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知らなきゃいけないコトコミュのスピーシーシズムとは何か?

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「スピーシーシズム」(speciesism)とは、
「種差別」と訳される、動物権利を騙る者達には、伝家の宝刀のような用語です。

    *日本語では、「シ」が並んで言い難いのか、
     「スピーシズム」ということも多い。


基本的な意味は、不完全ながらwikiでなんとなく理解をしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E5%B7%AE%E5%88%A5
(以下、全文)

種差別(しゅさべつ、英語: speciesism)とは、人間とは異なった種(生物)に対して、それぞれ異なった価値や権利を付与すること。「性差別」(sexism)や「人種差別」(racism)などにならって作られた用語であるが、人間のみを特権づけ他の生物をないがしろにする差別(人間中心主義)は不当だとする、ピーター・シンガーら動物の権利(アニマルライツ)の唱道者らによって主に使用される。

この言葉は、1973年に心理学者のリチャード・ライダーが作ったもので、1975年にピーター・シンガーが出版した『動物の解放』(ANIMAL LIBERATION)によって広く知られる様になった。シンガーの主張は、彼が拠って立つ功利主義の立場から、われわれは快苦を感じそれを表現することができる存在に等しく道徳的配慮をするべきである、というもので知能や人間にとっての有用さという観点からの差別は正当化されるものではないとする。また、シンガーは快苦を感じ表現する能力の度合いに応じて配慮の度合いを変えることを容認している。
種差別とは人間とそれ以外の動物を種が違う事を根拠に差別することである。しばしば、誤解されがちだが、人間が動物に対して線引き(クジラやイヌは食べるべきではないが、ウシやブタやニワトリは食べても良いといった様な)をすることではない。種差別に反対する立場から生まれた動物の権利思想は工場畜産、動物実験、狩猟、サーカス、動物園などを廃止し、人々にヴィーガニズムとベジタリアニズムを呼びかけている。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

どうやらこれが、
動物権利論者を「調子づかせる」(正確には、妄想に突き進ませる)原動力だと、
私は考えますので、
この思想の「なにがおかしいのかを」検証したいと思います。

コメント(212)

現在の光素(ぴか・そ) さんの振る舞いは、

「○○は間違っている。但し、具体的にどこがどう間違っているのかは言わない」

という非常にみっともないものです。
健全な議論の場では、他者の間違いを否定するのに躊躇する必要はありません。違うと思ったらどんどん指摘すればよいのです。多少あやふやでも、「自分はこう感じた」 という意見を述べることは大切です。

ただし、「間違っている」 とだけ述べて、どこがどう間違っているのか一切述べないのは、自分以外のすべてに対して非常に不誠実です。議論の場では、避けるべきダメな振る舞いです。


この程度のあたりまえの前提が、光素(ぴか・そ) さんにわからないとも思えません。
それとも、本当にわからないのでしょうか?
>>[171]
>自信があるのはとても良いことですけど

自分が見落としている自分の間違いについて、ぜひ教えてください、と繰り返し述べているのに、「自信があるのはとても良いこと」 とは珍妙な問答ですね。
>>[174]
>ただし、「間違っている」 とだけ述べて、どこがどう間違っているのか一切述べないのは、

間違っているなんて言ってませんよw
>>[176]

返答しやすそうに見える部分だけつまみ食いをはじめてしまいましたねえ…。

その部分は比喩表現ですから、直接に光素(ぴか・そ) さんが文字通り 「間違っている」 と述べたとはわたしは主張していませんよ。光素(ぴか・そ) さんが文字通り述べたのは 「単に相手を罵るのではなく」 です。そして、「単に相手を罵るのではなく」 という文章は、「罵るのではなく」 というように他者のふるまいを否定するものですから、「間違っている」 という比喩を用いてあらわすことができるわけです。


で、本題。

どうもわたしの質問を読み飛ばしているようなので、質問を再掲しますね。

【質問5回目】
見逃しがあるといけないので、具体的に何番と何番のコメントが、「単に相手を罵るのではなく」 というようなもっともな指摘の対象と成り得るとお考えでしょうか?

質問の回答を番号でどうぞ。
なぜこんな簡単な質問から逃げ惑うのだろうか?
まあ、「質問に答えてしまうとたいへんに都合が悪いので、どうしても回答することを避けたい」 という事情があるなら、逃げてもよいですよ。その場合はもちろん、光素(ぴか・そ) さんの発言は無責任な放言だった、という結論とセットになりますが。
>>[177]
比喩的表現ってどういう意味ですか?
私は「間違っている」なんて一言も言ってませんよね?
発言番号を示せますか?

結局、Georgeさんが言いたいことは「間違ってる」ということではないように
私が言いたいことは「単に相手を罵る」ということじゃないんですよw
だから感受性の問題だって、これはもう断言できそうですね
>>[179]
>比喩的表現ってどういう意味ですか?

以下でわかりやすく説明しますね。


>私は「間違っている」なんて一言も言ってませんよね?
>発言番号を示せますか?

はい。光素(ぴか・そ) さんは、「間違っている」 という文字列をコメントに含めていません。
なので、光素(ぴか・そ) さんの発言のどこを探しても、「間違っている」 という文字列はヒットしません。
よって、発言番号を示すことなどできません。

なぜ、光素(ぴか・そ) さんの発言を指して、「間違っている」 という比喩表現を用いることができるかというと、光素(ぴか・そ) さんは、「単に相手を罵るのではなく」 と述べたからです。

「単に相手を罵るのではなく」 という文章には、「罵るのではなく」 という部分が含まれます。

Aさんが誰かを罵った。
Aさんが誰かを罵るという行為は、よくないことである。
Aさんの誰かを罵るという行為は、改善の余地のある間違った振る舞いである。

なので、光素(ぴか・そ) さんの発言を論理的に紐解き、 「光素(ぴか・そ) さんは○○は間違っていると述べた」 と比喩的に表現することができます。



で、本題。

どうもわたしの質問を読み飛ばしているようなので、質問を再掲しますね。

【質問6回目】
見逃しがあるといけないので、具体的に何番と何番のコメントが、「単に相手を罵るのではなく」 というようなもっともな指摘の対象と成り得るとお考えでしょうか?

質問の回答を番号でどうぞ。
>>[180]の忍耐深さには敬意を表する。



単に相手を罵るんじゃなく、相手が受け入れやすいように気づきを与えたり導いたりできたらいいのにね・・・
(by ぴか)
         ↓
【質問5回目】
見逃しがあるといけないので、具体的に何番と何番のコメントが、「単に相手を罵るのではなく」 というようなもっともな指摘の対象と成り得るとお考えでしょうか?
(by Georgeさん)

         ↓

私が言いたいことは「単に相手を罵る」ということじゃないんですよw
だから感受性の問題だって、これはもう断言できそうですね
(by ぴか)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ほら始まった。

根拠もなく他人に侮蔑的な言葉を投げて、勝った気になる。
勝ちたい病。

そしてその根拠を示せと言われた瞬間、
「そんなことは言ってない」
といいだす、負けたら死んじゃう病。

このすさまじき不毛さにつきあえるGeorgeさんはすごい。


>>[180]
>私が言いたいことは「単に相手を罵る」ということじゃないんですよw

そんなことは最初から予想された範疇ですが、光素(ぴか・そ) さんが自ら明示的にそれを説明しない限り、その可能性はないものとして扱うのが議論のルールです。

また、光素(ぴか・そ) さんは自分の言葉として 「単に相手を罵る」 という文言を選択したわけです。そういう自身の言葉の選択について責任が取れないのですか?

で、「言いたいことは「単に相手を罵る」ということじゃない」 ということであるならば、何を言いたいのですか?

まさかとは思いますが、表現上の過誤を見逃してほしいという期待を持っているのですか?
>>[183]
一部を切り出しても意味がないということは判った上で
どうしてもやり込めたいという感情がひしひしと伝わってきますねぇ

Georgeさん には蒙を明るくするような対応は期待できないという結論でいいですかね
慇懃無礼に相手をやり込めて勝った気になって満足しているだけだと
まぁ、これも私の個人的な感想なんで、感じ方は人それぞれなんでしょうけど・・・
>>[184]
>どうしてもやり込めたいという感情がひしひしと伝わってきますねぇ

デマですね。
わたしの内面についての正解を示せるのは神のみであるので、光素(ぴか・そ) さんは印象を述べることはできても、それをわたしから否定されたら終わりです。


>Georgeさん には蒙を明るくするような対応は期待できないという結論でいいですかね
>慇懃無礼に相手をやり込めて勝った気になって満足しているだけだと

いえ、この場合主語が間違っていて、光素(ぴか・そ) さんには蒙を明るくするような対応は期待できないという結論になってしまいます。なぜかというと、今現在この場で、光素(ぴか・そ) さんは他者に改善すべき点を指摘できる立場であるのに、それを怠ったからです。


そもそも、「勝った気になって満足している」 という感想を持つことがおかしいですね。

わたしは過去に光素(ぴか・そ) さんとのやりとりで、「議論は勝ち負けではない」 という主旨の意見表明を明確に行っています。もちろんそれは今回の話し合いにも適応されているので、光素(ぴか・そ) さんだけが勝ち負けの話題を持ち出していることになります。

つまり、光素(ぴか・そ)さんだけが議論の場での勝ち負けにこだわっています。


もうちょっと成長できないものでしょうか?
せめて、同じ間違いを繰り返さないようになってみては?
で、本題。

どうもわたしの質問を読み飛ばしているようなので、質問を再掲しますね。

【質問7回目】
見逃しがあるといけないので、具体的に何番と何番のコメントが、「単に相手を罵るのではなく」 というようなもっともな指摘の対象と成り得るとお考えでしょうか?

質問の回答を番号でどうぞ。
「単に罵るのではなく」 という言葉の選択が間違いで、つい筆が滑って書いてしまったのならば、それはそれで一向にかまいません。

「わたしが言いたかったことをより正確に述べると、以下のようになります」

と、先行した言葉を撤回し、書き直しをすればよいだけのことです。



この、「撤回して書き直せばよい」 というくだりは、以前もさんざんやりましたよね?
間違いを認めることは恥ではなく、健全な話し合いのために必要なプロセスである、という説明もしましたよね?

わすれましたか?
また、以前と同じことをくどくどとやらないと、何をすべきか、何をすべきでないかがわかりませんか?


例)
「確かに直接的に罵っている表現はないようなので、先の発言は撤回します。ですが、あのような対応は上手とは言えないでしょう。わたしなら以下のように話を運びますが…」

というような会話をすればよいだけのことなのに、なぜささいな間違いを認めることができないのでしょうか?

勝ち誇られている、という被害妄想があるようですが、光素(ぴか・そ) さんが勝手に穴をほってどんどん下に掘り進んでいるだけのことですよ。こちらは地面に立って対等に話し合いをしてほしいだけです。
>>[186]

彼に学習を促すのは、可能なんですかねえ?

>質問の回答を番号でどうぞ。

こんな簡単なことには、一切答えない。
そして、
「僕忙しいから、時間をくれ」という。

いつまで?
「じゃあ、一ヶ月後くらい」
あっそ、なんでそんな時間がいるのかわからんがまあ許してやる。
期待しているぞ。
   
   ……そして月日は過ぎ、

そんないらんことはどうでもいいから、宿題早く書け!
「え、ぼくにそんなものありませんよ、答えはもう書きましたけど」
どこにもねーよそんなの。どれが答えだよ?
「このへんのこのあたり」
あ?どこ?ないじゃん?
え?!この関係ないことが答え?

nyateteとはちがう意味で無限ループです。


   「××の発言は、〇〇的で罵るだけである(あるいは間違っている)」と、
    他人の発言に対し、根拠の無い上から目線で物を言ってみる。
    (何が何でも偉ぶりたい病)
         ↓
      *どこでそんなこと言った?
       お前デタラメだろ?違うんだったら、証拠を示しな。
       それと、自分の発言は責任とったほうがいいよ。

         ↓
   「そんなこと言った覚えはありません。そうやって勝ちたいだけなんですねww
    結局、感受性の問題ですよそれ」
    (何が何でも負けたら死んじゃう病)

これだけを無限に繰り返し続けるのって、ある意味才能だ!すげえよなあ。





>>[188]
>彼に学習を促すのは、可能なんですかねえ?

実のところ、学習するのもしないのも本人の勝手ですし、まともな話し合いができるようにならなくてもわたしはあまりこまらないんですよね。

・まともな発言
・トンチンカンな発言

を並べておけば、トンチンカンなほうがとにかくダメなものだということが周知されますから、それでじゅうぶんです。

もちろん、「ちょっと議論が苦手だったひとが、みるみる議論の仕方を身につけて、ものすごく健全な議論ができるようになってきた」 みたいな展開が理想ですし、実際にそういうケースもありますが、光素(ぴか・そ) さんにそういう兆候はないですね。

典型的な、「間違いを認めると死んじゃう病」 のひとみたい。


今回のテーマも、初期の段階で、「ここの発言の表現はダメなんじゃないか?」 という具体的な指摘をするか、「罵っていると表現したのは早とちりでした」 という訂正をしておけば、ここまで光素(ぴか・そ) さんのダメなところを強調せずに済んだはずです。

この構図は以前の 「違法行為断定云々」 のくだりとまったく同じですね。
>>[189]

>実のところ、学習するのもしないのも本人の勝手ですし、
>まともな話し合いができるようにならなくてもわたしはあまりこまらないんですよね。

でもなあ。
という正直な感想。

少しでもマシな話ができているかもしれないところに、
こいつが入ってくると途端に始まる不毛な感じ。

枯葉剤でも撒かれているような、絶望的な不毛、そんな感じ。

お前いらねーーーーと思いますなあ。

>>[190]
>少しでもマシな話ができているかもしれないところに、
>こいつが入ってくると途端に始まる不毛な感じ。

そこはその通りなんですよね。

せっかく、新規の話し合いがあったことを紹介したのに、漠然と 「もっとうまくやればいいのに」 とだけ述べて、どこがどううまくないとか、どう改善すべきか、まったく述べないなんてのは、非建設的です。居酒屋で酔っ払いが野球中継の監督采配にブーたれているのと同じ図式。

自分の思考を文章化するのが苦手なら、「うまく言えないけれど、なんとなくもっといいやり方があると思うよ」 という感想を述べることもできるはずですが、そういうことでもなさそうなんですよね。


光素(ぴか・そ) さんは改善すべき課題を山ほど抱えていると思いますよ。あまりにもわかりやすいので、改善し放題で成長伸びしろが大きくてうらやましいなあ、と思えるぐらい。

もともと動物にまったく無知というわけでもなさそうなので、もったいないですね。
相手の気持ちになって、蒙を明るくするように関われば良いんじゃいかという提案は
建設的ではないようです・・・・
感受性の問題ですね
>>[192]
>相手の気持ちになって、蒙を明るくするように関われば良いんじゃいかという提案は
>建設的ではないようです・・・・
>感受性の問題ですね

いえ、単純に光素(ぴか・そ) さんのコミュニケーション能力の問題ですね。


以下の質問にいつまでたっても回答しないことがその証左です。
たとえば、「質問がまったくまとはずれ」 であるならば、いかにその質問がダメかを述べればよいはずですが、それもないですね。

光素(ぴか・そ)さんのやっていることは、「漠然とした返信を書いて何か反論した気分になっている」 という詭弁に過ぎません。



【質問8回目】
見逃しがあるといけないので、具体的に何番と何番のコメントが、「単に相手を罵るのではなく」 というようなもっともな指摘の対象と成り得るとお考えでしょうか?

質問の回答を番号でどうぞ。
光素(ぴか・そ) さんにおすすめサイトをひとつ。

議論のしかた
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/index.html

ぜんぶ読みきれば、おそらく、目から鱗がおちていることと思います。
光素(ぴか・そ) さんのやっている掲示板上のふるまいがいかによくないことか、ということも多少はわかるでしょう。

書籍版もおすすめです。
>>[194]
なるほど、たいへん勉強になりました。
Georgeさん のやり方も、そのテキストの添って考えれば
色々と問題があるんだということもね

私は議論がしたいわではないようです
(Georgeさん は議論をしたがっているように思いますが)

私は、動物愛護思想家との会話を重ねて相手のことを熟知しているのなら、もうすこし相手の立場にたった投げかけが可能なんじゃないのかな?
という感想を述べているのです。

話の一部だけを切り出して糾弾するのは、その趣旨に添ってないと感じますね。
>>[195]
>なるほど、たいへん勉強になりました。

おそらく時間的に一部しか目を通していないでしょうから、できるだけ多くの章を読んでおくことをおすすめします。


>Georgeさん のやり方も、そのテキストの添って考えれば
>色々と問題があるんだということもね

その通りです。わたしも完全な人間ではないので、しばしば間違いをしでかします。


>私は、動物愛護思想家との会話を重ねて相手のことを熟知しているのなら、もうすこし相手の立場にたった投げかけが可能なんじゃないのかな?
>という感想を述べているのです。

その感想はべつにおかしなものではないですし、わたしはそれについてまだ何もコメントしていませんよ。


>話の一部だけを切り出して糾弾するのは、その趣旨に添ってないと感じますね。

・「単に罵るだけでなく」 という指摘は、まぎれもなく光素(ぴか・そ) が用いた表現です。その表現が妥当ならどこが罵りであったのか説明すればよいし、うっかり表現選択を誤ったかな、と思ったら撤回すればよいだけです。もちろん謝罪するようなものでもありません。
・「糾弾」 されている事実はありません。尋ねられているだけです。
・ひととひとの話し合いは、一方のみの趣旨に沿うべきである、ということはありません。必要に応じて複数の趣旨について話し合いをすればよいでしょう。
>>[195]
>私は議論がしたいわではないようです

そうですか。議論がしたいわけではないのですか。

先のリンク先より引用

>議論とは何か
>議論とは何かを簡潔に答えよと言われたら私は次の一文を挙げます。
> 議論とは人の意見を聞いて理解する場である。

光素(ぴか・そ) さんは、「なるほど、大変勉強になりました」 と述べるほどですから、先頭部分に書かれているこの議論の定義についても当然理解している状態なのだと期待しています。

【質問その2】
光素(ぴか・そ) さんは、ここで 「人の意見を聞いて理解しようとしているわけではない」 のでしょうか?
他人の意見を聞くことなく、自説を述べればそれで満足なのでしょうか?



もちろん、先の質問もまだ返答待ちです。

【質問その1、9回目】
見逃しがあるといけないので、具体的に何番と何番のコメントが、「単に相手を罵るのではなく」 というようなもっともな指摘の対象と成り得るとお考えでしょうか?

質問の回答を番号でどうぞ。
反例を挙げよ
インチキ科学者は自分の説を批判されるとすぐ「私の説が間違っているというならその証拠を挙げてみろ」と言います。この主張をこう言い換えるともっとインチキ臭くなるでしょう。「間違っているという証拠が出ない限り私の説は正しい」。こういう人に限って、例え間違っている証拠が出たとしてもいろいろな理由をつけて「それは証拠ではない」と主張します。

これは過程ではなく結論を大事にしているから起こることです。ある説が「間違っている」というのは、その説の結論が正しくないということではありません。その説が結論に至る過程が正しくないということです。ですから、結論を肯定することも否定することもその説が正しいかどうかの検証にはなりません。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

キリスト教とか、信仰の人の典型だね。
nyateteも瓜二つ。

ということはやはり、シンガーなんかは「エセ科学」に分類したほうが良さそうだな。
>>[198]
まったくその通りです。
シンガーの主張はニセ科学、エセ科学に分類できると思います。

もともと好き嫌い以外によりどころがなかったのに、シンガーが好き嫌いより位が高そうに見えるものを提案して、そういうのに飢えていた動物愛護者が飛びついた、という図式ですよね。

結論ありき、の見本みたいなもの。
何度も、一部だけを抜き出して話すのは意味がないと申し上げているのですが、なんとしてもやり込めたいという思いが強いみたいです。
勝ちたい、負けたくないという思いからなんでしょうか・・・

Georgeさんが「単に罵りだけ」の一部分にこだわって前に進めないのなら、その部分だけ撤回してもかまいませんよ。
べつに、そのことを議論したいわけではないので。
>>[198]
>キリスト教とか、信仰の人の典型だね。

数多い宗教の中からキリスト教を名指しで出される理由をお聞きしたいですね
>>[201]譲りですか?お母さん譲りですか?
    両方ですか?
    それともどっちも関係ないのですか?」

ほれ。
もう一回聞きますね(2回目の質問ですって書くのがマナー?)
数多い宗教の中からキリスト教を名指しで出される理由をお聞かせください。
A 「ツチノコが出たぞー!ゴミのポイ捨てはいかん!」
B 「え、ツチノコ!?どこに出ました?」

A 「ゴミのポイ捨てから目をそらしてはいけません」
B 「いや、ツチノコが出たんでしょ?大事件ですよ。どこですか?」

A 「ポイ捨てはいけないという感想を述べたかったんです」
B 「うーん、見間違いでもしたのでしょうか?どこで見たの?ツチノコの話はウソですか?それならそれでいいんですけど…」

A 「Bさんはツチノコにこだわって先に進めていないですね」
B (だめだこりゃ)
>>[203]譲りですか?お母さん譲りですか?
    両方ですか?
    それともどっちも関係ないのですか?」
>>[203] 光素(ぴか・そ)

質問その2&その3

   「特に限定して何かを言ったわけではないのに、
    欧米人の思考や最大宗教であることなどから、
    代表例としてキリスト教という単語が使用されてるだけなのだが……。
    それがあるたびに特に過剰な反応を示すのは、
    お前がキリスト教徒だからですか?」

   「その下劣でいやらしい性格は、まさにキリスト教のおかげですか?」


>>[206]
宗教は偽科学であるとするならば、仏教でもイスラム教でも神道でもそれは同じはずです。
なぜキリスト教だけを引き合いに出すのか。
キリスト教が欧米だけの専売特許ではありませんので、それこそ化学的ではないですよね?

日本国内でキリスト教の信者は300万人と公称されており、すくなくともその半数150万人はいるそうです。
こういう場で特定の宗教を揶揄する発言は慎むべきだと思いますよ。

>>[207]譲りですか?お母さん譲りですか?
    両方ですか?
    それともどっちも関係ないのですか?」

質問その2&その3

   「特に限定して何かを言ったわけではないのに、
    欧米人の思考や最大宗教であることなどから、
    代表例としてキリスト教という単語が使用されてるだけなのだが……。
    それがあるたびに特に過剰な反応を示すのは、
    お前がキリスト教徒だからですか?」

   「その下劣でいやらしい性格は、まさにキリスト教のおかげですか?」
壊れてしまいましたか・・・負けたくない病というのは厄介なものですねぇ
>>[209]譲りですか?お母さん譲りですか?
    両方ですか?
    それともどっちも関係ないのですか?」

質問その2&その3

   「特に限定して何かを言ったわけではないのに、
    欧米人の思考や最大宗教であることなどから、
    代表例としてキリスト教という単語が使用されてるだけなのだが……。
    それがあるたびに特に過剰な反応を示すのは、
    お前がキリスト教徒だからですか?」

   「その下劣でいやらしい性格は、まさにキリスト教のおかげですか?」
動物愛誤 = ニセ科学 =キリスト教思想
というのが3点セットで語られていますが本当なのでしょうか?
キリスト教の自然観について、また動物愛護精神とのかかわりについて
もう少し学ばれた方が良いような気がします。

また、日本もキリスト教が渡来するまでは自然豊かな国土だったというのも
幻想にすぎません。
キリスト教が自然破壊をした という印象と 動物愛護精神はキリスト教が根底にある という印象は
矛盾しませんか?
(これはあくまでも印象なんで、矛盾してないよ!って説明されたら納得するかもしれませんが(笑))


「動物の神学」小原克博(同志社大学)
http://podcast.doshisha.ac.jp/pdf/2009/systheo12.pdf
☆キリスト教世界でも西方教会と東方教会では動物観に大きな違いがある
☆シンガーはユダヤ・キリスト教の人間中心的な考え方を批判する。

ご参考
中世キリスト教文化における動物観
関西学院大学大学院 総合政策研究科 鎌田研究室
上野山晃弘(博士課程後期課程1年)
http://research.natura-humana.net/ronsyu/uenoyama.html
●アッシジの聖フランシスコにおける動物観
神との関係において、あらゆる被造物は、それぞれに固有の自然本性を授けられており、植物も動物も人間も、神への感謝においては共通の絆で支えられている、という発想がその根底にある。
●現代動物愛護問題へのメッセージ
 「創世記」をはじめとしてキリスト教文化における動物観註8は、人間による支配を正当化してきたとの理由でしばしば批判の対象とされてきた。しかし、そのような評価は、伝統的なキリスト教社会に対する理解を狭めてしまうだろう。
>>[211]譲りですか?お母さん譲りですか?
    両方ですか?
    それともどっちも関係ないのですか?」

質問その2&その3

   「特に限定して何かを言ったわけではないのに、
    欧米人の思考や最大宗教であることなどから、
    代表例としてキリスト教という単語が使用されてるだけなのだが……。
    それがあるたびに特に過剰な反応を示すのは、
    お前がキリスト教徒だからですか?」

   「その下劣でいやらしい性格は、まさにキリスト教のおかげですか?」

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