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ゴスペルハウスコミュの「聞くこと」

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ゴスペルハウスメッセージ 2017.11.18
「聞くこと」 ローマ 10:14-21

14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。
17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
18 でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」
19 でも、私はこう言いましょう。「はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。」まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者のことで、あなたがたのねたみを起こさせ、無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。」
20 またイザヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現わした。」
21 またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」

信じなくては、求められない。
聞かなくては、信じられない。
宣べ伝える人がいなくては、聞けない。
遣わされなくては、宣べ伝えられない。
実に、明快な論理ですね。

これを、信仰のステップという順に追っていくと、こうなります。
1.神様が、宣べ伝える人を遣わす。
2.福音の言葉を聞く。
3.聞いて信じる。
4.信じて、呼び求める。

1の「神様が、宣べ伝える人を遣わす」は、神様が主体です。
また、3「聞いて信じる」と4「信じて、呼び求める」は、御言葉にはいのちがあり、そのいのちが成し遂げることです。
ですから、私たち人間の側に残されているのは、2の「聞く」ということです。
もちろん、聞くことは「キリストについてのみことば」です。

さて、漫才やコントや落語などで笑うときに、2つの笑い方があります。
それは、「まわりが笑ったから、いっしょに笑う」と「聞いて面白かったから笑う」です。
言い換えれば、「よく聞きもせずに、まわりの反応にまかせる人」と「よく聞き、真剣に聞き、受け止め、吟味する人」です。
両者は、もちろん笑いのポイントも、心の動きも違ってきます。

そして、信仰生活ではこの「聞き方」が、大きな違いになってきます。
信仰の分水嶺と言ってもいいでしょう。
真剣に、まっすぐに、当事者として聞くことと、不十分で無責任な聞き方では、そのもたらす結果は自ずと違ってくるでしょう。

「牧師の説教は、信徒がほめることで伸ばす」という言葉を聞いたことがあります。
たしかにそういう側面もあるでしょう。
そして、真剣に、まっすぐに聞くことは、同じように、いえ、それ以上に語り手を伸ばすのです。
いい聞き手は、いい話し手を育てるのです。

よい聞き方の例を、ルカによる福音書から見てみましょう。
38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:38−42)

妹のマリヤは、全身を傾けて聞きました。
全身全霊をこめて聞き入っていました。
それを、イエスさまは良しとしたのです。

姉のマルタは、何も悪いことはしていません。
イエスさまをもてなすために、正しいことをしていたと言っていいでしょう。
しかし、彼女は自分の正しさを握りすぎてしまったのです。
そして、自分の正しさとマリヤの足りなさを、主張してしまったのです。
自分が主張しているうちは、聞くことは十分にはできないのです。

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。」
イエスさまは、マルタを責めているのではありません。
方向転換を求めたのです。
自分の正しさを握るのではなく、神様の愛の言葉を、永遠のいのちの言葉を握りなさい。って。

これは、マルタだけに語られた言葉ですか。
いいえ、いま、あなたに語られている言葉です。
まわりに流されず、自分の正しさにより頼まず、全身全霊をこめて聞きましょう。
いのちの言葉は、また、それを宣べ伝える人は、あなたに与えられているのです。
まっすぐに、真剣に、あなたの耳で聞きましょう。
そして、そのいのちの中で、その愛の中で、あなたは生かされるのです。

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