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ゴスペルハウスコミュの「何もなくて」

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ゴスペルハウスメッセージ 2015.02.15
「何もなくて」 民数記 11:4-9

4 また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。
5 エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。
6 だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」
7 マナは、コエンドロの種のようで、その色はブドラハのようであった。
8 人々は歩き回って、それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリームの味のようであった。
9 夜、宿営に露が降りるとき、マナもそれといっしょに降りた。

エジプトの地で、イスラエルの民は、神様の大きなわざを目の当たりにしました。
神様がエジプトに下した10の災いは、イスラエルの民には害を与えませんでした。
雹も闇も、かえるやイナゴも、疫病も、イスラエルの民にふりかかることはありませんでした。
さらに、神様はイスラエルのために、海を分け、岩から水を出し、マナを毎日降らせました。
彼らは、それらがすべて神様の力であると、知っていました。
モーセに導かれたイスラエルの民は、完全に神様の守りの中にいたのです。

にもかかわらず、彼らは大声で泣いて、言いました。
「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」(4-6節)
激しい欲望のために、神様の愛も守りも恵みも、彼らの目には映らなくなってしまったのです。

しかし、これはモーセの時代に限ったことではありません。

私たち現代のキリスト者は、イエスさまが救い主であることを知っています。
我が神、我が主であることを知っています。
イエスさまの十字架の完全な贖いを知っていて、神様に義と認められていることも知っています。
知っているだけでなく、当事者として十字架の贖いを体験しているのです。

でも、つい、つぶやいてしまいます。
「イエスさま知ってても(信じてても)、いいこと何もおきなくて」
また、同じ感情の根っこから、こんなことを言うこともあります。
「イエスさま信じたら、仕事も人間関係も勉強も健康も、何でも抜群にうまくいきますよ」
何か、特別に派手なことが起きないと、神様に愛されている実感がわかないのです。
毎日のマナに慣れ、神様の愛を見失った荒野のイスラエルの民と同じです。

神様が、いつも、あなたとともにいます。
神様が、あなたを愛しています。
イエスさまは、あなたを愛するがゆえに、十字架にかかり死にました。
あなたは、神様に選ばれ、受け入れられています。
これは、決して、「何もなくて」な日々ではありません。
大きな大きな神様の愛、それは、あなたに注がれているのです。

見えなくなってしまった愛に、目を向けましょう。
見失ってしまった恵みに、心を留めましょう。
あなたの毎日には、神様の愛が注がれ、あふれています。
「何もなくて」の生活は、もう、ありえないのです。

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