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ゴスペルハウスコミュの「松と菊」

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ゴスペルハウスメッセージ 2013.09.08
「松と菊」 創世記 16:1-5, 18:20-33

松竹梅の「松」、四君子の「菊」。
今週は、「松」の人生、「菊」の人生を、信仰の父アブラハムを通して見ていきましょう。

「松」…創世記 16:1-5
1 アブラムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。
2 サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにおはいりください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。
3 アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの土地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷のエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。
4 彼はハガルのところにはいった。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。
5 そこでサライはアブラムに言った。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。私自身が私の女奴隷をあなたのふところに与えたのですが、彼女は自分がみごもっているのを見て、私を見下げるようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」

この聖書箇所は、アブラハム(このころはアブラムという名)が、85〜86歳の頃です。
直前の15章で、アブラハムは神様から約束を受けています。
それは、アブラハムの子孫が星の数のように増え、神様の祝福を受けるというものです。

アブラハムは信仰の父です。
しかし、彼は完璧・無敵の信仰者ではなく、弱さを持った人間でした。
失敗もいっぱいしました。

アブラハムの失敗の原因の多くは、「待てない」ことでした。
今回も、神様から約束があったのですから、それを信じてサラの妊娠を待てばよかったのです。
しかし、アブラハムとサラは待つことを選択せずに、女奴隷ハガルを使って、自分たちの計画を実行していったのです。
その結果、ハガルとサラの間の関係が壊れ、アブラハムとサラの間にも問題が生じました。
生まれたイシュマエルは、後年、母親ハガルとともに、アブラハムの家から出て行かざるを得なくなります。

すべては、アブラハムが信じて待つことができなかったこと、待ちきれなかったことが原因です。

これでは、上等な「松」の人生とは言えません。
「松」の人生、それは、以前のメッセージでもお話したように、「待つ」の人生です。
待つことが、神様の約束をあなたの人生に実現する、秘訣なのです。

しかし、「松」の人生は、簡単そうでいて、なかなかできないものでもあります。
待ちきるというのは、もしかしたらとても難しいことかもしれません。
何かやっている方が楽だと感じられてしまうのです。
神様の約束を信じて待つより、自分たちの知恵や力で何とかしようとしてしまうのです。
それで、十字架の愛を見失ったり、人間関係が壊れたりするのです。

待ちきれないときに、私たちは、どうしたらいいのでしょう。
「耐えなさい。そしてあなた自身をじっくり見つめて・・・・」という、処世術もあるかもしれません。
「待ちきれないのは、信仰が足りないから・・・」と、自分を責めたくなるかもしれません。
しかし、アブラハムと同じように「松」の人生をうまく生きられない人のために、別の道があります。
神様が、備えてくれているのです。
それが、「菊」の人生です。

「菊」…創世記 18:20-33
20 そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。
23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
26 主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」
33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

この箇所は、アブラハムが99歳の頃です。
直前の18章前半で、イサクの誕生が予告されています。
その点、「松」の聖書箇所と、少し似ているという感じもしますね。
ここから、「菊」の人生をテーマに開いていきましょう。

アブラハムは、神様からソドムとゴモラの町を滅ぼすと聞かされます。
ソドムには、甥のロトが住んでいます。
そのためもあってか、アブラハムは神様に聞きます。
「 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。」(24節)
神様は、答えました。
「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」(26節)

アブラハムは、聞き続けます。
「もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。」(28節)
「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」(29節)
「もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」(30節)
「もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」(31節)
「もしやそこに十人見つかるかもしれません。」(32節)

くどいほどの、とりなしです。
何度も何度も、神様に聞き続けるのです。
しかし、神様はそれらをすべて、よしとされました。

「菊」の人生、それは「聞く」の人生です。
神様は、いま、生きています。
あなたの目の前に、生きているのです。
そして、あなたを愛し、あなたを受け入れているのです。
待ちきれないとき、あなたは、「聞く」べきです、何度でも。
神様が、それを、よしとされているのです。

「菊」の人生にも、注意点があります。
「神様に言うことを聞かせる」ではなく、「神様に聞く」ということです。
主権者は、あなたではなく、神様なのです。

アブラハムも、聞きました。
待ちきれないから、聞きました。

でも、それでいいのです。
聞くことで、あなたに与えられる役割もあるのです。
アブラハムは、ソドムとゴモラのために、とりなしをしました。
世界中で彼にだけ与えられた役割です。
待ちきれない弱さゆえの、「菊」の人生ならではの役割です。

「松」の人生でなくても、「菊」の人生もありなのです。

あなたの個性を、神様は認めています。
「松」の人生でも「菊」の人生でも、神様を主としたときに、あなたの人生は変わるのです。
何かするのではなく、「待つ」「聞く」。
そこに、あなたならではの役割があるのです。

そのための秘訣があります。
あなたは、そのままで愛されていることを知ることです。
そのままで認められ、受け入れられていることを知ることです。
そして、その自分を生きることです。
その保証が、イエスさまの十字架です。
イエスさまの十字架によって、あなたは愛され、認められ、受け入れられるのです。

「松」と「菊」、あなたの人生を彩るのは、どっち?

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