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世界の街角コミュの街角原稿

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街角の原稿は、掲載後、この掲示板にアップしていきます。みなさんのコメントも歓迎しています。

コメント(8)

世界の街角から イタリア・トリノ 迫江純 五輪開会式 興奮が会場包む

私は音響エンジニアとして、世紀の祭典、トリノ冬季五輪の開会式に立ち会うことができたのである。二〇〇六年二月十日。正午に会場入りし、機器の最終確認が始まった。多くのスタッフは興奮し、互いに握手をしてこれまでの苦労などを語っていた。

そして午後七時ぐらいからプレショウが始まった。観客がイタリア語で「2006 トリノ」と声を掛け、イタリアの女性アーティストのコンサートが始まった。観客は気持ちを抑え切れず雄叫びを上げる人もいて、既にセレモニーは始まっていた。

とうとうカウントダウン。大型映像装置に文字が表示され、観客は大きな声で読み始めた。そして午後八時、地鳴りが起こっているかのように「ワー」という歓声が響いて開会した。私は二階席の通路に立ち、その時を過ごした。

そして舞台の袖から、赤い服を着た人たちがダンスとスケートボードで飛び出してきた。本番直前まで失敗続きで転倒も見たので、私も不安だったが、今までにないきれいな演技だった。

最後にイタリアが選手入場。観客が「イタリア」コールを始めた。観客は配られた銀色の袋を振った。イタリアの選手も銀色のコートで登場し、スタジアム全体が銀色で染められた。

いよいよ聖火点灯。会場の外を見ると近所の人々、会場に入れなかった人たちが聖火の通る道に集まり、今か今かと待っていた。そして、ランナーが会場に入ってきて興奮は絶頂に至った。

舞台周りの花火が打ち上げられた。それと同時に、聖火が燃え上がった。三階席の客は聖火塔側に急いで集まってわれもわれもと写真に納めた。そして最後の花火打ち上げ。強烈な音がスタジアムに響いた。

開会式終了後、何百人ものスタッフがフィールド内で機器を撤去しながら握手をし、抱き合って互いを祝福していた。

私は、開会式の迫力に圧倒されていたせいか、目が充血していた。自分たちの機器のバックに聖火が燃えていて、それを見た瞬間、時間が止まったように静かな時を会場で過ごした。すべての人が大イベントを終え、安心した笑顔と疲れの両面の表情が並んだ。

さこえ・じゅん 1980年、庄原市総領町生まれ。冬季五輪の音響エンジニアとして、昨年12月からイタリア・トリノに滞在。
世界の街角から
インドネシア・ジャカルタ
井川真理子

大物も仰天? 気ままな観客

米国のファンクミュージック・バンド、アース・ウインド・アンド・ファイアー(EWF)がジャカルタでコンサートをするというので、行ってきた。それが仰天コンサートだったのである。

EWFと言えば、世界的な有名バンドである。ところがコンサート会場はホテルの広間。いわゆる立食パーティー会場といった感じの部屋で、いすがだらーっと、並べてあるだけ。

しかも、その開始が一時間遅れた。これ、こっちでは普通らしい。ダンスミュージックの元祖のような、ノリが勝負のバンドなのに、客は立たない。みんな座りっぱなし。ボーカルが「皆立ってよ!」って叫んでいるのもお構いなし。ノリの良い曲が始まってすぐの、三分くらいは立てる。でも、すぐ座る。手も振らない。拍手もあまりしない。

コンサートが始まった後で遅刻して入場しても、客はステージと一番前の席の間を悠然と歩く。一時間遅れで始まったはずなんだけど、どうしてこんなに堂々と遅刻してくるの。

最後の極め付き! コンサート終了後、まず、ステージにCD販売の人が上がってきてCDを売り始める。さらに驚いたことには、EWFのメンバーがそろってステージに立ち、CDにサインしてくれた。さらに握手も写真も自由。だいたいコンサート途中にも写真撮り放題で、しかも、携帯電話で話したり、メール打ってる人もいた。

さらに、上司が教えてくれたところによると、あの、ロック界の大御所、ミック・ジャガーがジャカルタ公演をしたときの話。もう十五年も前のことだそうだが、当時は「アンコール」という習慣がこちらには浸透しておらず、ミックがいったん退席した瞬間、客席も、ばたばたっと、退席したという。

ええっ。ミックも驚いて、「やー、せっかくだからもう一曲やろうか!」なんて感じであわててステージに飛び出してきたとの逸話がある。

お国変われば品変わる、というけど、日本で大物がコンサートすると言えば、大きなアリーナでみんな大騒ぎだろうに。ここでは、ほとんど私一人だけが立って踊ってノリノリという、不思議な時間を過ごした。

いかわ・まりこ 1976年、広島市南区生まれ。広島市の小中高、大学を卒業。2006年1月から、インドネシア・ジャカルタの国際協力関係事務所で勤務中。
インドネシア、イタリア・トリノと新しいメンバーが加わりましたね。居ながらにして、世界各地の街角情報が手に取るように読める、それを紙面でも即座に掲載するところが中国新聞の懐の深さ、腰の軽さ・・?ですかね。(自分でほめてどーする)。常連ライターの人たちのレポートも楽しみですが、思いがけない国、地域から中国地方ゆかりの人々の活躍ぶり、レポートは楽しみですね。ますます活況を呈することを期待しています。たくさん書き込みがあると、新デスクもおよろこびになることと思います。
世界の街角から

ウルグアイ・モンテビデオ
紀井寿雄

若い世代にワインが浸透

 「ウルグアイの国民的な飲み物は何か」と地元の人々に聞けば、ウイスキーとワインに二分される。そして、若い世代になるにつれて「ワイン」という回答が多くなる。

 ウルグアイは、人口1人あたりのワイン消費量で、世界第8位の消費大国である。起源は、17世紀後半以降、欧州からの移民が首都モンテビデオ郊外に次々とブドウ畑を開墾したことに始まる。

 ウルグアイが位置する南緯34度周辺は、南米ではアルゼンチンやチリ、アフリカでは南アフリカなど、世界的にもワインの有名な国々が存在しており、地理的にも恵まれている。

 ウルグアイ国民が愛飲するのは「タナ」というタンニンの非常に強い品種のワインである。アサード(ウルグアイ版バーベキュー)に出てくる分厚い牛肉の塊との相性が良く、週末の午後には、親せきや友人たちとのんびりと歓談しながらアサードとワインを楽しむ光景がよく見られる。

 だが、ウルグアイ・ワインの存在が海外に知られるようになったのは、最近10年ほどである。それまでは国内消費向けの廉価品が中心であり、海外の消費者の舌に見合うほどの商品を造るに至らなかった。それが90年代半ば以降、国内のワイナリーは輸出向けの商品を開発し、主に欧州やブラジルなどの新規市場の開拓に成功した。

 生産者による質の向上に併せるように、90年代の同じ時期、ワインに関心を持つ消費者を対象としたワイン・クラブが結成された。今年で10年目を迎えたが、会員数も千人を超えるなか、毎月のワイナリー訪問や試飲会、ワイナリーとのタイアップ商品の販売、乗馬を盛り込んだ旅行などを企画している。ワインに関心のある人々に多様な国産品の選択肢を提案し、さらなるワイン人口のすそ野拡大に成功している。

 ウルグアイでは、ウイスキーが「年配の飲み物=古さの象徴」というイメージが植えつけられるなか、ワイン生産者などの積極的な活動を通じて、ワインは国民的な飲み物の地位を確実にしている。時代の変化を先取りした結果であるといえるだろう。

 きい・としお 74年横浜市生まれ。86―90年広島市で過ごし、現在は在ウルグアイ日本大使館で経済・通商担当。
次回の原稿はありますが、その次は空っぽです。ぜひみなさまのご投稿をお願いします。mixiでメッセージをくださってもけっこうですし、私のアドレス(kitamura@chugoku-np.co.jp)宛でもけっこうです。
ニュージーランド・南島
小西啓介

川侵す藻 釣りモラル問う

 マス釣りで世界的に有名なニュージーランド南島の水系に今、異変が起きている。ディディモ(Didymo)の異常発生である。

 ディディモは川などに繁殖する藻の一種。見た目は溶けた白いティッシュペーパーのようで、感触はぬるりとしている。水底を覆い尽くし、水生昆虫などが好むコケ類の成長を妨げ、結果としてその水生昆虫を餌とする魚の多くがいなくなるという恐るべき可能性を秘めた生物だ。

 魚がすめなくなる懸念だけではない。水力発電に利用している運河で大量発生すると、ちぎれて流れ込んだディディモによって機械的なトラブルを引き起こす可能性も指摘されている。これから冬を迎える上、電力供給の七割を水力発電に頼る南島では死活問題といえる。

 もともと北米、欧州周辺の在来種。南半球での発生はニュージーランド南島が初めてで、海外からやってきた釣り人の道具やカヤックなどの小型ボートに付着して持ち込まれたとみられている。川との戯れをこよなく愛する人間たちによって引き起こされた異変。皮肉なものだ。

 川がディディモに汚染されているかどうかの判断は不可能なので、使用した釣り道具は川を移動するごとに、洗剤や漂白剤などでの洗浄処理が必要になる。これを怠ると意図的に拡散させる行為を行ったと見なされ、懲役五年もしくは罰金十万ニュージーランドドル(約八百万円)が課されることになった。

 ものぐさな僕は日ごろから道具の手入れを一切しないので、マス釣り自体をやめてしまった。ディディモをこれ以上広げないためには、それが最も確実な方法ではなかろうか。

 河川や運河には拡散防止の看板が立ち並ぶ。滞在九年目を迎えた僕ですら、かつて見たことがなかったこの異様な風景は、この国の危機感を象徴しているといっていい。

 世界中から釣り人が訪れるニュージーランドのマス釣りシーズンはあと五カ月で禁漁期間に入る。この国の恵み豊かな川を守り、次のシーズンを無事迎えられるかどうかは、利用者であるわれわれのモラルにかかっている。

 こにし・けいすけ 1968年、徳山市(現周南市)生まれ。元中国放送アナウンサー。現在はニュージーランドでトレッキングガイドとして働くかたわら、フリーランスライター・ナレーターとして活動中。

【写真説明】運河沿いに立てられ、「ディディモから運河を守れ」と呼び掛ける看板
世界の街角から

台湾の広島県産品事情
早田健文 現地リポート

果実が先行 物産展も

個性と価格が課題

 広島県の産品を、台湾市場に売り込もうという作戦が進んでいる。すでに広島県果実農協連合会(広果連)は視察や試験輸出の取り組みを続けている。県の物産展を現地で開く計画も進行中だ。現地との橋渡し役を務める、日本語の台湾経済・政治情報誌「台湾通信」発行人で、くらし面の「世界の街角から」執筆者の一人である早田健文さんに、現地の状況をリポートしてもらった。

 「これ、ライムでしょう」。広島産の黄色いレモンを見て、台北中央青果市場の仲卸さんがこう言うのだ。というのも、台湾産のレモンは緑なのである。日本とでは、レモンとライムの色の認識が逆だ。台湾で見かける黄色いレモンはアメリカ産だ。台湾の人たちには、黄色いレモンは古いという固定観念があり、黄色いほど安くなる。

 三月半ば、広果連から二人が視察に訪れた。日本のレモンの七割を生産する広島から売り込みたいのは分かる。だが、日台の差があることを、皮膚感覚で納得してもらえたと思う。「しばらくこちらに住んでみないと分からないね」というのが訪問者の感想だった。

 とはいえ、台湾市場は日本にとって最も入りやすい海外市場だ。所得水準が高く、日本製品の需要度は世界のどの国・地域よりも高い。政治トップの陳水扁総統も、最も好きなテレビ番組は日本の「どっちの料理ショー」というほどだ。

 多くの日本企業が海外市場を目指している。そこで最初の進出先として選ばれることが多いのが台湾だ。二千三百万人程度の小型市場だが、ここで通用しなければ世界のどこでもだめだ。

 民間企業だけでなく、自治体ぐるみの取り組みも盛んだ。昨年は台湾でも知名度のある田中・長野県知事をはじめ、山形、岩手などから知事が訪れた。そうした中で、残念ながら広島の知名度は驚くほど低く、出遅れているのが実情だ。

 だが、もちろんチャンスはある。私たちは現在、台湾での広島県物産展の開催に向けたプロジェクトを進めている。行政主導では一回きりで終わる場合が多いから、県と協力しながらも民間主体で長続きする関係を構築したい。

 特色をアピールするにはまず食品だ。物産展で台湾の消費者の好みを探りながら、こちらの市場にふさわしい商品を浮かび上がらせ、それを流通ルートに乗せることが目標だ。今回、広果連の方たちと物産展の開催地候補であるデパートなどを回った。どこも関心を示してくれた。観光、文化、風習を含めた、県の総合力で企画してほしいという。

 正直なところ、県庁、取りまとめ役となる広島の貿易会社などを含めた私たちのチームは、かなり苦戦している。広島で海外を視野に入れている業者は少ないからだ。

 その広島で最も積極的な広果連は、二年ほど前から台湾市場に取り組み、レモンはともかく、昨年は三次ブドウのピオーネ、世羅ナシの幸水が品質で好評だった。

 今のネックは価格競争力だ。本気で市場を開拓するなら、国内より高い利益を求めては無理だ。同種の商品をより安く提供できる他県に市場を奪われる。

 「これが広島だ」と台湾の人たちに自慢できるような物産展にしたいものである。お好み焼き、もみじまんじゅう、カキをはじめとする広島を代表するおいしい食べ物が、台湾でポピュラーになってほしい。興味のある方にはぜひご参加いただきたいと思う。

 はやた・たけふみ 1958年生まれ。福岡県出身。広島大大学院修士課程修了。
今回の早田さんの原稿は特別バージョンで、いつもより長めです。というのも、広島の物産展企画という、非常にニュース性の高い素材だったためです。ときには、ニュース性のある素材も扱っていこうと思っています。もちろん、日常のなにげない風景を切り取っていただくエッセイも大歓迎です。

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