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ゴスペルハウスコミュの「天にのぼるイエスさま」

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ゴスペルハウスメッセージ 2015.05.02
「天にのぼるイエスさま」 使徒 1:3-11

3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

もうすぐ(5/24)、ペンテコステです。
弟子たちに聖霊さまが下った日、教会の誕生日ともいえる、記念すべき日です。
弟子たちに聖霊さまが下るためには、イエスさまが天に帰る必要がありました。
今週の聖書箇所は、その場面です。

イエスさまは、よみがえってから40日間、様々な方法で弟子たちに現れ、神様の国のことを教えてくれました。
いよいよ天に帰るときに、イエスさまは弟子たちにこう命令しました。
「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(4節)

これはエルサレムが特別なすばらしい場所であるという意味ではありません。
弟子たちにとってみれば、「今いる場所」なのです。
「今いる場所を離れないで」、つまり、「そのままのあなたで」ということです。
実力以上に飾り立てることもなく、高慢になることも卑下することもなく、今あるあなたのままでということです。

そして、することは「父の約束を待ちなさい。」なのです。
「待つ」ということは、神様に主権を明け渡した生き方の、最も大切な要素の一つです。
自分の意志や努力や工夫で獲得するのではなく、神様の与えてくれる時を待つのです。
イライラ・カリカリして待つのではなく、期待して、希望を持って待つのです。
そう、天に帰るイエスさまの命令は、「そのままのあなたで、神様の約束に期待して待ちなさい」と言い換えることもできるのです。

このように言われても、弟子たちは理解できないでいます。
「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」(6節)
彼らは、待つ態度がとれませんでした。
「今こそ」と、自分の希望の時間を勝手に設定し、「イスラエルのために・・・」と、イエスさまにリクエストしています。
これは2000年前の彼らに限ったことではなく、私たちも良くしてしまう間違いです。
待つことができず、神様を自分の召使いのように、自分の都合通りに動かそうとしてしまうのです。
無理解な彼らにイエスさまは言います。
「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。」(7節)

そして、約束の聖霊さまが与えられたときの幸福を教えてくれます。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(8節)
「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土」とは、弟子たちのホームグラウンド、彼らの考え得る行動範囲のすべてです。
それに対して、「地の果てにまで」というのは、それを越えたということです。
今いる場所だけでなく、考えられる限界の範囲ではなく、無限の可能性があなたに与えられるのです。

そしてあなたは、「わたしの証人」、イエスさまの証人になるのです。
これは頑張って伝道しようということではありません。
教会に一生懸命集い、奉仕し、礼拝しようということでもありません。
あなたの存在そのものが、あなたがどこにいても、いつでも、何をしていても、イエスさまを証しするのです。
あなたの生活すべてが、イエスさまとともにいる生活になるのです。
もちろん、あなたの努力によってではなく、聖霊さまの力によってです。

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。(9節)
このとき、弟子たちは、喜びにあふれ、期待にあふれていたでしょうか。
そうではなく、彼らはただ「天を見つめていた」(10節)のです。
そんな彼らに、「白い衣を着た人がふたり」(10節)、つまり神様の御使いが遣わされました。
そして、理解できない彼らに、裁きや叱咤ではなく、励ましと導きを伝えてくれたのです。
これが私たちに対する神様の態度です。
神様にとって私たちは愛すべき存在なのです。

イエスさまはあなたに、そのままのあなたで、神様の約束を待ちなさいと命令しました。
そしてあなたは力を受けます。
あなたの思っている限界を超えて、あらゆる場所があなたに与えられるのです。
イエスさまはあなたとともに住み、あなたそのものがイエスさまを証しします。
迷っても大丈夫、神様の愛はあなたを決して見捨てません。
さあ、そのままのあなたで、神様の約束を、ちからいっぱい期待して待ちましょう。

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