進みましょう。

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