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ゴスペルハウスコミュの「血みどろの導き手(レント-1)」2024.01.17

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ゴスペルハウスメッセージ 2024.02.17
「血みどろの導き手(レント-1)」イザヤ53

1 私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。
2 彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。
3 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8 虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。
9 彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。
10 しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
11 「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。
12 それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」

イザヤは、イエスさまが生まれる700年くらい前に活動した預言者です。
日本では、縄文時代の終わりから弥生時代のはじめ頃の時代です。
今週の聖書箇所のイザヤ書第53章は、イザヤ書66章の中でも、旧約聖書39巻929章の中でも、最もはっきりとキリストを指し示す章と言っていいでしょう。
700年も前に記されたにもかかわらず、イエスさまの十字架の姿を、すでに見てきたかのような言葉が並んでいます。
今年のゴスペルハウスのレントは、ここからはじめましょう。

切り株は、私が子どもの頃には、公園でも校庭にでも多くありましたが、今はあまり見かけませんね。
切った当初は切り口がベトベトするし、注意していないと躓いてしまうし、何でもクレームになる昨今は、すぐに撤去されてしまうのかもしれません。
その切り株から、ひょろっと生え出てくる若い芽が、「ひこばえ(蘖)」です。
再生してきたいのちの芽生えなんですが、もとの木の幹に比べれば期待感はなく、見ばえも悪いのがひこばえです。

イスラエル王国は、神様の民の国です。
初代のサウル王から、ダビデ王、ソロモン王と、繁栄していた王国は、ソロモンの死後に南北に分裂します(紀元前930年)。
分裂後の北王国イスラエルは紀元前722年に滅び、南王国ユダも紀元前586年に滅びます。
まさに切り倒された切り株になってしまったのです。
アッシリア・バビロン・ペルシャ・ギリシヤ・ローマと、外圧に蹂躙され続けてきたのです。

そんな死んだ切り株のようなところから生え出たのが、ひこばえです。
見ばえは悪いけど、新しいいのちです。
全人類の代表である神の民・ユダヤ人のひこばえは、全人類のための新しいいのちであるイエスさまだったのです。
いえ、全人類というぼやけた対象ではなく、あなたのためのひこばえとして生え出たのがイエスさまなのです。

昭和の時代、日本人の団体旅行を表現する風刺画がありました。
アメリカにもヨーロッパにも、日本人の団体パック旅行客が押しかけていた時代です。
小さな旗を持った笑顔のガイドさんに引き連れられて、集団で旅行する日本人。
「NOKYO(農協)」という言葉さえ、世界に知られていました。
ガイドさんの持つ小さな旗さえ見失わなければ、その国のことを何も知らなくても、その国の言葉を何も話せなくても、安全に旅ができるのです。
私の祖父母も、何度もそういう旅行に行っていました。
しかし、もしそのガイドさんの旗を見失ってしまったなら、迷子になるのは確実ですし、場合によっては警察が出動する羽目になります。
ガイドさんと旗は、かけがえのない導き手だったのです。

2024年のゴスペルハウスは、「Let GOD lead the way」(神様に導かれよう)がテーマです。
私たちを神様の国に導くのは、永遠のいのちに導くのは、イエスさまです。
イエスさまは、御国への旅のガイドさんなのです。
NOKYOパック旅行のガイドさんは、小さな旗が目印で、ニコニコ笑顔でした。
しかし、イエスさまは、血だらけの十字架が目印で、顔は傷だらけで血まみれです。
パック旅行のガイドさんが、血だらけの十字架を持って血まみれなどということは、ありえないことです。
そんなガイドには、なろうとする人もないでしょう。

しかし、それは「主のみこころ」(10節)であり、なおかつ、「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」(11節)と、イエスさまご自身も満足なのです。
そして、血まみれ血みどろのガイドさんであるイエスさまが導くのは、他のだれでもない、あなたなのです。
血みどろの十字架と血まみれのイエスさまは、あなたを導くのです。
自身のいのちを捨ててまで、神様に呪われてまで、人々にバカにされてまで、あなたを愛し、あなたを導くイエスさまがいるのです。

あなたに必要のは、たった一つの条件だけです。
パック旅行客がガイドさんとその小さな旗から離れないように、十字架を見上げ、血まみれのイエスさまから目を離さないことです。
「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2)とあるとおりです。

新約聖書に13もの手紙を残したパウロが最後に書いたのが、テモテへの第二の手紙と言われています。
その中に、こうあります。

11 次のことばは真実です。「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。
12 耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。
13 私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(2テモテ2:11-13)

「キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。」とは、厳しい言葉のようですが、裏を返せば、「キリストを否まないなら、キリストもまた、私たちを否まれない。」ということです。
血みどろの導き手であるイエスさまは、あなたを見捨てることはないのです。
いのちがけの愛で、あなたを導き続けてくれるのです。

あなたのレントが、神様の愛で満たされますように。

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