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ゴスペルハウスコミュの「受胎告知 -アドベント第3週-」2023.12.16

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ゴスペルハウスメッセージ 2023.12.16
「受胎告知 -アドベント第3週-」ルカ1:26-38

26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
37 神にとって不可能なことは何もありません。」
38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。

この聖書箇所は、「受胎告知」として知られていて、絵画や劇などにもなっている、有名な場面です。
「その六か月目」(26節)というのは、マリアの親類のエリサベツが懐妊して6ヶ月ということです。
エリサベツのお腹の赤ちゃんは、後のバプテスマのヨハネです。
イエスさまとバプテスマのヨハネは、親類で歳も同じということですね。

マリアのところに御使いガブリエルが来て、言いました。
「おめでとう、恵まれた方。」(28節)
おめでとうは、「喜びなさい」という意味です。
恵まれた方は、「神様が恵みを授けた人」という意味です。
いきなり御使いが目の前に現れただけでも驚きなのに、喜びなさいという挨拶をされたら、戸惑って「え?」「なにが?」ってなりますよね。
マリアも、そうなりました。

「恐れることはありません」(30節)と、御使いは安心させるかのように声掛けをします。
しかし、そこから続く御使いの言葉は、とんでもないことでした。
神様が、マリアのお腹に赤ちゃんを与えるというのです。
例えばエリサベツのように、結婚して何年も経つのに子どもが授からない夫婦が、神様に祈って赤ちゃんを与えられるということではないのです。
マリアはヨセフと婚約はしているけれど、まだヨセフと一緒にはなっていなかったのです。
当時、婚約者がいる女性が別の男性と関係を持ったら、石打ちで死刑です(申命記22:23-24)。
姦淫は、十戒の一つに加えられるほど、してはならないことでした。

「おめでとう、恵まれた方」から「恐れることはありません」と続いたあとの内容は、石打ちでの死刑だったのです。
もし、石打ちを免れたとしても、そのお腹の子どもがヨセフの子ではないことは明白です。
周りの人たちも、知ることでしょう。
「喜びなさい」って言われても、「おめでとう」って言われても、「恐れるな」って言われても、それは無理です。
「その子は大いなる者となり」(32節)って言われても、やっぱり無理な要求です。
受け入ることができるはずがありません。

それでマリアも、「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。」(34節)と、反論しました。
「なんで私が?」「私じゃなくても、別の人で」「結婚してからだったらまだしも」と、マリアの心の中は困惑でいっぱいだったことでしょう。

御使いは答えます。
「神にとって不可能なことは何もありません。」(37節)
マリアにとって受け入れがたいことかもしれないけど、マリアは無理だと思うかもしれないけど、それが神様のみこころなんだということを、御使いは伝えたのです。

マリアは、「私は主のはしためです。」(38節)と言いました。
「私は主のしもべ」「私は主の女奴隷」という宣言です。
私には無理だけど、神様のおことばどおりに、神様のみこころどおりになるようにと、言ったのです。
マリアたち家族がバカにされ続けるかもしれないし、それ以前に死刑にされるかもしれないけど、神様のみこころに従いますという覚悟です。
このマリアの覚悟が、救い主イエスさまのお誕生に、クリスマスにつながったのです。
バカにされるかもしれない、死刑になるかもしれないのに、そのリスクを負ってまで、マリアは神様に従った、みこころに従ったのです。
すばらしい覚悟です。

そして、このマリアの覚悟の約30年後に、神様と同じようなやりとりをした人がいるのです。
バカにされるかもしれない、殺されるかもしれない、無理だしイヤだ、でも、みこころどおりにって言った人です。
だれだと思いますか。
そう、マリアのお腹の中の赤ちゃんだったイエスさまです。
十字架の前の晩に、ゲッセマネで、血の汗を流すほどに苦しみながら祈ったイエスさまです。
「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」(ルカ22:42)
十字架にかかれば呪われた者になってしまうのです。
そして死んでしまうのです。
苦しいし、悔しい、無理、イヤです。
でも、みこころどおりにという、イエスさまの決死の覚悟です。
この覚悟が、救いを完成したのです。

「無理、イヤだ」けど「みこころどおりに」という覚悟。
母・マリアの覚悟で、あなたにクリスマスが与えられました。
子・イエスさまの覚悟で、あなたに救いが与えられました。
クリスマスも十字架も、他のだれでもない、あなたのためのものなのです。

だからあなたにも、神様はチャレンジします。
「喜びなさい」って言いながら、「死ぬかもしれない」ことを与えるのです。
無理でイヤなことを、与えるのです。

母・マリアの覚悟で、あなたに救い主が与えられました。
子・イエスさまの覚悟で、あなたの救いが完成しました。
じゃあ、あなたは、神様のチャレンジに、神様のみこころに、どうこたえますか。
あなたの覚悟が、神様のみこころどおりでありますように。

あなたのために、お祈りします。


【参考聖書箇所】
☆姦淫について
「姦淫してはならない。」(出エジプト20:14、申命記5:18)
申命記
22:23 ある男と婚約中の処女の娘がいて、ほかの男が町で彼女を見かけて一緒に寝た場合、
22:24 あなたがたはその二人をその町の門のところに連れ出し、石を投げて殺さなければならない。その女は町の中にいながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻を辱めたからである。こうして、あなたがたの中からその悪い者を除き去りなさい。

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