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集え!ガチな映画感想家達よ!コミュの許されざる者   (1992) 再考

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許されざる者   (1992)

UNFORGIVEN

131分

監督: クリント・イーストウッド
製作: クリント・イーストウッド
製作総指揮: デヴィッド・ヴァルデス
脚本: デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
撮影: ジャック・N・グリーン
編集: ジョエル・コックス
音楽: レニー・ニーハウス

出演: クリント・イーストウッド    ウィリアム・マニー
ジーン・ハックマン    リトル・ビル・ダゲット
モーガン・フリーマン    ネッド・ローガン
リチャード・ハリス    イングリッシュ・ボブ
ジェームズ・ウールヴェット
ソウル・ルビネック
フランシス・フィッシャー
アンナ・トムソン
フィリップ・ヘイズ
ミナ・E・ミナ

「恐怖のメロディ」以来、着実に映画作家としての道を歩んでいたにも関わらず、スター監督という色眼鏡で見られ(特にハリウッドでは)、無冠であったイーストウッドがアカデミーの作品・監督賞を勝ち取った渾身の傑作ウェスタン。
 荒事からは足を洗っていたウィリアム・マニーの元へ若いガンマンが訪れる。娼婦に傷を負わせ賞金をかけられた無法者を追うためだ。マニーのかつての相棒ネッドを加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビルは疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きにしているところだった。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及んだ……。西部に生きるアウトローたちの戦いの虚しさを描くが、決してアクションに終始する作品ではなく、静謐なタッチで人々の生きざまを見つめている。“最後の西部劇作家”イーストウッドが、映画人生の師ドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げた作品だ(そのクレジットだけでも感涙もの)。

上記の映画データベースの表記で1992年、というところで驚いた。 もうそんなになるのか、どうりで今よりは若く見えるはずだ、と驚いたぐらいで、この夜、特別に見る気もないのに深夜、テレビにかかったのをついつい見始めたらもう3度目、というのを忘れてしまった。 当然ストーリーは大体分かるのだがそれでもイーストウッドの諸作品と展開が混同しそうになるのだけれどそれでも明らかに違うのはカメラのトーンだ。

イーストウッドの西部劇映画では自然のなかで絵になるシーンが時々みられるが、本作では季節の変化、とりわけ晩秋から冬への美しい背景をこのように沢山ストーリーの中に取り入れているのを見るとき70年代に撮られたニューシネマのアンチヒーローものの中にみられたようなトーンを「アウトロー」THE OUTLAW JOSEY WALES (1976)の中の色づいた木々の色とともに思い出す。 かつての西部劇俳優ヘンリー・フォンダの息子ピーターが撮り、ウオーレン・オーツと共演した「さすらいのカウボーイ」THE HIRED HAND(1971)の景色と共通すると感じるのはその美しい景色だけではなくアンチ・ヒーローという要素を含んでいるからで、ニュー・シネマには西部劇というのは話の構造だけであってそれまでのベタベタの西部劇に対する批判はあっても西部劇に対するこだわりはなかったようでもあり、一方、イーストウッドの方には景色で言えばここでは50年代、60年代の書割トーンの景色とは違うのは、そのトーンに合うような過去のアメリカ映画の単純な勧善懲悪がないこと、特にテキサスの英雄、ジョン・ウエインがいつも頭にあっただろうことは想像に難くなく、荒涼たる男の岩石と砂漠のテキサスやニューメキシコではなくここはワイオミングなのだ。 我々が子供のころに見たテレビシリーズでイーストウッドが演じた「ローハイド」は主にテキサスではなかったか。 本作では当時「ローハイド」と同じく、作曲家ホーギーカーマイケルが助演し自作のスタンダード歌曲、「スターダスト」を歌う西部劇シリーズ「ララミー牧場」のワイオミングなのだ。

ウエインが自らの後戻りのない病気の症状を自覚して銀幕を去る映画に作った「ラスト・シューティスト」THE SHOOTIST (1976) のように西部劇を終わらせるつもりもなく、もしそうだとしてもウエインの「静かなる男」やチザムシリーズの一つといっても過言ではない「マクリントック」McLINTOCK! (1963)で好演した赤毛のモーリン・オハラやオハラを経てローレン・バコールの思い出を胸にジェームス・スチュワートやヒュー・オブライエン、はたまた怪優ジョン・キャラダイン、それに現在は自らメガホンを執るロン・ハワードをして銃を放棄する時が来たことを演じさせ死んでいくウエインほど浪花節ではないし、先駆者たちのように対となり拮抗するような女優たちとの女運にもめぐまれていない。 ただ、相手としてはむしろ喰われ気味だったシャーリー・マクレーンとの話、「真昼の死闘」TWO MULES FOR SISTER SARA (1970)はつりあって面白く、けれどこれは幸いなことにイーストウッドの監督によるものではなく、そこでのようにアメリカ右派のマッチョを演じることもない。

既にクリント・イーストウッドには西部劇ではもう撮るものがないと見ていたからなのだろうか。 80年代、90年代にテレビ映画じみた西部劇が多く撮られたなかでそれらを当然念頭に置いたイーストウッドがそういうものには満足できないことを本作を提示することで西部劇の行き着く「定本」としてデジタル化したのは、自分の過去を語るのでもなく粉飾しているのでもなくアルコールで混濁した中で起こした凄惨な過去の事柄を記憶していないと主人公を設定していること、実際の西部劇での撃ち合いの結果がアメリカ的なほら話として誇張されていくプロセスを丁寧に語るなかで撃ち合いの現場での息詰まるアンチヒーロー的な逸話の積み上げがリアリズムを作り上げるようであり、その歴史を含んだ話を検証しながら創作していく態度に表れているだろう。 イーストウッドは大局では歴史には拘泥しないものの自分の作品のためには細部に効果的にリアリズムを取り入れ、それが物語を本当にあるように見せる。 つまり、話をあっても不思議でないように作るのだ。 うそを本当のように見せ、作り話ではあるけれどこうあっても不思議ではない、と重箱の隅をほじくるのに余念のない年寄りたちをも満足させる作にまたぞろ我々はイーストウッドの映画を見させられるのだ。 

これに対照するものとしてケビン・コスナー の「ワイルド・レンジ 最後の銃撃 (2003) 原題;OPEN RANGE」を観るといい。 年寄りは浪花節が好きなのだがそれはあくまで辛口でそれが長続きするコツと心得ており、銃撃戦の前にハバナ産の葉巻とフランスから来たチョコレートを買うロバート・デュヴァル、壊したチャイナをもし討ち死にした場合に遺言として託すようなコスナーのお膳立てはあくまで限りなく消費されていく物語に抗おうとしても却って逆効果にしかならないのだ。

この間テレビの深夜映画で何度か目にまた観た、彼の西部劇監督第一作目、「荒野のストレンジャー」HIGH PLAINS DRIFTER (1972)や「アウトロー」THE OUTLAW JOSEY WALES (1976)と比べて本作は別段ストーリー自体の構造には変わりがないものと看るが、ここでの明らかな違いは「映画受け」する丁寧さと叙情なのだろうと思う。 確かに挿話、引用の丁寧さがここでは引き立っているようだ。 それに多分ここでは昨今のPC,ポリティカルコレクトネスがあるのだろう。 例えば女に対する態度では「荒野のストレンジャー」では前半開始早々高慢ちきな女をレイプしそれでよがらせる、というような無茶苦茶なマチズモは見せていたものが、本作では自分を野獣から更正させてくれた3年前に亡くなった妻への感謝と愛情とかその貧しさゆえに金で肉欲を満足させる考えもなく手淫すら頭をよぎることもない男に設定していることは「アウトロー」での妻子に対する想いとも共通するものの復讐へのぎらぎらした想いがここではないだけに叙情が画面を柔らかにして効果を挙げているのだろう。

戦後、西部劇とアメリカ製戦争映画で育ったわれわれの年代の男には技術立国という国策的な刷り込みとともに戦闘機、ロケット、戦艦、潜水艦、タンクに銃器というような物騒なものに惹かれるという癖がある。 もちろん現代の映画、ドラマにも銃器は氾濫しているけれどその使われるコンテキストが大きく違うのではないか。 厄介なものだが、そこに「正義」なるものがかなり幅を利かしていて、現在の複雑な人間関係、「犯罪」がからみその錯乱の結果としての解決策のようなものからはかなり距離があったように思う。 

イーストウッドの映画には銃器に対するこだわりがあるようで本作の若者に当時の最新式 S&W Schofield を、モーガン・フリーマンには Spencer rifle を持たせ自分もそれを使って賞金第一号を射止めるときには丁寧にそのメカニズム部分を見せ、伊達男イングリッシュ・ボブには象牙か牛骨のグリップの Colt Peacemaker と32口径の Dillinger、ハックマンやそのほかには普通の Colt Peacemaker を持たせて自分は古い Colt Walker とショットガンというのは我々の世代を喜ばせる配置でもある。 普通にはウインチェスター・ライフルやコルト・リボルバーだけで済ませるものが多いところをここではウインチェスターのプロトタイプである Henry Rifle や コルトと並んで実用された、先込め式で準備に時間がかかる Remington リボルバーを歴史的に対置して時代の変遷とその混ざっている状況を満遍なくまたさりげなく配置するところにイーストウッドのこだわりを感じて我々は再度観ようという気にもなるのだ。 ヨーロッパ戦線、バルジの戦車戦でのパットン将軍の腰には、普通の将校のようにコルトガバメント自動ピストルではなく象牙グリップのコルト・ピースメーカーが下がっていたようにこだわるのであり、大統領のボディーガードを演じた「ザ・シークレット・サービス(1993) IN THE LINE OF FIRE」で暗殺者ジョン・マルコヴィッチが作る総プラスチックの拳銃から発射される銃弾は決して容認できないのだ。

1878年に死んだ妻の後、馬にも乗れなくなるまで土地に縛られ、挙句が豚伝染病、子供たちの将来の学費のために人殺しにでかける男の姿は2009年の不況下でも有効であり、金とそれをつかむ理由をこのように露にみせつける映画は良質の浪花節の復活として充分寿ぐべきではないだろうか。

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