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ゴスペルハウスコミュの「生きても死んでも(レント-2)」2024.02.23

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ゴスペルハウスメッセージ 2024.02.23
「生きても死んでも(レント-2)」創世記5:21-32

21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
22 エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
23 エノクの全生涯は三百六十五年であった。
24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
25 メトシェラは百八十七年生きて、レメクを生んだ。
26 メトシェラはレメクを生んでから七百八十二年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
27 メトシェラの全生涯は九百六十九年であった。こうして彼は死んだ。
28 レメクは百八十二年生きて、一人の男の子を生んだ。
29 彼はその子をノアと名づけて言った。「この子は、主がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、私たちを慰めてくれるだろう。」
30 レメクはノアを生んでから五百九十五年生きて、息子たち、娘たちを生んだ。
31 レメクの全生涯は七百七十七年であった。こうして彼は死んだ。
32 ノアは五百歳になった。そしてノアはセム、ハム、ヤフェテを生んだ。

創世記第5章は、アダムからノアまでの系図が記されています。
記述のパターンは決まっています。
「○○○は・・・年生きて、△△△を生んだ。
○○○は△△△を生んでから・・・年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
○○○の全生涯は・・・年であった。こうして彼は死んだ。」
この繰り返しです。
しかも、半分くらいは、ここでしか名前を見ない人物なので、読んで退屈する人も多いでしょう。

唯一、注目すべき生涯を歩んだのが、エノクです。
21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
22 エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
23 エノクの全生涯は三百六十五年であった。
24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

神様とともに歩んだこと、死を見ずに神様のもとに行ったこと。
エノクについては、多くの人たちがこう知っていて、この2つのできごとを結びつけがちです。
「エノクは神様とともに歩んだから、死ななかったのだ。」

エノクの3代あと、エノクの曾孫にノアが生まれています。
「ノアは五百歳になった。そしてノアはセム、ハム、ヤフェテを生んだ。」(32節)
ここで創世記第5章は終わります。
続く第6章は、洪水の話が始まりますので、系図がプツンと切れた状態です。
そこで、ここから先、この章の系図のパターンに合わせるように、ノアの生涯が記されている9章までの聖書から抜き出してみましょう。

5:32 ノアは五百歳になった。そしてノアはセム、ハム、ヤフェテを生んだ。
6:8 しかし、ノアは主の心にかなっていた。
6:9 これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
7:6 ノアは六百歳であったが、そのときに大洪水が起こり、大水は地の上にあった。
8:1 神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。
9:28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
9:29 ノアの全生涯は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。

エノクについての記述が少ないので単純にどっちがすごいと比較はできませんが、ノアが神様とともに歩んだのは、間違いない事実です。
しかし、彼は死にました。
神様とともに歩んだけど、死んだのです。

私は以前、ある本で読んだことがあります。
その本では、9章21節の「彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。」というノアの行動が、彼の罪とされ、ノアは死ななければならなかったのだと、著者は主張していました。

しかし、私はこの解釈に賛成しません。
神様とともに歩んだエノクが死ななかったことも、神様とともに歩んだノアが死んだことも、神様のみこころであり、神様の恵みだからです。

エノクが死ななかったことは、私たちに希望を与えます。
神様は、死の力を遥かに超えた方であることが、明らかになったからです。
私たちに約束されている永遠のいのちは、たしかに神様の手の中にあるのです。

ノアが死んだことは、私たちに赦しと平安を与えます。
もし、ノアが死ななかったら、私たちは死の裁きにおびえ続けなければなりません。
なぜなら、「神様とともに歩めば、死なない」ということになり、「死んだら、神様とともにいなかった証拠」になってしまうからです。
そうなれば、お葬式は死者への攻撃・非難の場になってしまいます。
「ああ、この人は死んだ。神様とともに歩んでいなかったからだな。」
「罪に負け、信仰が足りなかったんだ。」
牧師や伝道者のお葬式は、もっと悲惨です。
「あの牧師は、説教でいいこと言ってたけど、神様とともに歩んだわけじゃなかったんだ。」
「陰できっと悪いことをしていたに違いない。」
そして、そんな牧師から洗礼を受けたことを悔やみ、洗礼が正しかったかどうか疑わざるを得ないのです。
死が、多くの人から愛を奪い、希望を奪い、平安を奪い、赦しを奪ってしまうのです。
そして、なによりも死の力を怖れる信仰になってしまうのです。
神様は、それを望まなかったからこそ、ノアに死を与えたのです。

ノアが死んだことによって、神様とともに歩んだ人も死ぬことが認められました。
ですから、死はもはや呪いではなくなったのです。
死んだ人を裁かなくてよくなったのです。
死を必要以上に恐れることもなくなったのです。
死すら神様の祝福の礎となったのです。
もはや何も、私たちから神様の祝福を奪うことはできないのです。

エノクに死を与えなかったことで、神様は希望を確実なものにしてくれました。
ノアに死を与えたことで、神様は私たちに赦しを与えてくれました。
そして、罪の報酬である死から、私たちを解放したのです。
ノアに与えた死も、エノクに与えなかった死も、神様の愛の具体的なかたちなのです。

ノアに与えられた死が、私たちに、赦しを与える。
エノクに与えられなかった死が、永遠のいのちを確実にする。
まさに、エノクとノアの死の経験は、イエスさまの十字架と復活の雛形です。

イエスさまの十字架の死が、私たちに、赦しを与える。
イエスさまの復活が、永遠のいのちを確実にする。
まさに、福音の中心です。

レントのこの時期、エノクとノアの系図を通して示された神様の愛を、完全な赦しと永遠のいのちを、喜んで味わいたいものです。
エノクもノアも、生きても死んでも、神様に与えられた役割がありました。
そして、あなたにも、神様の与える使命・役割があるのです。
あなたは、生きても死んでも、神様に用いられ、神様に喜ばれる存在なのです。

あなたのレントが、神様の愛と赦しと喜びの中にありますように。

【参考聖書箇所】
☆信仰の父アブラハムもやっぱり死んでます。
21:5 アブラハムは、その子イサクが彼に生まれたとき、百歳であった。
21:22 そのころ、アビメレクとその軍の長ピコルがアブラハムに言った。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられます。
24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。
25:7 以上がアブラハムの生きた年月で、百七十五年であった。
25:8 アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた。

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