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ゴスペルハウスコミュの「神様との歩み方」

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ゴスペルハウスメッセージ 2015.08.22
「神様との歩み方」創世記 17:1

アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。

アブラハムは、「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と、神様に語りかけられました。
私たちキリスト者は、霊的にはアブラハムの子孫ですから、アブラハムに言われたことは私たちに言われたことと同じです。
神様はまた、「わたしについて来なさい」という招きもします。

ところで、主の前を歩くとは、神様と同じ方向を向いて、神様の前を神様に背中を向けて行くというイメージがありますね。
また、主について行くとは、神様と同じ方向を向いて、神様の背中の後をついて行くというイメージがあります。
記号で書くと「神→人→」と「人→神→」という違いになります。

主の前を歩く「神→人→」とすると、神様は人を見ていますが、人は神様を見ていません。
ですから、人には見えない不安が生じます。
また、神様が前にいないので、自分勝手な道を選んでしまうこともしばしばです。
「自分の行く道は正しいから」と傲慢になることもあるでしょう。

主について行く「人→神→」とすると、人は神様を見ていますが、神様に見られている感じがしません。
ですから、見てもらっていないのではという不安になります。
ついて行けないかもという弱気も生じます。
「従順にしますけど、ちょっとつらいです」が正直なところでしょう。

かなりイメージが違いますね。
では、私たちは「主について行く」「主の前を歩む」のどちらを選択したらいいのでしょうか。
実は、この聖書箇所は訳によって書かれ方が違うのです。
まず日本語では、
「あなたはわたしの前に歩み」(口語訳・新改訳)
「あなたはわたしに従って歩み」(新共同訳)
英語では、
「walk before Me」(NKJ)
「Obey me」(TEV)
となっています。

このことが、私たちに大きなヒントをくれることになります。
「主の前を歩む」と「主について行く」とは、同じことのはずなのです。

よちよち歩きの1歳ぐらいの子どもが親の前を歩いている姿を想像してください。
子どもは親の前を歩みながら、親について行くでしょう。
そう、親子は向かい合って、親は少しずつバックしながら、子どもを前に歩ませるのです。
いつでも見えて、いつでも見られていて、子どもの不安は生じません。
喜びをもって、希望をもって、親の前を親に向かって歩むのです。
そのとき、腕組みしている親はいません。
その親の両手は、いつでも子どもに向かって愛をもって開かれているのです。

これが、神様が私たちに望んでいる歩み方です。
神様の目は、私たちから離されることはありません。
神様の腕・神様の愛は、私たちに向かって開かれています。

あなたの導きもそうだったはずです。
あなたは、開かれた神様の腕の中に飛び込んだのです。
あなたは、神様の愛の中に飛び込んだのです。
あなたは神様の前を神様に向かって歩み、神様について行ったのです。

はじめに示されたのは、神様の愛です。
忘れないでください、その開かれた腕と愛を。
「自分はひとりでできる」なんて、思いあがらなくていいのです。
「自分はできないから」なんて、へこまなくていいのです。

「主の前を歩む」と「主について行く」とは、同じこと。
神様の愛の腕の中に飛び込んでいくことなのですから。

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