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ゴスペルハウスコミュの「ベテスダの池で」2024.02.10

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ゴスペルハウスメッセージ 2024.02.10
「ベテスダの池で」ヨハネ5:1-15

1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。
3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。【彼らは水が動くのを待っていた。
4それは、主の使いが時々この池に下りてきて水を動かすのだが、水が動かされてから最初に入った者が、どのような病気にかかっている者でも癒やされたからである。】
5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」
7 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
9 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。
10 そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と言った。
11 しかし、その人は彼らに答えた。「私を治してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と私に言われたのです。」
12 彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』とあなたに言った人はだれなのか。」
13 しかし、癒やされた人は、それがだれであるかを知らなかった。群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。
14 後になって、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。」
15 その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を治してくれたのはイエスだと伝えた。


ベテスダは、「あわれみの家」という意味です。
この池は、ヘロデ大王によって作られたもので、50メートルプールよりも少し小さな池が2つくっついているもので、そこに回廊があったのです。
もともとは、ベツレヘムへ巡礼に来た人たちのための沐浴場であったのではないかと考えられています。

3節の後半から4節にかけて、【 】の中の内容は、古い写本にはないもので、あとから加えられたものではないかと考えられています。
そのような迷信がいつの間にかできあがり、それを信じて病の人たちが待ち構えていました。

科学が進んだと言われる現代でも、迷信やまじないは、たくさんあります。
「家の窓の方角が・・・」とか、「玄関にはこういう色のものを・・・」とか、「黒猫が・・・」とかなど、振り回されてしまう人たちも多くいます。
「それで幸せになるなら、それもその人の救いなのでは・・」と言うクリスチャンまでいて、驚いてしまいます。

さて、イエスさまがベテスダの池に来たとき、38年間病気に苦しんでいる人がいました。
そして、「良くなりたいか。」(6節)と、問いかけたのです。
ベテスダの池で、イエスさまと病気の男性、ここから、神様の愛を味わってまいりましょう。

1つ目のポイントは、「待つイエスさま」です。
38年間病気にかかっていた男性は、38年間(日数で言えば13880日)ずっとこの池に来ていたわけではないでしょう。
治療のために、様々な方法を試したはずです。
でも、治らなかったので、迷信にすがるような気持ちでここに来たのでしょう。
はじめは、家族も協力的だったことでしょう。
しかし、38年という期間は、家族も相当つらかったはずです。
(ある資料によると、38年は当時の平均寿命よりも長いということです。)
38年経った今、水が動いたとしても、もう、だれも彼を池に入れてくれる人がいないのです。
でも、ここ以外に彼の居場所はなく、この迷信以外にすがるものがないのです。

「良くなりたいか。」というイエスさまの問いに対して、彼の答えは「はいっ!」ではありませんでした。
助けてくれる人がいないから、だれかが先に入っちゃうから、そもそも水が動くチャンスが少ないから・・・と、理由をつけるのです。
人にも、状況にも、自分にも、望みを失っている彼は、「はいっ!」と言えなかったのです。

人にすがり、迷信にすがり、状況に期待していた彼が、人に失望し、迷信に失望し、状況に失望したときにはじめて、本当に神様に向き合い、その祝福を得ることができるのです。

「良くなりたいか。」という問いによって、イエスさまは男が自分自身の姿を見つめるだけの時間を与えて、待ったのです。
回廊を歩きながら、「癒やされなさい」「あなたの罪は赦された」などの言葉をかけながら、癒やすことだってできたはずですが、イエスさまは、あえて待ったのです。
それは、本当の神様との出会いのため、本当の神様との交わりのため、彼が神様とともに生きるためです。
そのために、人から離れ、迷信から離れ、状況に絶望することが必要だったのです。
彼が整うまで、イエスさまは待ったのです。
それが彼の38年であり、13880日だったのです。

それは、彼だけではありませんし、昔だけのことでもありません。
私は、神様を知る前には、自分自身の能力を神として生きてきました。
自分自身を支えとし、だれにも頼らずに生きていけると確信していました。
しかし神様は、そんな私を失望の淵に追いやり、自死寸前まで追い込みました。
何もかもに失望して、そしてやっと、神様に出会ったのです。
それは私が30歳のとき、イエスさまは11000日も待ってくれていたのです。

イエスさまは、あなたのことも待ちます。
あなたが整い、あなたにふさわしいときまで。
イエスさまは待つ方なのです。

2つ目のポイントは、「待たないイエスさま」です。
「ところが、その日は安息日であった。」(9節)
安息日は、いわゆる十戒の第4戒で、してはならないことが様々決められています。
火を焚くことも、薪を集めることも、床を上げることも、急病人以外を癒やすことも、禁止されています。
安息日を破ったものは、死刑もしくは追放と定められています。
現在でも、安息日の安息を守るための「安息日グッズ」があるほどです。
照明のスイッチとか、エレベーターの安息日モードとか、調理器具とか。

しかし、イエスさまはそれを破って彼を癒やし、また、病気の男にも破らせ床を取り上げさせました。
もう13880日待っていた男です。
すでに失望している男です。
あと一日待つ時間が増えたからと言って、同じ38年間でしょう。
13880日に対して1日は、たった0.007%に過ぎないのです。
38年の病気が明日癒やされると伝えたなら、人生が180度変わるということを告げたなら、男は1日待つことをまったく苦にすることはなかったはずです。
むしろ、喜んで待てたはずです。

でも、どうしてもイエスさまは、待てなかったのです。
彼を縛る床を、その日のうちに取りのけたかったのです。
なぜなら、「彼は安息日よりも大切だから」です。
もし、1日待ってしまえば、安息日の律法は、彼よりも上位になってしまいます。
男が、安息日よりも価値が低い者になってしまいます。
イエスさまは、それを受け入れることができなかったのです。

だから、安息日に癒やすのです。
だから、安息日に床を取り上げさせたのです。
イエスさまの愛は、いのちがけの愛なのです。

そして、その通り、イエスさまは十字架でいのちを捨てました。
それは、この男性のためでもあり、あなたのためでもあるのです。
愛を注ぐこと、いのちがけで注ぐこと、あなたが愛されるにふさわしい者であること。
それを示すために、イエスさまは待たなかったのです。
あえて安息日に癒やし、あえて安息日に命じたのです。
イエスさまは、待たないのです。

あなたが、愛を受ける準備ができるまで「待つイエスさま」がいて、
あなたに、愛を注ぐのに「待たないイエスさま」がいて、
そして、愛されているあなたがいるのです。

この愛を受けましょう。
そして、あなたが片付けるべき床を、取り上げましょう。
イエスさまとともに歩む、明日があるのです。

あなたのために、お祈りします。


【参考聖書箇所】
☆安息日は、十戒の第4戒
出エジプト
20:8 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。

☆安息日は、聖なる安息の日
出エジプト
31:12 主はモーセに告げられた。
31:13 「あなたはイスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、必ずわたしの安息を守らなければならない。これは、代々にわたり、 わたしとあなたがたとの間のしるしである。 わたしが主であり、あなたがたを聖別する者であることを、あなたがたが知るためである。
31:14 あなたがたは、この安息を守らなければならない。これは、あなたがたにとって聖なるものだからである。これを汚す者は必ず殺されなければならない。この安息中に仕事をする者はだれでも、自分の民の間から断ち切られる。
31:15 六日間は仕事をする。 しかし、 七日目は主の聖なる全き安息である。 安息日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。
31:16 イスラエルの子らはこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息を守らなければならない。
31:17 これは永遠に、わたしとイスラエルの子らとの間のしるしである。それは主が六日間で天と地を造り、七日目にやめて、休息したからである。」
31:18 こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えたとき、さとしの板を二枚、すなわち神の指で書き記された石の板をモーセにお授けになった。

出エジプト
35:2 六日間は仕事をする。しかし、七日目は、 あなたがたにとって主の聖なる全き安息である。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。
35:3 安息日には、あなたがたの住まいのどこであっても、火をたいてはならない。」

民数記
15:32 イスラエルの子らが荒野にいたとき、安息日に薪を集めている男が見つかった。
15:33 薪を集めている者を見つけた人たちは、その人をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。
15:34 しかし、その人をどうすべきか、はっきりと示されていなかったので、彼を留置しておいた。
15:35 すると、主はモーセに言われた。「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」

☆安息日は人のため
マルコ
2:23 ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは、道を進みながら穂を摘み始めた。
2:24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日にしてはならないことをするのですか。」
2:25 イエスは言われた。「ダビデと供の者たちが食べ物がなくて空腹になったとき、ダビデが何をしたか、読んだことがないのですか。
2:26 大祭司エブヤタルのころ、どのようにして、ダビデが神の家に入り、祭司以外の人が食べてはならない臨在のパンを食べて、一緒にいた人たちにも与えたか、読んだことがないのですか。」
2:27 そして言われた。「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。
2:28 ですから、人の子は安息日にも主です。」

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