ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

集え!ガチな映画感想家達よ!コミュのきみに読む物語  (THE NOTEBOOK)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

きみに読む物語   (2004)

原題;THE NOTEBOOK

123分

監督: ニック・カサヴェテス

原作: ニコラス・スパークス
『きみに読む物語』(新潮社刊)
脚本: ジャン・サルディ
ジェレミー・レヴェン
撮影: ロバート・フラッセ


出演: ライアン・ゴズリング    ノア
レイチェル・マクアダムス   アリー・ハミルトン
ジーナ・ローランズ   アリー・カルフーン
ジェームズ・ガーナー   デューク
ジョーン・アレン   アン・ハミルトン
ジェームズ・マースデン   ロン
サム・シェパード   フランク
ヘザー・ウォールクィスト
ケヴィン・コナリー
デヴィッド・ソーントン
ジェイミー・ブラウン
スターレッタ・デュポワ

「メッセージ・イン・ア・ボトル」の著者ニコラス・スパークスの長編デビュー小説を映画化したラブ・ストーリー。運命的な恋に落ちながらその関係を引き裂かれてしまった一組の男女の、時を経た永遠の愛をロマンティックに描く。監督は「ジョンQ-最後の決断-」「シーズ・ソー・ラヴリー」のニック・カサヴェテス。
 とある療養施設に独り暮らす初老の女性。彼女は若かりし情熱の日々の想い出を全て失っていた。そんな彼女のもとへデュークと名乗る初老の男が定期的に通い、ある物語を読み聞かせている。それは古き良き時代、アメリカ南部の夏の恋物語だった――。1940年、ノース・カロライナ州シーブルック。裕福な家族とひと夏を過ごしにやって来た少女アリーは、そこで地元の青年ノアと出会う。その時、青年のほうは彼女こそ運命の人と直感、一方のアリーもまたノアに強く惹かれていくのだった。こうして、2人の恋は次第に熱く燃え上がっていくのだが…。

上記映画データーベースの解説を読むと誠にロマンチックな映画でありとてもこれだけでは8時のニュースのあと2時間もかけて、それも20分おきに5,6分のコマーシャルがはいる民放ではちょっと見る気が、、、、とも思いながら、とりわけ何をする予定もなく、近くで下宿する息子が自炊の金がないので夕飯だけにはちゃっかりと来て腹に入れるものだけは入れるとそそくさと自分のうちへと姿を消し、娘はどこかで何かをするとかで明日の夕食の当番のためだけにもどってくるというし、最近はソファーに座ってニュースを見る我々夫婦の間で猫だけが居眠りをしているという、それまで何年か子供達も含めて居間のテレビをめぐってこのソファーの上でチャンネル争奪戦があったことも嘘の様な静かなこの頃の宵だ。 そんな時に夫婦で何か映画でもあればみようか、と二人の歳を加えると100歳を10%のサービスを加えて越す夫婦がテレビガイドで選んだのがこれだった。 それは読むだけで敬遠するような解説の甘さを割り引いても監督、その母であるジーナ・ローランズ、ジェームズ・ガーナー、それにサム・シェパードの名前がクレジットにあったからだ。

ここまで書いてガーナーとローランズが共演したテレビ映画があって、その中では退役した判事のガーナーがローランズの家を訪れて、、、というような筋書きだったように記憶していたからそれを探すのに、映画データーベースで二人の経歴、フィルモグラフィーを比べて見たのだが重なるのは本作しかない。 念のためウィキペディアやその英語版などを辿って見たのだがはかばかしくない。 記憶違いだろうか。 本作中の若いときの恋の物語は別として、人生の黄昏時を演じる二人の演技を見るのはそれぞれ初めてではなく、二人の顔合わせがこれが初めてだとしてもこの時期の雰囲気は二人の出る映画をこの何十年か観ているものには自然で、共演の既視感を漂わせていても不思議ではない。 それにしてもネットで検索すると本作のことがたくさん出ていてしかもそれらは発表当時だけにかたまっていて4,5年前に評判だったのを知った。

子供のときテレビで「マーベリック」のシリーズを見ていたものにはジェームス・ガーナーのジョン・ウエイン張りのちょっと斜めにのけぞりぎみにして何か厄介ごとがあると顔を少々ゆがめる仕草は甘く乾いたユーモアというものを湛えていてそこには若い主役であってもかなりほころびのあるタフガイだったように記憶している。 本作では孫たちが一瞬だけ登場するがかれらとのからみはなく、他の作品ではそんな年頃の男の子と絡むものがあったように思ったのだがそこでは会話の間合いや雰囲気は昔のテレビシリーズで大人に対する対応の雰囲気ともあまり変わらずごく親和力も説得力もある演技だと納得したのだった。

ローランズは「グロリア」以来感心しては彼女の名前がクレジットにあると見るようにしている。 とりわけ彼女の夫の監督になるもので後年のものは味のあるものが多く良心的なアメリカ映画の系譜の中にあるもので設定にしてもハリウッドのけばけばしたものからは遠く、彼女の演技が光るようなものが多いいように見えたのだ。 それに比べると本作で、若いときアリーが一番最初のデートで、私はフリークよ、と精神的フリークさをほのめかしながらもそれが爆発することもなく良家のわがままとはいかないものの奔放な娘の普通の、階級を越してのラブロマンスの後、人生の黄昏時にかつて自分の性格をそう言ったフリークさがアルツハイマーのゆり戻しとしてだけではなく青春の残滓として少しでも表現できていればガーナーの流す涙がいっそう効果的であったものと思われたのだが、それは既に過去にそういうことは何度もフィルムに焼きつかせているから本作の監督は母親にはもうそれはいいと手加減する計算が働いたのだろうか、それともメロドラマと人生の黄昏ドラマを旨く抱き合わせて前半でひっぱることを眼目に作ろうとしたのか、はたまた原作が老俳優たちの力を引き出せないほど甘いものだったのだろうかそこに興味のいくところだ。

アリーの母親がアリーに自分の若いときの恋愛譚をかつての恋人が今も昔と同じく年老いて肉体労働者として働いている現場につれてきて遠目から話すところで母親がそれまでアリーに厳しく当たってきたその理由と分かれさせる理由が理解させる目算が逆に自分の古傷に滾る血を沸かせ却って娘と和解してしまう、というメロドラマ中の泣かせ所はどうもいただけない。 そこで母親はさんざん昔の男のみじめな姿をみせてそれでも納得しない娘をそこに残して鉄仮面をもつ母親として夫のもとに戻ればよかったのだ。 娘宛の365枚の手紙の束など今更娘に渡すことはなかったのだ。 

医者に無理だといわれながらも数分間の記憶回復のために男が読む物語は途中で誰が何かが分かる仕組みになっているのだから私には邦題のいかにも若い女性を狙ったようなタイトルよりも原題のほうがその書かれた物語の本質とトーンの落ち着きがあるように思え、原題は本作の始まりと終わりに見える昔も今も変わらぬ黄昏に美しく映る水辺と物語中で水のある風景描写にもいかにも人生の覚書をしるしたものとして符合しているのだ。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

集え!ガチな映画感想家達よ! 更新情報

集え!ガチな映画感想家達よ!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング