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ララミーから来た男  (1955)

THE MAN FROM LARAMIE
97分

監督: アンソニー・マン


出演:
ジェームズ・スチュワート
アーサー・ケネディ
キャシー・オドネル
ドナルド・クリスプ
アレックス・ニコル
アリーン・マクマホン
ウォーレス・フォード
ジャック・イーラム

 マン監督とスチュワートの黄金コンビの西部劇の面白さは、人間的なジミーが暴力の価値に最後まで否定的なのに、それが活劇自体の面白さと違和感なく結ばれていることで、ロケーションの工夫も常にあり視覚的驚きにも事欠かない。本作はD・クリスプ親子の確執に、流れ者のジミーが絡む形で、話の焦点がうまく絞られきらない弱味があるが、大地主のクリスプに反抗する女性牧場主の描き方など、場面にすれば僅かでも、非常にリアルで感心する。ララミーからやって来た元騎兵隊大尉ロックハートは運送業の配達で、アパッチによって弟が命を落とした土地に近い、地主ワグマン支配下の町にやってくる。その老人はかなり強引にのしてきた暴君ではあったが、目を病んで病気になり引退を考えていた。東部出身の妻の虚栄のうちに育てられた息子デイヴはわがままで乱暴で手に負えず、実子のように目をかけているヴィク(ケネディ)が頼みの綱だが、いざとなると息子が可愛い。デイヴに襲われ馬車を焼かれ、ラバを何頭も撃たれ廃業やむなしとなったロックハートは、ヴィクの恋人でデイヴとは従姉妹同士のバーバラに魅かれたこともあり、しばし当地に留まることにした。そのうち、密偵に雇った老人からの情報で、アパッチに通じる者の姿が浮かびあがってくる。彼はデイヴの度重なる嫌がらせに耐え、ワグマンに譲らず自分の小さな牧場を守り続ける老女ケイトを手伝いながら、真相解明の機会を待つが……。アクション場面として面白いのは牛の群れの中でのジミーVSケネディの殴り合い。それから目の効かないクリスプが馬に乗ってジミーと対決しようとする、馬上からのショットにはハッとさせられる。彼とケイト役のA・マクマホン、二老優がとにかく健闘。単なる勧善徴悪でなく、陰々滅々でもない、見応えのあるウェスタンだ。

以上が映画データーベースの記述であるが少々その記述に腑に落ちない点が二、三ある。 その1、「暴力の価値に最後まで否定的」とはじめから終わりまで否定的とあるがそもそもジェームス・スチュワートがララミーからやってきた動機は目には目の暴力そのものではなかったか。 台詞のあちこちにそれが明白である。 その2、「流れ者のジミー」という記述。 スチュワートははじめから終わりまで決して流れ者ではありはせず、そのアイデンティティーは「ララミーから来た男」としてはっきりしており、はっきりした目的をもちそれを完遂するまでは不退転であるからそういう設定は決して「流れ者」ではありえない。 その3、「話の焦点がうまく絞られきらない弱味」と書くのは話の筋を追えない者の感想で、徐々に話のプロットが明らかになっていく中で西部の町の仕組みとその中の人間関係が浮かび上がりそれが変化していく様子を追ってそれぞれのシノップスを掴み得ないものには当時の西部という世界が総体として理解できていない、ということなのだろうしひょっとすると日本語字幕に欠けた部分が多かったのではないかとも忖度する。

さて、日曜の午後、一人でビールをすすりながらBBCテレビにかかった本作を観た。 その動機は二つ、「ララミー」と「ジェームス・スチュワート」。 50年前後に生まれたものにはテレビ映画シリーズ「ララミー牧場」はイーストウッドの「ローハイド」や「ボナンザ」、チャック・コナーズの「ライフルマン」、スティーブ・マックィーンの「拳銃無宿」、ヒュー・オブライアンの「ワイアット・アープ」などと並んで西部劇と戦争映画で育ったものには忘れがたいものだ。 高地ワイオミング州のララミーの牧場兼駅馬車の中継地を舞台に爺さん、二人のカウボーイ、10歳ぐらいの男の子が住み彼らを中心にさまざまなドラマが繰り広げられるのだが銃に腕の立つロバート・フラーが演じるカウボーイぐらいが拳銃で悪を鎮撫するぐらいで後は他のシリーズに比べると荒くれはなく穏やかなものだったと記憶する。地名が思い起こさせる同じ西部劇なのだが本作の舞台はニューメキシコあたりでそこに主人公がたまたま「ララミー」からやってきた、というだけなのだが、、、、。

ジェームス・スチュワートが出るものには目を通すようにしているのだが観る度に彼の主役が多い中でその風貌の割りに彼の米語の訛りのようなものにいつもほほえましく感じ、それが多少の泥臭さにもつながり聴衆にほほえましさとともに近親感を湧かせる効果もあるのだろうと想像する。 例えば本作で話す内容や普通なら使わないような敬語もまじり、そのうちスチュワートが騎兵隊の士官であったことが分かるのだが口調は士官のメリハリからは程遠いような持ち味のスチュワート口調なのだ。 ジョン・ウェインの最後の映画「ラスト・シューティスト」 (1976)での医師での役では老医師としてであるからその「訛り」にも味がでているものの本作では騎兵隊の傷兵を手当てした経験があり、荒くれを束ねる頑固ではあるが筋は通す大地主のクリスプと許婚でもあり今は自分の小さな牧場を守り続ける老女ケイトの米語と比べるとケイトのしっかり者振りがその言葉からでも分かるように対照的でもある。

後年数々の西部劇で味のある悪役を演じたジャック・イーラムをここで観たことを喜んだが如何せん、イーラムの出番が少なくそれが少々残念だったものの若いときの風貌に接して満足することにした。

見渡す限りの塩の平地は書割としては興味のつきない風景であり、そこで起こる十数頭のロバを殺戮する傍若無人なくだりでは1955年の時点で無駄な殺生を見せないためか制作費を安く上げるためか後年のマカロニウエスタンや他にも見られるような動物の無残な死は晒されない。 後ほどその息子が殺戮したロバの代金として親の大地主が600ドルを等価としてスチュワートに手渡すのだが、それは当時、いったいどれくらいの価値だったのか、そのころは日本は明治時代、円の価値がどんなものだったのかとのその答えに興味が湧く。

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