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ゴスペルハウスコミュの「父の日・黒電話の招き」

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ゴスペルハウスメッセージ 2019.06.16(父の日礼拝)
「父の日・黒電話の招き」ルカ20:9-19

9 また、イエスは人々に対してこのようなたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。
10 収穫の時になったので、彼は農夫たちのところに一人のしもべを遣わした。ぶどう園の収穫の一部を納めさせるためであった。ところが農夫たちは、そのしもべを打ちたたき、何も持たせないで帰らせた。
11 そこで別のしもべを遣わしたが、彼らはそのしもべも打ちたたき、辱めたうえで、何も持たせないで帰らせた。
12 彼はさらに三人目のしもべを遣わしたが、彼らはこのしもべにも傷を負わせて追い出した。
13 ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。そうだ、私の愛する息子を送ろう。この子なら、きっと敬ってくれるだろう。』
14 ところが、農夫たちはその息子を見ると、互いに議論して『あれは跡取りだ。あれを殺してしまおう。そうすれば、相続財産は自分たちのものになる』と言った。
15 そして、彼をぶどう園の外に放り出して、殺してしまった。こうなったら、ぶどう園の主人は彼らをどうするでしょうか。
16 主人はやって来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。」これを聞いた人たちは、「そんなことが起こってはなりません」と言った。
17 イエスは彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』と書いてあるのは、どういうことなのですか。
18 だれでもこの石の上に落ちれば、粉々に砕かれ、またこの石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。」
19 律法学者たちと祭司長たちは、このたとえ話が自分たちを指して語られたことに気づいた。それでそのとき、イエスに手をかけて捕らえようとしたが、民を恐れた。

今週の聖書箇所は、「悪い農夫のたとえ」として知られている箇所です。
ぶどう園の主人は神様、農夫たちはイスラエルの民、しもべたちは預言者、主人の息子はイエスさまをあらわしています。

主人は、農夫たちから約束の取り分を受けるために、しもべを遣わします。
農夫たちはそれに応じません。
にもかかわらず、主人はしもべを送り続けます。
裏切り続けられても、理解されることがないままでも、主人は送り続けたのです。
しかも、主人はルールをまったく変えませんでした。
「じゃあ、ちょっと私の取り分を減らすから・・・」とか、「来年は、ちゃんと取り分をおさめるように・・・」とかの妥協もしていません。
農夫たちへのペナルティとして、条件を厳しくすることもしていません。
また、しもべを武装させていくこともしていません。

繰り返ししもべを送ったのは、主人が弱かったわけではありません。
「主人はやって来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。」(16節)とあるように、主人は強いのです。
にもかかわらず、繰り返ししもべを送り続けたのです。
ルールを変えないのは、主人が農夫たちに期待していたからです。
手を変え品を変え、農夫たちが立ち返るのを待っているのです。

皆さんは、ケータイ・スマホが、どこに行ったかわからなくなって探すことはありませんか。
また、コードレス電話の子機も同じように、探すことはありませんか。
私は、よくあります。
しかし、数十年前まで使われていた「黒電話」は、行方不明になることはありません。
サザエさんやちびまる子ちゃんの家では、廊下の決まった電話台の上に、黒電話は居続けます。
そこに行きさえすれば、必ず黒電話はあるのです。
探すことも、見失うことも、ないのです。

主人がルールを変えなかったのは、黒電話と同じことです。
農夫たちが、本来あるべき場所に立ち返るために、ルールを変えてはいけなかったのです。
ルールが変われば、本当のあるべき場所に帰ることができなくなってしまうのです。

しかし、農夫たちは裏切り続け、主人の思いを理解することができないままでいました。
それでも、主人は期待し、ついには愛する息子をも送るのです。
ルールを変えて立ち返る場所をなくすよりも、愛する息子を犠牲とするほうを選んだのです。
ここがこのたとえのポイントです。
イエスさまは、自分自身の十字架のわけを明示したのです。
どうしても神様に従い続けることのできない罪人のために、神様のひとり子が十字架にかかったのです。
神様はルールを変えて天国の門を閉ざしてしまうことよりも、十字架の身代わりの愛を選んだのです。
悪い農夫のままで、身代わりを立てることで、天国の門を開いたのです。

そして、あなたも悪いあなたのままで、神様の救いに預かったのです。
そうでなければ、イエスさまの十字架は無駄な死になってしまいます。
そうでなければ、イエスさまは一部の優れた人だけの救い主になってしまいます。
でも、事実はそうではありません。
イエスさまは、すべての人の救い主です。
どんな、だれであっても、イエスさまの十字架は、その人を受け入れる完全な救いなのです。

黒電話も、すべての人に開かれています。
私のように、指が太くて、しかも、爪を伸ばしている者にとって、スマホは誤操作ばかりです。
しかも、スマホの全機能のうち、私が使っているのは、ほんの一部分だけです。
黒電話は、私のように指が太くても、爪を伸ばしていても、間違いなく使えます。
また、難しい知識も必要なく使いこなせます。
まあ、電話かけるっていう機能しかないんですから、使いこなすってほどのことでもないんですけど。
黒電話は、立ち返る場所であり、すべての人に開かれているものでもあるのです。

このたとえは「悪い農夫のたとえ」ではありません。「忍耐強い主人のたとえ」「待ち続ける主人のたとえ」なのです。
主人はルールを変えず、農夫の立ち返りを待っているのです。

そう、もちろん、あなたも待たれています。
ルールは変えられることはありません。
イエスさまの十字架は、あなたのための完全な救い、完全な赦しです。
その父なる神様の愛が、今、あなたの上にあります。
ゆるがずに、そこに、あるのです。

忍耐強い主人の愛。
あなたの立ち返りを待つ、父なる神様の愛。
黒電話のような招きが、そこにあります。
今日は父の日です。
あなたに注がれている、父なる神様の愛をたっぷり受けましょう。
さあ、お祝いしましょう!

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