ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ゴスペルハウスコミュの「大きなみわざが起こるとき」2023.06.25

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ゴスペルハウスメッセージ 2023.06.25
「大きなみわざが起こるとき」使徒8:26-40

26 さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。
27 そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
28 帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。
30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。
31 するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。
32 彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。「屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。
33 彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。彼の時代のことを、だれが語れるだろう。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
34 宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
35 ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。
36 道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
38 そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
39 二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。
40 それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに行った。

今週の聖書箇所は、ピリポが、エチオピア人の宦官に洗礼を授ける場面です。
十二弟子(十二使徒)の中にも、ピリポはいますが、この箇所のピリポとは別人です。
ここのピリポは、初期のキリスト教会で、ギリシア語を使うユダヤ人とヘブル語を使うユダヤ人との間の世話をするために選ばれた7人のうちの一人です(使徒6:1-6参照)。
その7人の中には、最初の殉教者とも言われるステパノがいます。

エルサレムでは、イエスさまを救い主と信じることのできないユダヤ人からの迫害が激しくなり、ステパノは、それで殉教しました。
エルサレム教会の危機に、弟子たちはバラバラにエルサレムを離れて、各地に散らばりました。

このとき、ピリポは、サマリアへ行きました。
この第8章の前半は、サマリアでのピリポの働き、伝道の成果が記されています。
ユダヤ人とサマリア人は、アッシリア捕囚が発端となり、蔑み、憎み合っています。
しかしピリポは、イエスさまの福音を伝え、しるしを行い、たくさんのサマリア人がイエスさまを信じました。
ピリポのサマリア伝道は、大きな成果をあげたのです。
エルサレルでの迫害も、神様の働きによって、祝福へと変えられたのです。
今日的な言い方をすれば、「開拓伝道は順調。順風満帆、大成功。ハレルヤ!」といったところでしょう。
それが、この章の25節までの内容です。

「さて」(26節)は、それを受けての言葉です。
サマリアでの伝道の成功の途上で、神様はピリポに言いました。
「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(26節)
しかも、そこは荒野です。
たくさんのサマリア人が、ピリポを必要としているだろうに、神様は、そこを離れて、だれもいないかもしれない荒野に、ピリポを送り出そうと言うのです。

あなたなら、どうしますか。
目の前の大きな実りを見て、神様の祝福の現れを見て、そして、神様からの不条理とも思える要求の言葉を聞いて。
悩まないでいられますか?
しかしピリポは、当たり前のように、何でもないことかのように、「立って出かけた」(27節)のです。

その荒野にいたのは、エチオピアの女王に仕える宦官でした。
宦官とは、位の高い女性に仕えるために去勢した男の家臣のことです(他にも様々な形態があります)。
宦官は、エルサレムに礼拝に行った帰りで、イザヤ書を読んでいました。
礼拝に行ったということは、彼は、神様を信じていたということです。
しかし、彼はエルサレムの神殿に行っても、異邦人の庭(最も外側)にしか入れません。
なぜなら、彼は異邦人であるし、しかも、去勢されたものなのです。

また、彼が読んでいたのは、イザヤ書の第53章です。
この章は、短い章なのですが、イエスさまが救い主であることが分からなければ、何も理解することができません。
逆に、イエスさまを救い主と知っていたら、イエスさまの誕生の700年も前に、イザヤに与えられた預言ということが、すぐに分かります。
ピリポは、宦官にイエスさまの福音を解き明かしました。

宦官は、勇気を持って、ピリポに聞きました。
「私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」(36節)
それは、「神殿に入ることもできない私も、神様に受け入れられますか?」という問いなのです。
勇気も覚悟もないまま聞けるようなものではありません。

ピリポはそれを受け入れ、バプテスマを授け、二人が川から上がったら、神様がピリポを連れ去ったのです。
目の前にいた宦官が気が付かないほどの速さで、見通しのよい荒野の川辺なのに、ピリポは消えたようにいなくなったのです。
森の中でもなく、家の密集しているところでもなく、もちろん宦官は捜したでしょうが、ピリポはいなくなったのです。
もはや、瞬間移動です。

たとえば、パウロが船で遭難した時、パウロが石打ちで殺されかけた時、パウロが牢に入れられた時、瞬間移動ができたら、どんなに喜んだことでしょう。
また、伝道旅行は、もっとはかどり、多くの実を結んだことでしょう。
しかし、神様は、パウロの伝道旅行ではなく、たった一人の宦官の救いのために、瞬間移動という、この大きなみわざを起こしたのです。
地味な、たった一人の洗礼のための出来事のラストに、大きなみわざを与えたのです。

この瞬間移動と同じように、目覚ましい移動をした例は、いくつもあります。
旧約聖書では、エノクは神様が取り去っていなくなったとあります(創世記5:21-24)。
エリヤは、火の馬車に乗って天に上りました(列王記第二 2:11)。
ダニエルの3人の友、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、燃える炉の中を神様とともに歩みました(ダニエル3:23-25)。
他にも、色々ありますね。
新約聖書では、ペテロが水上歩行をしましたが、すぐに溺れてしまいます(マタイ14:25-32)。
イエスさまは、嵐を沈めてでも、ゲラサ人の地に行きましたが、たった一人の悪霊につかれた人を解放して、戻らざるを得ませんでした(ルカ8:22-27)。
ユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけている弟子たちのところへ、イエスさまは、その真ん中に現れました(ヨハネ20:19-20)。
エマオの宿で、やっと弟子たちの目が開かれたときには、イエスさまの姿は見えなくなっていました(ルカ24:31)。

旧約聖書では、大きな使命を持った人や、神様に選ばれた人、神様に見込まれた人、がんばった人など、神様の大きなみわざにふさわしい人たちに、与えられていました。
それに対し、新約聖書では、少しだめな人、愚かな人、資格なし・価値なしと思われていた人、足りないと思われていた人に、大きなみわざが与えられているのです。
それは、ふさわしいとは言い難い、過大なみわざと言っていいでしょう。
そして、その結果が、後に大いに役立ったわけでもなさそうです。
それでも、神様は、大きなみわざを与えたのです。

では、旧約聖書と新約聖書の間に、何があったのでしょう。
それは、救い主・イエスさまの誕生です。
そして、十字架の赦しと贖いです。

さて、あなたは、旧約聖書の時代と、新約聖書の時代の、どちらの時代にいますか。
イザヤ書第53章は、宦官と同じようにわからないままですか。
そんなことは、ないですね。
この中に、2000歳以上の人は、いますか。
いませんね、聖書に記されている最高齢でも969歳ですから、今、すべての人は、新約聖書の時代に、十字架後の時代に、生きているのです。

あなたは、資格もなく、価値もなく、少しだめなまま、少し足りないまま、それでも神様の大きなみわざが起きるときに生きているのです。
でもそれは、ショーとして行われるものではなく、見せるために起こるものでもありません。
もっともっと大きな、ありえないような大きなみわざが、あなたのために起こるのです。
それは、瞬間移動よりも、火の馬車よりも、水上歩行よりも、嵐をしずめるよりも、大きなみわざです。

あなたのために起こった大きなみわざ、瞬間移動よりも激しい移動、それは、「天の父なる神様のひとり子が、あなたのために、家畜小屋で生まれたこと」です。
そして、「その神様のひとり子が、あなたの救い主であるために、十字架への道を歩んだこと」です。
さらに、「あなたの永遠のいのちのために、三日目に復活し、大きな石でふさがれた墓から出たこと」です。

すべて、あなたを赦し、永遠のいのちに、神様の御国に招くためのことです。
資格も、価値もなく、欠けだらけのあなたのために、イエスさまがいのちがけで起こした、大きな愛のみわざ、大きな覚悟のみわざなのです。
あなたは、愛されているのです。
あなたは、この愛の時代、恵みの時代、大きなみわざが起こるときに、生きているのです。
この愛を、このみわざを、しっかりと受けとって、今日も歩んでいきましょう。


【参照聖書箇所】
使徒行伝
6:1 そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。
6:2 そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、
6:4 私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」
6:5 この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、
6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。

イザヤ
53:7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
53:8 虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。

創世記
5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
5:22 エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
5:23 エノクの全生涯は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

列王記下
2:11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行った。

ダニエル
3:23 この三人、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ちて行った。
3:24 そのとき、ネブカドネツァル王は驚いて急に立ち上がり、顧問たちに尋ねた。「われわれは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えた。「王様、そのとおりでございます。」
3:25 すると王は言った。「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」

マタイ
14:25 夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。
14:26 イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
14:28 するとペテロが答えて、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。
14:29 イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。
14:30 ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」
14:32 そして二人が舟に乗り込むと、風はやんだ。

ルカ
8:22 ある日のことであった。イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。
8:23 舟で渡っている間に、イエスは眠り始められた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、彼らは水をかぶって危険になった。
8:24 そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」と言った。イエスは起き上がり、風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪になった。
8:25 イエスは彼らに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」
8:26 こうして彼らは、舟で、ガリラヤの反対側にあるゲラサ人の地に着いた。
8:27 イエスが陸に上がられると、その町の者で、悪霊につかれている男がイエスを迎えた。彼は長い間、服を身に着けず、家に住まないで墓場に住んでいた。

ヨハネ
20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20:20 こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。

ルカ
24:31 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。(ああ、愚かな者たち24:25)

創世記
5:27 メトシェラの全生涯は九百六十九年であった。こうして彼は死んだ。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゴスペルハウス 更新情報

ゴスペルハウスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング