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カール・ヤスパースコミュのヤスパースの言葉

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あなたが感銘を受けて、じっくり向き合ってみたいと思うヤスパースの言葉を教えて下さい。
ともに向き合い、考え、味わいましょう。
あなたの感想も教えて下さい。


「どんな哲学も、自己を実現することによって自己を定義するのだ。
哲学とは何かということは、私たちによって実験されなければならない。
すなわち哲学とは生きた思想の実現である。またそれへの反省である。
あるいは哲学とは行為なのだ。この行為について語ることなのだ。
自分自身の実験によってこそ私たちは、世界の中で私たちが出会う哲学というものを感得することができるのである。」
(カール・ヤスパース)

コメント(14)

「私たちは限界状況というものに対してどのような態度をとりうるか。
あたかもそんなものは無いかのようにやり過ごすか、
これに向き合い、本当に把握して絶望するか回生するかだ。
最後の道は私たちが自分の意識を変革し自分自身になる道である。」

(カール・ヤスパース)
>>[1]

ご紹介ありがとうございます。可能であれば、出典も併記していただけると
ありがたいのですが。もちろん、お手数でなければというくらいで、
無理にとは申しませんし、
敢えて挙げていないというのなら、もちろんそれはそれで構いません。
>>[002]

トップに引用した言葉も、[001]に引用した言葉も、ともに『哲学入門』からのものです。
ぼくはsplashさんに紹介されたり、他の方により紹介された『哲学入門』の言葉に触れさせていただいて、
ついに前から静かな興味をいだいていながら読まないままで来たヤスパースを手にすることになりました。
splashさん、どうもありがとうございます。
まだかじり始めたばかりですが、〈包括者〉についての考察など、とても仏教の深い考察と近いかまったく同じものを感じます。
>>[3]

ありがとうございます。ヤスパースは、『仏陀』とか『龍樹』というような著作もありますし、
洋の東西を接続するそれこそ包括的な思索があったのだと思います。
「世界哲学」という構想ものべておりますし。まさに現代的というべきかもしれません。

何か『哲学入門』的な内容だよなぁと思っていたのですが、
文庫ではなくて単行本の方の訳なのですね。

個人的には、ヤスパースが、キリスト教的一神教的有神論的なエッセンスを、
固定した教義ではなく、実存的に展開しつつ、
同時に仏教や東洋思想にも接続可能な思索を展開しているところは、

それが、そのまま「生きる」ということへの態度へとつながっていく、
まさに実存的なヤスパースの思索に色々と教えられてきました。

病弱だったところや、何度も分野を変えているところも、
個人的に親近感があります。

私としてはカントとキルケゴールの正統な後継者であり、
カントの未完の形而上学を、「超越者の暗号」の哲学というかたちで
発展させているように思います。
>>[004]

おっしゃるように、カントやキルケゴールの香り・背景はそこはかとなく漂ってきますね(もっともキルケゴールについては、ぼくは理解するほど読めていないので先入観として感じている程度かもしれません)。
特にカントとの関係性や、カントからの発展という観点から精細に読ませていただいたら、
また本当に面白いかもしれません。
こちらへのレスは実は一旦原稿を書いたのですが、書き込む前にOSが落ちてしまい、落胆して数日放置してましたw

・カント・キルケゴールについては、お二人の印象は正しいと思います。
たとえば金子武蔵先生は『実存理性の哲学』の中で(記憶から書いているので不正確ですが)「初め読んだ時はカントとケルケゴール(原文ママ)を足して二で割ったモノぐらいに思っていたが、読んでいるうちにその良さが分かるようになった」などとお書きになっているくだりがあります。

・またH・アーレントは「ヤスパースはカント哲学の唯一のNachfolgerである」と言ったそうです。


・さらにあるときは、仏教学者のK先生(高齢ですがご存命中なので名前は伏せます)から、

「あなたがた若い人たちはヤスパースといっても、カントとかキェルケゴールとかそういうところばかりで、プロティノスとかそういう(根源的な)ところからやってないでしょ?」

と言われて恐縮したこともあります。
「新しい哲学、特殊な哲学を語っているわけではありません。
そんなものではなく、一つの永遠の哲学についてお話しているのです。」

(カール・ヤスパース、1950年の講演「現代の理性と反理性」より)
「私たちが死なねばならないことや、悩まねばならないことや、戦わねばならないことや、偶然の手にゆだねられていることや、不可避的に罪に巻き込まれることなどは、私たちの状況のうちその時その時の現れがどう変化しようと、また表面的には何ら変わりばえなかろうと、本質的な部分で常に変わらない私たちの状況なのです。
こうした現存在の状況を限界状況、根本状況と私たちは呼んでいます。
これは私たちが決して越え出ることができず、変えることのできない状況が存在するのだということであり、このような限界状況、根本状況は驚きとか懐疑とともに、さらに哲学というものの深い根源になっているのです。」
(ヤスパース著『哲学入門』)


限界状況については、その訳語のせいもあって、違う意味で理解している人たちも多いですね。
>>[8]

78910さんの、諸々のコミュニティへの書き込みは、これまでも見てきましたが、私の側からは、スルーになってしまい、申し訳ないです。いちおう、確認はしているのです。
ただ、その時の私の状況(健康状態も含む)などから、返答と呼べるようなものが書けないままです。

哲学入門は、本当にいい本だと思います。
諸々の思想家や哲学タームを持ちだすなりして、いたずらに衒学的になるよりも、表現自体は平易に書かれたこの本を熟読するだけでも、私としては、尽きせぬ深みを感じ続けるのです。
>>[9]、どうもありがとうございます。
いえいえ、僕のコメントの一つ一つに反応をいただかなくとも、僕にとってはその時その時の僕自身の思いを確認するためもあって書いているばかりですから、全然かまいません。
もちろん、いろいろなご指摘やお導きをいただけるなら、いつだって嬉しいものです。
ヤスパースについては、僕はまだまだ入りたてなので、これからいろいろなことを僕自身も感じてゆきたいと思います。
「私たちは私たちにとって根源的に明らかなことからさらに考え進めて、この主観と客観の分裂をいくつかの異なる側面から見ることができる。
私が悟性として対象を志向する側面、
私が生きた現存在として環境世界を志向する側面、
私が実存として神を志向する側面。
これらは根源的に異なるものとして確認することができる。」

(ヤスパース『哲学入門』より)
「実存としての私は神(超越者)に関係する。
この関係は実存が暗号または象徴として事物に向ける言語により生まれてくる。
私たちは悟性としては、また生きた現存在の感性としては、この暗号で表された存在の現実をとらえることができない。
神という対象化された存在は、実存としての私にとってだけ一個の現実となり、
経験的に実在的で、当たり前のように思惟可能で、感覚的に触発してくるような対象とは全然異なった次元に属するものだ。」

(ヤスパース『哲学入門』より)
「哲学的な思索の目的と意味とは何か。それは対象をよく知るということにあるのではない。それよりもむしろ存在意識を変革すること、事物に対する心的態度を変更することにこそあるのだ。」
(ヤスパース『理性と実存』より)

とても共感する。精神科医として出発したヤスパースならではの、人間にこそ思いを馳せた考え方だと思う。
「哲学するということは・・・私たちの決断に関わる問題だ。」
(ヤスパース『実存哲学』より)

逆に言えば、決断するために私たちは哲学するのだ。

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