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ゴスペルハウスコミュの「認知・判断・動作」

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ゴスペルハウスメッセージ 2014.05.17
「認知・判断・動作」 ルカ18:35-43

35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。
36 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。
37 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、
38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。
39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。
41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。
42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、
43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。

先日、私が読んだ「新成人のための交通安全パスポート」に、こうありました。
「車の運転は、認知(状況確認)→ 判断(意志決定)→ 操作(運転動作)の繰り返しで成り立っているといわれます。」
そして、交通事故の原因は8割が「認知」「判断」のミスと書かれていました。

数日たって、認知・判断・操作の繰り返しは、運転に限らないことに気がついたのです。
ただし、機械・器具をさわる場合だけではないので、「操作」は「動作」としますが。

今週の聖書箇所の盲人を例にしてみましょう。
認知(状況確認):イエスさまがお通りになるということを知った。
判断(意志決定):自分をあわれんでくれると判断した。
動作(行動):イエスさまに向かって叫び立てた。
その結果、「あなたの信仰があなたを直したのです。」(42節)とイエスさまに言われ、目が見えるようになったのです。
彼の信仰生活における、認知・判断・動作は、正解だったのです。

認知・判断・動作という仕組みで聖書を読むと、信仰生活も自動車の運転も同じことがわかります。
それは、「認知」「判断」のミスに、原因があるということです。

創世記第12章のアブラハム(当時はアブラム)です。
認知:神様の約束した地に、カナン人がいた。
判断:さらに進もうと思った。(判断ミス)
動作:ネゲブのほうへと旅を続けた。
続けて、
認知:ネゲブの飢饉がひどい。
判断:神様の約束よりも当面の食料を優先。(判断ミス)
動作:エジプトへ入る。
さらに、
認知:妻のサラは美しい。
判断:正直でいたらエジプト人がアブラハムに害をなす。(判断ミス)
動作:サラを妹と偽る。
アブラハムは、判断ミスを重ねて、信仰の迷子になってしまいました。

アブラハムばかりではありません。
サムエル記上第13章では、サウル王が待ちきれませんでした。
創世記第4章では、カインが弟のアベルを殺してしまいます。
マタイ第14章では、ペテロがイエスさまに招かれ水上を歩きます。
その後、風を見て怖くなって沈みかけます。
いずれも、認知や判断のミスです。

では、どうしたら、認知・判断のミスを防ぐことができるのでしょうか。

認知のミスの典型が、「タラントのたとえ」(マタイ25:14〜)です。
一タラント預かっていた者は、主人にこう言いました。
『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。』
このたとえで主人というのは、神様のことです。
神様が、過酷でひどい方という、認知のミスをしてしまったのです。

信仰生活の認知のミスを防ぐ秘訣は、「神様は愛です」です。
「神様は愛です」が徹底されていれば、神様に対しての認知ミスは起きません。
なぜなら、神様は愛だからです。
「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(1ヨハネ4:8)

判断のミスの原因を、一言で言えば、「罪」です。
罪人である私たちは、それをごまかそうと、隠そうと、逃げようと、判断ミスをするのです。
創世記第3章のアダムとエバは、まさにその落とし穴に落ち込んでしまいました。

信仰生活の判断のミスを防ぐ秘訣は、「私は罪人です」です。
「私は罪人です」を、神様の前にさらけ出すことを徹底するのです。
そうすれば、ごまかすことも、隠そうとすることも、逃げようとすることも、必要なくなります。

信仰生活において、動作のミスは、気にすることではありません。
なぜなら、「人はうわべを見るが、主は心を見る」(サムエル上16:7)からです。

徹底して、「神様は愛です」なのです。
徹底して、「私は罪人です」なのです。
これこそが、クリスチャンの認知・判断・動作なのです。

ここに徹底するときに、あなたは、神様の認知・判断・動作の中に生きることになります。
認知:愛する人間が罪に落ちた。
判断:神様のひとり子を身代わりにしよう。
動作:イエスさまが十字架につけられ、罪赦された。

神様の認知・判断・動作、それは、あなたに注がれた愛なのです。

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)

神様の真実の愛の中に生きましょう。
赦された罪人として生きましょう。
愛された神様の子どもとして生きましょう。

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