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ゴスペルハウスコミュの「ルビーの叫び(レント-5)」2024.03.16

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ゴスペルハウスメッセージ 2024.03.16
「ルビーの叫び(レント-5)」ルカ19:28-40
(参照:マタイ21:1-、マルコ11:1-、ヨハネ12:12-)

28 これらのことを話してから、イエスはさらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。
29 オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。
30 「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、連れて来なさい。
31 もし『どうして、ほどくのか』とだれかが尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」
32 使いに出された二人が行って見ると、イエスが言われたとおりであった。
33 彼らが子ろばをほどいていると、持ち主たちが、「どうして、子ろばをほどくのか」と彼らに言った。
34 弟子たちは、「主がお入り用なのです」と言った。
35 二人はその子ろばをイエスのもとに連れて来た。そして、その上に自分たちの上着を掛けて、イエスをお乗せした。
36 イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。
37 イエスがいよいよオリーブ山の下りにさしかかると、大勢の弟子たちはみな、自分たちが見たすべての力あるわざについて、喜びのあまりに大声で神を賛美し始めて、
38 こう言った。「祝福あれ、主の御名によって来られる方、王に。天には平和があるように。栄光がいと高き所にあるように。」
39 するとパリサイ人のうちの何人かが、群衆の中からイエスに向かって、「先生、あなたの弟子たちを叱ってください」と言った。
40 イエスは答えられた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

わが家の聖書カルタの「ろ」の読み札には、「ろばの子は イエスを乗せて エルサレム」とあります。
今日の聖書箇所は、エルサレム入城の場面です。
しゅろの日曜日として知られる、イースター直前の日曜日のできごとです。
マタイ福音書21章、マルコの福音書11章、ヨハネの福音書12章にも並行記事がありますので、これらも合わせて読むと、全体像が捉えやすいと思います。

群衆は上着やしゅろ・なつめ椰子の枝を道に敷いて、イエスさまを大歓迎しました。
これは、列王記第二9章の、武力で敵からの解放してくれたエフーを王として迎えた群衆のかたちです。
また旧約聖書の続編マカバイ書第一13章の、敵を打ち破った喜びで群衆がした行動のかたちでもあります。
いずれにしても、武力で敵を倒してくれる王として、支配者から武力で解放してくれる王として、自由を取り戻すための闘う王として、イエスさまを大歓迎したのです。
ローマの支配から、神の民であるイスラエルを解放してほしいから、彼らはそれに期待してイエスさまを大歓迎したのです。

その期待に対して、イエスさまは、子ろばに乗って入城しました。
これはゼカリヤ書にある、柔和な王としての姿です。
「見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」(ゼカリヤ9:9)
イエスさまは、戦う王ではなく、平和の王として入城したのです。

イエスさまは、群衆の希望は知っていました。
しかし、イエスさまは、武力や奇跡でローマを打ち破るために、地上に生まれたのではないのです。
イスラエルをローマから救うためではなく、人類すべての罪を贖うために、すべての人を罪から解放するために、イエスさまは地上に来られました。
イエスさまは人の望みではなく神様の希望のために、人の気持ちではなく神様のみこころのために、この地上に生まれ、そしてエルサレム入城し、十字架にかかったのです。

しかし、群衆は、イエスさまの気持ちを、まったく理解できませんでした。
イエスさまの生まれた理由も、十字架の目的も理解できませんでした。
ただ、自分たちの願いや自分たちの希望を求め続けているだけなのです。
群衆の熱狂はどんどんと広がっていき、パリサイ人たちが、「先生、あなたの弟子たちを叱ってください」(39節)と言いました。
それに答えてイエスさまが言ったのが、「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」(40節)でした。

石が叫ぶことこのことについて、さまざまな解釈をする説教者がいます。
私は、石が表しているものは、かたくなな群衆の心だと考えています。
軍馬ではなくろばの子に乗ってきた、平和で柔和なイエスさまの心を無視し、まったく無理解で、自分たちの都合や希望や願望を押し付けようとするかたくなな心です。
イエスさまを武力の王として迎え、熱狂はしていますが、イエスさまの本心にはお構いなしなのです。
そんなかたくなな石のような頑固な群衆が黙ったら、本当の石が叫びだすとイエスさまは言うのです。
事実、5日後のイエスさまが十字架につけられる日には、自分たちの思いどおりでなかったイエスさまに失望し、イエスさまを見捨てて、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」(ルカ23:18)と叫んでいるのです。

しかし、イエスさまは、そんな石のようなかたくなな群衆を受け入れ、拒否しませんでした。
群衆の熱狂の中、エルサレムに入城したのです。
つまり、彼らのために十字架に向かったのです。
それは、「私は、石のようにかたくなで愚かな彼らのために死ぬよ」という、イエスさまの心の表れです。
そして、その覚悟どおりに、イエスさまは十字架につきました。

イエスさまは、十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34)と言いました。
これは、2000年前の、熱狂して、そして裏切った群衆だけのための言葉ではありません。
今、あなたにも、かけられている言葉なのです。
あなたも、かたくなな石なのです。
神様のみこころを理解できず、自分の希望に振り回されて、「〇〇てくれたら神様信じるけど」などとうそぶく、かたくなな石の心の持ち主なのです。

しかし、イエスさまの十字架の血潮があなたを赦しました。
かたくなで頑固な石のあなたに、イエスさまの真っ赤な血潮が注がれてました。
イエスさまの血潮を浴びたあなたは、真っ赤な石になったのです。
神様の目から見たら、それは真っ赤な宝石・ルビーです。
あなたは高価で尊い存在に、イエスさまの血潮によって変えられたのです。

石のような群衆は、イエスさまが自分の思いどおりにならないとわかると、イエスさまを殺せと叫びました。
イエスさまの血潮で、ルビーにされたあなたは、さあ、何を叫びますか。
群衆と同じように、あなたの思いどおりを求めて叫びますか。
それとも、神様を心から賛美して叫びますか。

あなたのために、お祈りします。


【参考聖書箇所】
☆しゅろ(なつめ椰子)と上着を敷いた群衆
マタイ
21:8 すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。

マルコ
11:8 すると、多くの人たちが自分たちの上着を道に敷き、ほかの人たちは葉の付いた枝を野から切って来て敷いた。

ヨハネ
12:13 なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」

列王記第二
9:13 すると、彼らはみな大急ぎで自分の上着を脱ぎ、入り口の階段にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹き鳴らして、「エフーは王である」と言った。

マカバイ記第一(旧約聖書続編)
13:51 第百七十一年の第二の月の二十三日、ユダヤの人々は賛美のうちにしゅろの枝をかざし、竪琴、シンバル、十二絃を鳴らし、賛歌と歌を歌いながら要塞に入った。イスラエルから大敵が根絶されたからである。

☆柔和な王としてのイエスさまの主張
ゼカリヤ
9:9 娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。
9:10 わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。

☆石のようにかたくなな群衆の心
ルカ
23:18 しかし彼らは一斉に叫んだ。「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」

☆かたくなな石のためにイエスさまはとりなす
ルカ 23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。

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