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ゴスペルハウスコミュの「大胆と臆病の境界」

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ゴスペルハウスメッセージ 2018.01.14
「大胆と臆病の境界」

ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、
折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
ヘブル人への手紙 第4章16節(2018年 ゴスペルハウス 年間聖句 )

「大胆に」が、今年のゴスペルハウスのテーマですが、その反対の意味として「臆病」という言葉があります。
あるいは「卑怯」とも言えるかもしれません。
今週は、大胆と臆病の境界は何かということを、聖書から開いていこうと思います。

元旦礼拝のときに、「大胆」という言葉が旧約聖書には一度も出てこないとお話ししました。
しかし、大胆に生きていた人物は、何人もいます。
今日は、アブラハムを取り上げ、そこから、大胆と臆病の境界は何かということを見ましょう。

アブラハムは、75歳のときに、神様の言葉どおりに故郷を捨てて、親族を捨てて、見知らぬ土地へ旅立ちました。(参照:創世記12:4)
まさに大胆な行動です。
しかし、自分の身を守るために、妻のサラを妹だと偽りました。(参照:創世記12:13)
臆病で卑怯な行動です。
アブラハムという1人の人間の中に、大胆と臆病が共存しているのです。
この後も、彼の揺れ動きは続きます。

大胆(創世記13:9)ロトと別れ際に、好きな方を選びなさいと選択権を与える。
大胆(創世記14:15)人質になったロトの家族を救うため、四人の王の連合軍にしもべたちといっしょに戦いを挑み、勝利。
臆病・卑怯(創世記15:3)神様の約束を信じきれず、「私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と訴える。
臆病・卑怯(創世記16:3)待ちきれないアブラハム夫妻は、女奴隷ハガルによって、跡取りを得ようとする。
大胆(創世記18:32)ソドムとゴモラの赦しのために、神様に直談判する。
臆病・卑怯(創世記20:2)再び、サラを妹と偽って保身を図る。
臆病・卑怯(創世記21:11)ハガルの子イシュマエルとサラの子イサクのことについて、どうしたらいいか悩む。
大胆(創世記22:10)イサクを神様に捧げるいけにえとして、ほふろうとする。

ざっと見るだけでも、このように変遷を遂げているのです。
しかも、アブラハムには悪意も魂胆もないのに、揺れ動いてしまうのです。
ということは、大胆とか臆病とかいうのは、性格で決まるものではないようです。

では、何の条件で、大胆と臆病の境界線が引かれるのでしょうか。
ここで、人類最初の大胆と、人類最初の臆病を、見てみましょう。

人類最初の大胆は、創世記第2章25節です。
「そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。」

そして、人類最初の臆病は、創世記第3章8節です。
「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。」

この2つのできごとの間に、何があったのでしょうか。
それは、禁じられていた「善悪を知る木の実」を食べてしまったということです。
サタンにそそのかされ、人類に、罪が入りこんだということです。

大胆と臆病の境界は、「神様の約束の中にいる」か、「自分の正しさの中にいる」かの違いなのです。
自分の正しさとは、自分への都合のよさであり、自分勝手な善悪の判断です。
これを、聖書では罪というのです。

アブラハムも、神様の約束の中に自身を置いているときには、大胆でした。
そして、自分の正しさ、都合のよさに身を置くときには、臆病で卑怯だったのです。

あなたは、罪人です。
私も、罪人です。
でも、私たちには希望があります。
神様からの解放の約束、イエスさまの十字架があるからです。

あなたは罪から解放されています。
十字架の贖いは完全なのです。
この約束の中に、あなたをとどめましょう。
そして、神様の愛の約束を全身で味わって、大胆なあなたを生きるのです。

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