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集え!ガチな映画感想家達よ!コミュのブレードランナー

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『ブレードランナー』が世界に与えた影響は計り知れない。ディックの『自分の存在は何なのか?』というテーマを分かりやすく提示し、この問いかけは押井守の『攻殻機動隊』や『イノセンス』にそのまんま受け継がれる事になる。それだけでなく映像。サイバーパンクという新たなジャンルまで打ち出し、『AKIRA』も『ブレードランナー』なくしては出来なかった作品だ。高層ビルが建ち並び、どこかアジアンテイストな混沌とした街並はすこぶる魅力的。『ブレードランナー』以前と『ブレードランナー』以降では、明らかにSFの映像が違う。

『ブレードランナー』は現在3つのバージョンがあり、DVDで手に入れられるのは監督自らが再編集した『最終版』という物だ。公開時にはヒットしなかったが、ビデオセールスで『ブレードランナー』は人気に火がついた。そして、人気が上がるにつれ、『完全版』『最終版』とバージョンも変わっていったのだ。だが、すべてのバージョンを見ても、『ブレードランナー』を100%理解する事は出来ないだろう。何故ならば、画面に出てくる情報量が多過ぎて一度だけではすべてを把握出来ないからだ。そして、ビジュアルに圧倒され、肝心の筋を見失うという人も多いのではないだろうか?

それもそのはず、彼は『ブレードランナー』で全編についていたナレーションを削ってしまったのだ。道しるべを無くしてしまったら観客は自分の頭の中で、どういう話なのかを構築しなくてはならない。そして、言葉が極端に減る事で余計な事を考えなくて言い分、映像に集中出来る。多面体な魅力を持つ『ブレードランナー』を一言で言い表すならばこうなるだろう。

誰も見た事の無いビジュアルの総合体。

今でこそ『フィフス・エレメント』や『マトリックス』、『AKIRA』に『攻殻機動隊』に『CASSHERN』など、『ブレードランナー』っぽい未来像は頻繁に観られるが、やはり『ブレードランナー』の衝撃は越えてないはずだ。酸性雨が降り注いでいるために湿った建物が『スター・ウォーズ』のそれとは明らかに違っている。高層ビルが建ち並び、日本語と中国語が画面を覆い尽くし、きらびやかなネオン、様々なファッションと街が主役であるかのようにディテールにまでこだわって2019年の街並を作った。ハードボイルド小説において、魅力的なのは主人公の造形もそうであるが、なんと言っても街が描けてないと成立しない。リドリー・スコットは『ブレードランナー』を未来のフィリップ・マーロウのようにしようとしたという。ハードボイルドとしてフィリップ・マーロウをやるならば、街を魅力的に細かく描いたという点で極めて正しい演出方法になる。冒頭、そんな街の映像がセリフもなく映し出され、その映像に圧倒されてしまう。

この話を聞いて思い出すのは『2001年宇宙の旅』だ。『2001年』も全編についていたナレーションを土壇場になってキューブリックが削ってしまった。スタッフは「これでは何が起こっているのか分かりにくいですよ」と忠告したにもかかわらずだ。だが、『2001年』は分かりにくい事がかえって魅力的になり、鮮烈なビジュアルが我々の脳を襲った。

『ブレードランナー』はそういった意味で『2001年宇宙の旅』と似ている。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という原作もあるし、ナレーションが削ってあるから、分かりにくいが、だからこそ、様々な解釈を生み、何が2つで充分なのか?という謎までも議論される事になったのだ。

さて、ビジュアルだけでは『ブレードランナー』はここまで熱狂的なファンを生まない。ストーリー自体は娯楽要素もあり、原作にあった動物や妻の存在を消した事でよりスリリングなハードボイルドになった。

タイレルという会社がレプリカントと呼ばれる人造人間を作った。人間以上の能力を持つレプリカントは地球の外(別な惑星)で奴隷の様に使われてきたが、やがて反乱を起こし、地球に逃げてくる。だが反乱を起こしたレプリカントは危険人物とされ、発見され次第“廃棄”される事となった。その廃棄処分する役目がブレードランナーと呼ばれる刑事である。

タイレルはその後、自分がレプリカントだと信じてない人間に近いレプリカントを作り出す。自分は人間だと信じて疑わないレプリカント。この設定が抜群でこの後、似た様な作品が散々出てくるが、『ブレードランナー』はその点においても先駆者だ。元々ディックが描いて来た、『自分の存在は何なのか?』『もし記憶さえも作られた物だったら、一体自分はどうなるのか?』という不安を見事に映画でも再現している。このストーリーはそのまんま押井守の『攻殻機動隊』に受け継がれ、さらにそれを発展させて『イノセンス』を作った。

ブレードランナーを演じるハリソン・フォードにとっては『インディ・ジョーンズ』『スター・ウォーズ』と並ぶ代表作になったが、本人はまったく『ブレードランナー』を気に入っていない。だが、彼の内面が見えない演技には引き込まれる。『ブレードランナー』にはハリソン演じるデッカード自身がレプリカントなんじゃないか?という説があり、リドリースコットもそのつもりで撮ったらしいが、内面が見えないというのもこの辺が関わっていると思うと興味深く観れる。

『ブレードランナー』はポストモダンを体現したような映画で、ポストモダンを語る上では外せない作品であるらしい。私はポストモダンがどーのこーの言われてもよく分からないんだが、つまり『ブレードランナー』というのは現代思想や哲学にも影響を与えた作品という事になる。

60年代、共産主義が科学に最も適していると言われ、世界はハイスピードで近代化に向けて動いていた。60年代の後半になると、人類が月に行き、高速道路が出来、コンコルドが飛ぶようになる。68年に『2001年宇宙の旅』が出来ると人々はそれに熱狂した。本当にこのような未来がやってくる事を信じていた。モダンの夢が世界を覆っていったのだ。

だが、70年代になると、それらは夢であると気付かされる。共産主義は崩壊し、科学は自然を破壊するだけのものになっていく。人種差別や資本主義、キリスト、戦争など、ありとあらゆるものにNOと言ったカウンターカルチャーさえも、その答えを見つけられずに現実は混沌としたものになっていく。

80年代、ポストモダンの時代がやってくる(と言っても、ほぼ死語化してはいるんだが)モダニズムが崩壊してしまったあとでもポストモダン自体はまだもがいていた。モダンにNOと言いつつも、ポストモダンは何かを見つける事が出来なかった。ポストモダンという言葉自体、いや、その定義すら何か分からずに夢や理想の無い混沌とした世界として、一人歩きしていく。

そこに決定打として『ブレードランナー』が登場するのだ。『ブレードランナー』の世界は見事にいろんな物が入り交じっている。西洋と東洋、スラムと高層ビル、人間と人造人間、そして「この先どうなっていくのだろう」という不安や、「一体これは何なんだ?」というもがき、何よりも「自分らしく生きるとは何なのか?」という問いかけを人造人間によって知らされる。

『ブレードランナーの未来世紀』という本の中で町山智浩氏はポストモダンとは「夢なき時代」だと言っている。人間らしく生きるための共産主義は崩壊し、戦争は無くならず、日本でも貧富の差は激しくなるばかりだ。つまりポストモダンを体現すると夢も理想も希望もへったくれも無い時代になるはずである。

ところが『ブレードランナー』が映してる映像はすこぶる魅力的でかっこいいのだ。現に『ブレードランナー』っぽい映像の映画は量産されたし、建築スタイルとしてのポストモダンにも決定的な影響を与えている。

つまり『ブレードランナー』というのは夢や理想のない世界をカッコ良く見せた作品なのだ。確かに現代は混沌とし、どうなっていくのか分からない。理想国家など夢のまた夢で、税金だって何に使われてるかまったく分からない状況だ。それでも、それでも私たちは人間である限り「夢なき時代」を生き続けなければならない。ポストモダンが夢のない時代ならば、そのポストモダンをカッコ良くし夢にしてみせたのが『ブレードランナー』なのだ。

さて、『ブレードランナー』にはいくつもの謎や矛盾があるし、魅力的な部分もこれだけではないのだが、私が個人的によく分からない事がある。それは、サイバーパンクと呼ばれる事についてだ。

そもそも映画界におけるサイバーパンクの定義とは何なのだろう?ウイリアム・ギブスンが「ニューロマンサー」を書き上げたとき、SFとも違うジャンルだったのでサイバーパンクと名付けた事は有名な話だが、電脳世界を舞台にしたSFなら『マトリックス』や『JM』『攻殻機動隊』があり、これらはサイバーパンクと言われている。そう『ブレードランナー』は原作も含め、サイバースペースが出てくる作品ではないのだ。小説界におけるサイバーパンクの位置づけは分かるとしても、そこから行くと『ブレードランナー』はサイバーパンクとは言えない。

では何故『ブレードランナー』がサイバーパンクと呼ばれるようになったのか?そしてそのフォロワーである『AKIRA』もサイバーパンクと呼ばれるのか?

様々な映画を見て、自分なりに解釈をしてみる。何故、『ブレードランナー』がサイバーパンクなのか、それは……『ブレードランナー』=サイバーパンクなのではないかと(笑)

『ブレードランナー』のような終末感ある街並み、暗さ、小道具が出てくる映画はすべてサイバーパンクであるというのが私の勝手な考えである。だから『AKIRA』も『ブレードランナー』みたいだからサイバーパンクと呼ばれているのだ。

ん?そう考えると妙に明るい『フィフス・エレメント』や『CASSHERN』は何?

参考資料:ブレードランナーの未来世紀、ウィキペディア“ブレードランナー”

コメント(14)

公開当時、「エイリアン」の空前の大ヒット以後のリドリー・スコットの作品で、さらにSFと言うことで鳴り物いりでしたね、確か。でも、あまりにも当たらず、損切りの形で、早期の公開終了だったんじゃないかなぁ?劇場で見たのか見てないのかさえ定かではありません。
でもディックやシドミードやヴァンゲリスなんかを知ったのもこの作品を通じてじゃなかったかな。
エポックメイキン的な作品は古さを感じませんね。サイバーパンクって概念は廃れているのに。
個人的には強い思い入れはないのですが、私の友人は、シドミードに憧れ、建築工学に興味を持ち、ゼネコンに入社しました。いまごろ後悔してるでしょうけど(笑。
>familydreamさん
あ、すいません、もちろんこの作品はリアルタイムじゃないんで、当時の事は全然わからないんですが、やっぱり皆さん共通して言ってるのは、2週間くらいで終わったということですね、私は逆に同じエポックメイクの『エイリアン』はあまり好きではなくて、期待しないで観たらやられましたね。

>私の友人は、シドミードに憧れ、建築工学に興味を持ち、ゼネコンに入社しました。いまごろ後悔してるでしょうけど(笑。

すごい!まさに『ブレラン』の影響。

このレビューの後にブログでデッカードはレプリカント説を唱えてみました。

http://blog.livedoor.jp/dontakukatokiti/archives/50130580.html
 フィリップ・K・ディックは何かのインタビューにて、彼なりの人間と機械の違いを語ったそうです。彼にとって人間とマシーンの違いはすなわち「やさしさ」の有無らしい。思いやりの感情を持った時点でコピーとオリジナルの差はなくなると。
 単純な回答でいて核心を突いていると思います。

 サイバーパンクというジャンルは、『ブレラン』の影響を受けた電脳ワールドという気がします。個人的には『ブレラン』はサイバーパンクよりももっと硬派で哲学的な位置づけかなと。「2001年宇宙の旅」と共に、SFならぬPSF、"Philosophical Science Fiction" - 哲学的SF(?)とジャンル分けしたいです。スピルバーグの「A.I.」や「ダリル」もこのジャンルに入れたいですがフィリップ・K・ディック原作の「アイ・ロボット」は片足は入ってるかな、という感じです。

 サイバーパンクはコンピューターに翻弄される、または振り回される人間界の世界だと思います。そこにはまだ機械と人間の境界線がはっきりしているので敵対意識が強く、誰が敵かも割とはっきりしている世界ではないでしょうか?CGを始めて本格的に取り入れた「トロン」や「マトリックス」「JM」『攻殻機動隊』、「ターミネーター」シリーズもサイバーパンクに入ると思います。でもこう観るとサイバーパンクのタイトルってやっぱりアクション抜きでは魅せれていないですね?

 「ニルバナ(Nirvana)」というクリストファー・ランバード主演のDVDをごく最近観ました。ストーリー的には「JM」のような感じで主人公その他はサイバースペースを行ったり来たり。映像的には「完全」にブレランの亜流版でした。この作品は、「これがサイバーパンクだ」と言い切っているような姿勢で撮られていて、出来栄えはともかく観客も「ああ、これはサイバーパンクだな」と納得できるものです。だからこそ、「ブレラン」とこのタイトルその他を「サイバーパンク」というジャンルに一括りにする事に抵抗があるわけです。

 なんだか思いのまま書き連ねてしまいました...
>サイバーパンクはコンピューターに翻弄される、または振り回される人間界の世界

なるほど!目から鱗です!
「AKIRA」は微妙ですが、たしかに半分機械化してますからね。だから「フィフス・エレメント」や「マイノリティ・リポート」はサイバーパンクと言われないんですね。

ちょっとすっきりしました。ありがとうございます。
ベッソンで思い出しましたが「フィフス・エレメント」公開当時にインタビューを受けて、未来像がいつも暗いものばっかりで、そんなはずはない、明るい未来と言うものがあるだろうし、あってもいいはずだ、と作品をイメージづけていました。
と言うことはそれ以前は大抵の未来像と言うものは暗く、絶望的なものだったと言うことだろうと思います。私にはそれが人間根底にあってベッソンの方が例外かなと思います。
人間が開発した機械によって、やがては裏切られ、駆逐されてしまうと言う世界観、機械だけが生き残って彼らの手によってのみ再生産が図られる世界観、まあ、そっちの方が映画や小説になり易いと言うのもありますが。サイバーパンクって概念は、やはり機械=ペシミスティックな未来像を根っ子に持つのかなとも思えます。
10数年前に録ったギブスンのインタビュー映像を思い出して、見てみたのですが、残念ながらサイバーパンクの定義自体には触れず、自明の概念のように扱っていて、現代的な意義についてのみ語っていました。ちと残念。

あの、「アイロボット」(私はロボット)はアシモフじゃなかったでしたっけ?
familydreamさん
仰るとおり、アイザック・アシモフのあやまりです。失礼致しました。余談ですがアシモフって1992年にエイズで亡くなったそうです。心臓バイパス手術の際の血液感染だそうで、科学に大いに貢献した人物なのに皮肉な死に方だと思います。
確かにベッソンの未来観は明るいですね。それもアリなのでしょうけれど、暗い方が映画としてよいトーンが出ていますよね。「フィフス・エレメント」くらい明るいと、どうしてもクリス・ロックやゲイリー・オールドマンがコメディアンのように振舞わなければ釣り合いが取れなくなりますね。モンスターもどう見ても着ぐるみだし…

カトキチZさん
>ちょっとすっきりしました。ありがとうございます。
ご賛成いただき有難うございます。私のクローネンバーグ作の自己ベスト「ビデオドローム」は、コンピューターならずビデオ信号という機械の産物に翻弄され同化してしまう「セミ・サイバーパンク」なタイトルですが、後半にMAXが頭に被せられる中国製の映像ヘルメットのシーンはかなりサイバーパンクっぽいと思いました…
あと、塚原監督の「鉄男」は結構海外でも高い評価を受けていますが、あれはサイバーパンクなのでしょうか?
>familydream
そうですね、私も最初はサイバーパンクって「終末感漂うSF」なのかなとか思った気がします。そういう意味で「フィフス・エレメント」のビジュアルは私にとって衝撃的でした。

結局、『マトリックス』も暗い未来ですしね。今は『トゥモロー・ワールド』が見てみたいです。

>TJXさん
私、『ビデオドローム』未見なんです。こちらはクローネンバーグの頭の中を映像化したと言われてますから、どうなんでしょう。

塚原じゃなくて、塚本晋也ですよ♪
んで、その『鉄男』ですが、本人は多分サイバーパンクのつもりで撮ってるんじゃないですかね、石井聰亙の『ELECTRIC DRAGON』なんかもサイバーパンク寄りのSFになると思いますが。
カトキチZさん
 度重なる名前ミスすいません、以後気をつけます。ヾ(_ _。)
 ビデオドロームはリック・ベイカーのSFXを観るだけでも一見の価値ありですよ♪
>TJXさん
では、その『ビデオドローム』も観てみようと思います。難解映画は観た後にいろいろ解釈しなくてはいけないので、大変なんですよね(笑)
>TJXさん カトキチZさん

「ビデオドローム」は肉体と機械と言う哲学的なテーマを扱っているのでしょうけれども、どうもよくわからないままです。
ただ、TJXさんの指摘通り、リック・ベーカーの特撮は目を瞠るばかりです。セクシャルな描写をあんな風に表現するとは…。
>familydreamさん
 デビッド・クローネンバーグの作品は「肉体と機械の融合、共存」というテーマのものが結構多いですね。「ビデオドローム」「ザ・フライ」「クラッシュ」などなど。塚本晋也はむしろデビッド・クローネンバーグの影響を受けて「鉄男」を撮ったのでは?
 「ExistenZ」はバーチャルな疑似体験ゲームの話で、サイバーパンクっぽいけど、ゲームのコンソール自体が有機物のようで全体的にかなりバイオティックな雰囲気を醸し出していました。サイバーパンクには属さないでしょう。完全にクローネンバーグの頭の中の世界ですね。
『ブレラン』のDVDボックスが発売されますよ!それを記念しまして、レビュー改稿しました。ちなみに私は予約済み!!!!
私はリアルタイム派です。大学の時ですね。実は一番最初に見た時は、途中少し眠ってしまいました。
でもこの映画異常にカッコよくて中毒性があり、その数日後にまた見に行って、それから名画座でかかるたびに見に行って、映画館だけで20回以上見たと思います。オールナイトで見ると、また盛り上がるんだこれが。イーストウッドの怪作「ファイヤーフォックス」とかと4本立てだったような気がする。
VHSもDVDも持っているので、計何回見たか分かりません。
ショーン・ヤングのレイチェルの横顔の美しさには惚れました。煙草の煙がカッコよくて、自主映画でマネしましたが当然あんな風にはなりませんでした。ルトガー・ハウアーがまた奇跡のようにカッコいいんだ。
この映画で、ライティングというものの力を知りました。スモークというのもこの映画で知った。窓から差してくる謎の逆光が、映画のスタイルを作り出していましたね。語りだすと止まんないですね、これは。
私は、リドリー・スコットがCMディレクターだったというのを読んで、卒業してからCM業界に進みました。思いっきり人生に影響を受けています。うどん屋に行くと「ふたつでじゅうぶんですよー」って言いたくなるとかね。
ホントに語り出すと止まらない映画なんですよ、どれに焦点を絞っていいか分からないくらい魅力的で、よく『この映画は観た方がいいよ』って言いますけど、『ブレードランナー』ほどそれが当てはまる映画はないですね。

>この映画で、ライティングというものの力を知りました。スモークというのもこの映画で知った。窓から差してくる謎の逆光が、映画のスタイルを作り出していましたね

そうですね、コーエン兄弟の『ブラッドシンプル』が83年ですから、『ブレラン』の方が早いわけです。いや、製作に5年かかってるから、もしかしたら、かぶってるかもしれませんが(笑)

なんにしても、人生に影響を及ぼすというのも納得でございます。

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