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日本再生倶楽部コミュの【日本の未来は現在のチベットか?】

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 本日9月7日は、英国代表とチベットの間で「ラサ条約」が結ばれた日である。現在進行形のチベット問題は、歴史的に見て底の深いものがある。その歴史をざっと辿っていくと、少々長いが三省堂「大辞林 第二版」より下記に転記してみる。

<引用開始>

歴史

 中国の歴史書にも漢代より「羌」、「氐」の名でチベット系と思われる民族の記述がみられる。7世紀のソンツェンガンポにより諸部族が統一された(吐蕃王朝)。8世紀ティソンデツェン王の時代に仏教が国教化。しかし、9世紀半ばごろには群雄割拠状態となり、仏教も衰退した。十三世紀にはサキャ派(紅帽派)のパスパ(1235(39)〜80)がフビライの信任を得て国師となりチベット仏教はモンゴル帝国、元朝の国教となった。14世紀末にツォンカパによりゲルク派が創始され、モンゴル系民族オイラートのグシハン朝の支配下、1642年ゲルク派の最高位ダライ・ラマ5世によるチベット統一が確立した。しかし、1720年には清朝のラサ侵攻を受け、その後、駐蔵大臣が設置されることとなった。ただし、ダライ・ラマの聖俗における権威と支配は認められた。

 1904年にイギリス軍がラサに侵入し、ダライ・ラマ13世は一時モンゴルに亡命、ロシアの援助を希望したがかなえられなかった。1906年には英清条約でチベットにおける清の宗主権が確認されたが、情勢は安定しなかった。1908年、ダライ・ラマはラサに帰還したが、1910年の清軍の侵攻とともにインドに亡命。辛亥革命で清軍が撤退した後に再びラサに帰還した。また、辛亥革命の混乱期にイギリスの力を背景にチベット独立を宣言する。1914年、イギリスはシムラ会議でチベットの主権を認めたが、中国は否認。1925年に親中国的なパンチェン・ラマがダライ・ラマと対立し、中国に亡命。1933年、ダライ・ラマ13世が死亡。中国政府は14世の転生を確認、同時に政府代表をラサに駐在させる。1939年、パンチェン・ラマ死亡。

 1949年、中華人民共和国成立。1951年に人民解放軍がラサ進駐。「チベット平和解放に関する17条協議」締結。1954年、ダライ・ラマ14世とパンチェン・ラマ10世が第1回全国人民代表大会に出席。「17条協議」ではチベットでの社会主義改革は強制しないことになっていたが、アムド、カム地方(東チベット、中国側では青海省、四川・雲南省とみなす)では改革が強行されたため、反共産党・反漢族感情が強まり、武装蜂起が頻発する。1959年にはラサで大規模な「反乱」が勃発するが、人民解放軍によりチベット人の殺害・寺院の破壊をともない、「鎮圧」される。ダライ・ラマはインドに亡命した。

 「反乱」の鎮圧後、ウ・ツァン地方(中央チベット)でも「民主改革」の名の下、土地改革や奴隷解放が行われる一方、寺院の厳格な管理が行われるようになった。

 1966年からの文化大革命では民族を「ブルジョア的存在」と規定していたため、少数民族の被害は悲惨なものになった。チベットでは「反乱」のときに運良く残った寺院や文化財も徹底的に破壊され、僧侶、旧貴族を始めとするチベット人も殺害・虐待された。

 文革後の1980年に行われた「チベット工作座談会」では従来の共産党のチベット政策が批判され、チベットの実情に即した政策をとることと民族文化の尊重が確認されたが、89年にも大規模なデモが発生し、流血の事態に発展している。このような衝突は以後も散発しており、状況の改善はなかなか見られない。現在までに数十万人の住人が虐殺されたとされる。

 一方、1959年、インドのダラムサラではチベット亡命政府が発足。60年代以来、政府の民主化が進んでいるが、ダライ・ラマの親政を望む声も一部に存在する。対中国関係について、ダライ・ラマの公式的な立場は「独立ではなく高度の自治」の要求であるが、チベット青年会議(TYC)など、完全な独立を主張するグループも存在する。

<以上、大辞林より引用終了>

 この歴史の時系列と、条約や侵略の内容を詳細に辿って解説してあるのが「病みサイト」というサイトの「チベットとははてなキーワード」の「チベットの歴史」が参考になる。
URL:http://www.geocities.co.jp/HiTeens/2216/tibet/rekishi.html

 また、「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」
URL:http://www.tibethouse.jp/japan_office/index.html
上記の中の「チベットの歴史 History」
URL:http://www.tibethouse.jp/history/index.html
これは是非とも、全てに目を通して頂きたい。

 時代に翻弄された民族チベット族、現在は中国共産党による、一方的な民族弾圧を受けており、拷問や虐殺などによる犠牲者の数は100万人を大きく上回っているという。中国の覇権主義により、漢民族の大量移民や産児制限と中絶・不妊手術の強制で、チベット族の存亡すら危うくなっている。

 我が日本国も現状を鑑みれば物言えぬ政府、反日運動に奔走し特定アジア数国におもねるマスコミ。それを支える得体の知れぬ所謂「市民団体」など、日本の将来は、現在のチベットと同じ運命になってしまうのではないだろうか。今一度、チベット問題を、日本人も真剣に考えるべきだと思う。

コメント(2)

相方
>今一度、チベット問題を、日本人も真剣に考えるべきだと思う。
全く同意

しかし中国はあと数年でこけるのではないかと思っております

そしてこけなくても私の生きている間はまだ日本があるような気がして、すこし安心しています
あとは野となれ山となれ(野中売国奴の言葉)
相方!

 コメントありがとうございます。
支那はこけるでしょうが、こけ方が問題ですね・・・
八方破れの手に出るのでは?軍事力の増強など、
我々には驚異ですが、マスコミも市民団体も支那には
文句を言わない・・・変ですね?

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