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寿詞(よごと)実践会コミュの実践講座7――旧理論の呪縛(2)

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 また「・『ポジティブに考えよう』という理論」「・愛情や信念の力を説く講座」についてはどうだろう?
 ここまで読み、理解してきたあなたにはもう、説明の必要はないかも知れないね。
 そうだ。考えかたには「ポジティブもネガティブもない」ということである。それは、あなたが思考に勝手なラベルを貼っているだけ。言い換えるなら、冒頭に述べた「言葉の呪縛」に陥っているということ。
 たとえば、あなたのビジネスが環境保全で「地球のために」をスローガンにした機関誌を発行して、ひとびとを啓蒙しようとしたとする。ここまでは、とってもポジティブに見える。ところが、機関誌の発行部数がどんどん増えるということは、森林の伐採に加担し、地球環境にはネガティブになってしまう。いくら古紙だとか再生紙といったところで、もともとのパルプがないと、それは生産できないからね。まさしくパラドックスだ。
 また思考からのパラドックスも存在する。
 あなたが「ネガティブな考えは持たないぞ」と思えば思うほど、ネガティブな考えが浮かんでしまう。じゃあ「ポジティブに考えよう」ならいいのか。じつはこれもちがう。あなたが、ポジティブを探そうとした瞬間、あなたの中で「ポジティブとネガティブの選り分け作業」がはじまってしまう。するとネガティブにもスポットライトがあたってしまうのだ。
 このことは「愛情や信念」にも該当する。
 詳細は拙書『魔法の言霊』に譲るが――簡単にいうなら、どちらも「執着を生む」ということだ。愛情や信念を持てば持つほど、その裏側で愛憎や不信が育ってしまう。いわばコインの裏表と同じだ。片方だけというわけにはいかない。
 じゃあ、どうするのか?
 いっそのこと「手を放す」しかない。あるがままを受け容れて、これを凝視する。凝視とは「一切の善悪・良否の判断を与えない注意深い観察」のことだ。すると、あなたは、あなたとあなたの世界、あなたの魂の進化にとって必要な行動を起こすことになるだろう。なぜなら、それこそが最高の「魂の思い出づくり」となるものだから。
 このことから、執着を引き起こすこれらの理論と、寿詞は相容れない。

 そして「・『思いを物質化する』といった念力理論」である。
 このことに関してはもう、述べることはないだろう。この理論こそが、まさしく旧理論の典型だ。新しい潮流とまったく反対方向を向いている。
 かといって、この理論が絶対に機能しないのか? というと、そうでもない。冒頭に述べた電流理論と同じなのである。まだまだ、一部の限定した範囲でなら、充分に通用するのだ。でないと、ひとは「モノづくり」すらできなくなってしまうからね。
 すると、ひとは相変わらず、これらの理論にしがみついてしまう。あたかも、万能の法則のように勘違いを犯す。いってしまえば、これも旧世紀に大いなる効能を発揮した仮説に過ぎないのにもかかわらず……。
 ちょっと、ややこしいのだが「思いは、はじめから物質」なのである。三次元に属すのだ。ボクはこのことを『魔法の言霊?』で解説している。詳細はそちらに譲って、人間の感覚器官は三次元のもの――そして、それらは「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そこから引き起こされる思い」である。
 そのため「思いの三次元化」というのは、とても整合性がいいのだ。思い浮かべたことを再構築するには都合がいい。つまり「三次元世界で」という前提に立てば、まだまだ機能するといえるわけ。
 だけど、そのことと、あなたが人生ゲームで魂を進化させ、最高の魂の思い出づくりをすることとは、なんの関係もない。さらに潮流自体が逆転してしまったため、しっかりとしたコンシャスネスを持たないと、木っ端微塵にされてしまうおそれすらある。
 だから、寿詞流とは相容れないというより、別次元のものといったほうが分かりやすいかも知れない。

 最後に「・聖地を巡る講座」についてだが、こちらはちょっと趣がちがう。
 じつをいうと、ボクも、聖地(イヤシロチ)に出かけるのが好きだった。寺社巡りも、けっこういっている。初詣もそう……。
 まあ、聖地は――いってしまえば、地球エネルギーの経絡……ツボだから、その性エネルギーとレゾナンス(共鳴)できれば、なかなか心地いいからね。
 ところが、ある時を境に、これが激減した。いまは、たまに「縁があったら……」という機会にしかいかない。
 その契機となったのは、とある寺院にいったことによる。名は伏せておくが、巨大な伽藍を持ち、聖地として非常に有名なところだ。
 ここでボクは、ひどい目に遭った。少々、霊媒体質の家系に生まれたボクは、おびただしい数の悪霊と出会ってしまったのである。一般的ないいかたをするのなら、浮遊霊・不成仏霊、魑魅魍魎(ちみもうりょう)となるのだろうか。そんな悪霊たちが夜中に「助けてくれ〜っ!」と、やってきたのだ。これには閉口した。一睡もできず、朝まで経を詠んでいたのである。
 その直後、ボクにインスパイアがもたらされた。聖地は、ある意味、このような「助けてくれ組」が集まりやすいところでもあるのだ。
 とりわけ初詣などは「御利益お願い! ちょうだい、ちょうだい」と欲の皮を突っ張らせたひとが集まるといえる。つまり、自我・我欲――エゴが交錯するわけ。同時に知らないで「助けてくれ組」を連れて……担いでくるひともいる。すると、中には波動が合ってしまって憑依されてしまうおそれだってある。
 同様のことは、一般的な自己啓発講座にもいえる。そこに来るひとの中には「助けてくれ組」を背負っているかたもいるのだ。だから「内容も素晴らしい」「講師もまじめ」といった具合に、問題がないように見えても――そのフィールドや雰囲気を洗浄することがないと、感染し汚染する可能性も否定できない。
 とりわけ「聖地巡り」となると、ダブルで「助けてくれ組」にさらされる危険すらあるわけ。だからボクは、安易なイヤシロチでの講座を危惧している。
 また聖地といっても、地球上のどこかである。母なる地球を想定すれば、イヤシロチやケガレチ(穢れた場所)といっているのは「お母さんの右手はきれいで、左足は汚い」といっているのと同じだ。どう考えても、変な話だ。
 むしろ、海や川、山や森……自然の息吹に触れることで、ひとは癒され、甦生できるだろう。人工物より、自然のほうが上等なのは自明である。
 さらに――聖地といっても、それをどこかに求めるのではなく「いま、あなたが在る場所を聖地にする」ことのほうが大切だと、寿詞コンシャスネスは囁くのだ。そして、潮流が逆転したいまは、波動全体がそれを可能とする環境にある。
 だから、このことに関しては「安易な」「雰囲気を洗浄できない状況で」といった前提条件を付して、寿詞の実践とは相容れない。

 以上で「混ぜるな。危険!」の章で挙げた理論や講座について相容れない理由を述べてきたが、けっして、あなたに強要するものではない。あくまで、あなたが「内なるこころに素直に訊いて」判断してもらいたい。また、同様や類似のものについては割愛したが、こちらも、あなたが判断してほしい。

 ただ、すべてに共通することは――タイトルにも書いたように「呪縛」である。
 新しい潮流は意識化にある。いいかたを変えるなら「解放」にあるのだ。そんな中で、旧理論はどうしても「ねばならない」「……であるべきだ」を内在する。それでは、あなたが人生ゲームを存分に楽しんで、素敵な魂の思い出づくりをすることを阻害してしまう。さらに「なにかを所有する」とか「なにかを限定する」と……こんどは、あなたが、それらの存在に支配されてしまう。
 あなたはあなたの世界の神であり支配者だ。支配する側である。もちろん、その支配とは奉仕であり、神さまとして福を授けること。いうならば、神さまであるあなたの仕事は「究極のサービス業」である。
 だから、そのサービス提供を呪縛する旧理論とは相容れないのである。

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