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東京再発見コミュの3月25日〜4月9日 春風駘蕩品川宿 江戸から昭和まで時を感じる花見散歩&目黒川エコボート

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2011年3月25日〜4月9日まで16日間の開催です(3月27日を除く)

mixiイベントとしては4月9日に開催します

それ以外に3月25日〜4月8日までの間のどの日でも参加可能です

今回はNPO法人の事業として目黒川エコボートとコラボで品川宿の散歩を行います

主催 NPO法人 東京を再発見する会
協働、共催 NPO法人 あそんで学ぶ環境と科学倶楽部 阪急旅行社
期間 2011年3月25日〜4月9日

午前コース 9:00〜12:30 4.7km 昼食付3500円

京急線新馬場駅から品川宿を散歩して東品川海上公園まで
エコボートを予約している場合はそのままエコボートに乗れます。帰る場合は天王洲アイル駅まで徒歩10分

午後コース 12:30〜16:00 4.7km 昼食付3500円

東品川海上公園(最寄駅天王洲アイル駅 徒歩10分)から京急線新馬場駅まで
エコボート午前便と接続しています。歩くのが物足りない場合は17時ぐらいまで延長あり。希望者はオマケであちこち案内します。

NPO法人会員は3000円

エコボートも運航しています。こちらは桜の名所、目黒川をエレクトリックボートで遡ります。川面から見る桜もまた一興。また散った後も花びらが川面を覆い桃源郷かと思うばかりの絶景になります

エコボートは別途3000円 予約はこちらから http://enjoy-eco.or.jp/index.html


散歩について

品川は中世以前から港町、漁師町として江戸とは別に発展した街であり、江戸時代には宿場町としても栄えました。江戸とは違う独自の文化を持つ街でもあります。旧東海道は昔の面影を保ち、江戸時代の史跡、明治、大正からの風景、漁師町の名残である船溜まりや海岸線の跡、戦前の建物や老舗など時の流れを感じる時間旅行、タイムトリップを手軽に味わうことが出来るでしょう。横丁の路地に入れば下町のような風景があり、手押しポンプの井戸があったり、子供たちが戯れ懐かしいような温かい気分に浸ることが出来ます。街を歩けば通りすがりの年配の方が子供にお菓子をあげていたり心温まる風景がありました。そんな感じで私は品川が好きになってしまいました。皆さんを自信持って案内できる素敵な街ですね。時は春。春風駘蕩。春風を受けながら桜を愛でながらの散歩も気持ちが良いでしょうね。ぜひ品川においで下さい。お待ちしております

散歩コース

新馬場駅〜品川神社〜東海寺〜目黒川沿いの桜並木〜細川家墓域〜海徳寺〜荏原神社〜聖蹟公園(旧品川宿本陣)〜一心寺〜養願寺〜小泉長屋と井戸〜昔の海岸線〜法禅寺〜善福寺〜土蔵相模跡〜問答河岸跡〜ゴジラ上陸点〜品川浦舟だまり〜利田神社〜御殿山下砲台跡〜寄木神社〜東品川海上公園

午後コースはこの逆回り

午後コースの場合、16時終了なので時間が早いです。希望者が居れば東海寺大山墓地、清光院、八ツ山橋〜品川寺方面などを回っても良いですよ

昼食のお店 古典落語「居残り佐平次」にも出てきた老舗の鰻屋さん、荒井屋が廃業した後の、昭和レトロな銅版建築を使った建物の「居残り連」にてパスタランチ

期間中は全て「クバ」がガイドします。平日、休日ともに開催します

参加方法

ここに書き込むか

法人ホームページ参加フォームからお願いします

http://tokyosaihakken.sakura.ne.jp/Event_20110325_0410.html

コメント(28)

平日のほうが参加できそうなので友達と参加希望です
さきこさん

ありがとうございます〜。希望の日程を教えてくださいませ
木曜ですと3月31日、4月7日 金曜日ですと3月25日、4月1日、4月8日がありますのでお好きな日程でどうぞ
午前、午後コースともランチが付きます。

古典落語「居残り佐平次」にも出てくる老舗の鰻屋さん「荒井屋」が廃業した後の、レトロな銅版建築の建物を利用した「居残り連」さんで食事をすることが決定しています
スタート地点の新馬場駅です

京急線各駅停車しか止まりませんので御注意下さい。品川から二つ目です。都営線からの直通電車は品川で乗り換えです。

改札前で集合です。再発見で募集した参加者以外の方も合流します。阪急さんで申し込まれた方も参加します
午後コース 出発地点の東品川海上公園です

目黒川エコボートツアーはここから行われます。天王洲アイル駅から徒歩10分ぐらい。目黒川の河口と運河の風景を眺めることが出来ます。公園内は桜がたくさん植えられています
東品川海上公園の最寄駅天王洲アイル駅です。東京モノレールとりんかい線が使えます
 こんにちは!

 エコボート、まだ乗れていないので、9日午後コースでお願いいたします。
フィルマンさん

すみません9日はボートの設定がありません。土日はすでに満席で散歩のみになってしまいます。ボートに乗る場合は平日しか空きが無いようです
品川神社の鳥居は独特の彫刻が施されています。北の天王様とも呼ばれています
社伝によれば、後鳥羽天皇の文治3年(1185)に源頼朝が安房国州崎明神を勧請した。元応(1319)当国の守護二階堂出羽入道道蘊が、当社の神威を感じて本社を新たに造立した。応永年中(1394)当郷の住人鈴木正清入道幸純が当社を深く崇敬して、永享4年(1429)社殿の造営を行った。長禄年中(1457)太田道灌が江戸城に入り、文明10年(1478)6月に、自ら牛頭天王を勧請して神事を怠慢なくつづけた。後北条氏も崇敬し、数度にわたり修理を加えられた。天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜った。後に南貴船社(荏原神社)と朱印争いをおこし、2石5斗ずつに分けたのである。寛永14年(1637)に東海寺建立のとき、当社地の内南の方が御用地となり、代替地1813坪を門前地として賜った。其の時、東海寺の鬼門にあたる為、同寺鎮守となり、以来本社以下神主宅まで幕府によって修造され幕末に至った。現在元禄7年焼失の時、造営奉行戸田能登守忠直が、社伝等悉く造営した。社前に建てた制札が残されている。


品川神社にある東京都指定無形民俗文化財

品川神社太太神楽(だいだいかぐら):神事
品川神社にある品川区指定文化財

品川神社石造鳥居並水盤
品川神社石造灯籠
神輿1基
品川神社文書
品川神社富士塚
板垣退助墓
品川神社富士塚山開き行事
品川拍子(品川神社中心の地域)

品川富士

品川神社正面入り口の急な階段の左手の小山が富士塚で、品川富士とも呼ばれている。富士塚は富士山を信仰する富士講という団体の人々が、富士山を遥拝する場所として造った人造の山。品川神社富士塚は、明治2年(1869)に、北品川の丸嘉講(まるかこう)の約300人によって造られ、その後大正11年(1922)に、第一京浜国道の建設のため西に数十メートル移動して、現在の場所に再建されたものである。丸嘉講では現在も毎年7月1日に「山開き行事」をやっている。この日、丸嘉講の人々は塚のふもとの浅間神社に、行衣(ぎょうい)という白装束で集まり、富士塚に登山して遥拝を行う。標高12mの高台(芳葉岡)の東端にある。登山道は、石段の途中から始まる。合目石が立てられており、いつでも登ることが可能で頂上は非常に見晴らしが良い。東北の方向にはレインボーブリッジも見える。

4月5日 エコボートご予約の3名様から散歩のご予約頂きました。有難いことです
品川神社には明治の政治家で、土佐藩出身の自由民権運動を起こした板垣退助の墓があります。東海寺の塔頭、高源院に墓があったのですが、お寺が烏山に移転したのでお墓だけがここに残ったそうです。混迷する日本に、明治の政治家たちの熱い思いを馳せてみるのも良いでしょう
東海寺

三代将軍家光は、品川をよく訪れたと言われ、寛永15年に新寺造営を命じて沢庵禅師をここに迎え入れた。沢庵が住持となった東海寺は、 最盛期には17の塔頭を有し寺域が5万7千坪もあったという大寺院である。目黒川沿いに連なるそれらは、江戸の西側の防御ラインの要でも あった。明治の廃仏毀釈で、塔頭の多くが廃寺となり、現在の東海寺(北品川3-11-9)は、堀田正盛が創建した臨川院(玄性院)が 名跡を引き継いだものという。となりに続く鬱蒼とした墓地は、熊本藩細川家墓地で、廃寺となった妙解院の名残だそうです

真冬に撮った写真なので寒々しく写っていますが目黒川の桜並木。桜が咲けば美しい光景が広がります。

こんな時に思うのは日本人であって良かった。大地震の後だからこそ、今年は特にそう思えるかもしれません
東日本大震災が多大な災害を及ぼした中で、イベント催行は心苦しくもありますが、法人としましては皆さんが不安を取り除き、未来に希望を持って手と手を携えて、前向きに生活してゆけるように下から支えてゆくことを使命として活動をしてゆきます。泰然自若と、平素の行動を取り戻すことこそ復興への手助けになると考えていますので、皆がなるべく平常心を取り戻す一助としてイベントはどんな状況になろうとも行っていこうと思っています。賛否両論あると思いますが御理解下さいませ。宜しくお願い致します

イベント催行時に停電や、被曝、災害にあう危険性など心配されるかもしれません。事前に危険がわかれば中止いたしますし、催行途中で状況が変化した場合は、途中で予定を変更を致します。情報収集を怠らずに判断をしていきます
熊本藩主細川家墓所

目黒川沿いの一角に忽然と大名墓地があり、民家の敷地の中を通っていかないと中に入れません。

ここは熊本藩主細川家の墓地で、東海寺の塔頭の一つ、熊本藩四代藩主光尚が創建した妙解院があった場所で、細川家の江戸における菩提寺でした。明治4年に廃寺になり、現在は細川家の所有。6、7、8,、11,12,13,14代の7人の藩主の墓がある。その他に細川一族、支藩の熊本新田藩の9人の藩主の墓もあり、明治末に他の墓地から改葬された子女の墓もある。貴重な大名墓地の形式を今に伝えております
細川家墓所内部の様子

細川家は室町幕府足利将軍家の一門で、将軍を補佐する管領を務めた名門です。戦国の世を生き残り江戸時代は熊本藩54万石として幕末まで続きました。第79代首相の細川護熙さんは、この細川家の末裔です
海徳寺

戦国時代の大永2年(1522)に、この地に住んでいた鳥海和泉守(とりうみいずみのかみ)という人物が、京都から松陽院日増上人を迎えて自宅を寺としたことに始まるといわれる。現在の本堂は、江戸時代の中期、寛延4年(1751)に完成したもので、区内でも屈指の古い建物である。和泉守の子孫は名主利田吉左衛門であると云う。。江戸時代には品川宿にあって庶民の寺として隆盛を誇ったといわれる。  寺には旧品川宿に住む檀徒に配布した護符を刷るために使った版木が20数枚残されており、当時の民間信仰の様相を伝える貴重な資料として品川区の有形民俗文化財に指定されている。本堂の正面の軒には、ひそかに力士像がある。春の境内は「花の寺」といわれるとおり、桜、山吹、藤、カイドウ、キョウチクトウなどが咲ききそう。  また、境内には軍艦千歳殉難者之碑がある。これは、明治39年(1906年)渡英のため品川湾に碇泊していた軍艦千歳へ渡る通船が突風により転覆して死亡した千歳の乗組員など83人を供養するため。遭難者の救助は品川町をあげて行われ、遺体は海徳寺に安置、供養された。 この碑は、大正8年(1919)の13回忌に際して建てられたもの。碑の傍らには、大砲も置かれている。後の千歳艦長である海軍大将山屋他人揮毫で建立されたもの。ここにはホームラン地蔵があり元巨人軍の王貞治選手が新人のころ、心臓病の少年にホームラン王になることを誓った。少年は残念ながら14歳で亡くなったが、王氏は度々少年の墓を参ったり、ホームラン世界記録を樹立した時にも報告に訪れた。バットを抱き、ボールを持った地蔵像が少年の墓である。
荏原神社


創立は和銅2年(709)。本殿は1844年/江戸時代後期の建築。社殿に掲げる「荏原神社」の扁額は三条実美公の筆。平安時代の康平5年(1062)に、源頼義、義家父子が奥州の安倍氏を討とうとした際、府中の大国魂神社と荏原神社に参詣して、品川の海岸で身を清めた逸話が残る。このため大国魂神社でほ、5月の祭りの前に、品川沖の海上に出て潮を汲んで持ち帰り、その水で清めるという慣習がある。
6月初旬の荏原神社例大祭「南の天王祭」通称かっぱ祭りと呼ばれる。神輿の海中渡御、俗称かっぱ祭りは、江戸の奇祭のひとつとして有名。現在は神社前の目黒川から船でお台場海浜公園へ神輿を運び、海中を渡御して伸面を海に帰す。神輿には、牛頭天王(素盞鳴神)の黒い面がつく。南品川宿の鎖守で南の天王様と呼ばれる。昭和3年(1928)の目黒川の改修工事で川筋が変わり、住所は、北品川となっている。東海七福神のうち、恵比須神が祀られている。神社境内の寒緋桜は品川区で一番早く春の訪れを告げる。「鎮守橋から新緑の荏原神社を望む」、「荏原神社のかっぱ祭り」がしながわ百景に選ばれています
聖蹟公園 (旧本陣)


宿場の重要な任務に旅行者の休息や宿泊するところを設けることがあり、宿泊する旅館を旅籠屋・木賃宿などという。旅宿のうち大名や勅使などが休息・宿泊するところを本陣といった。本陣はもとは武将が戦陣にいるときの本拠のことであるが、武士は常に戦地にいる心構えから、武家の主人が休息または宿泊するところを本陣といったのである。 品川宿では、はじめ南・北両宿に本陣があったが、南品川宿の本陣は早くなくなり、江戸中期以降は北品川宿に1軒だけとなった。また本陣がふさがっているときに用いられる脇本陣は三宿のいずれかに2軒あった。 明治5年(1872)宿駅制度の廃止後は明治19年(1886)警視庁品川病院が建てられたが、明治天皇行幸の際の行在所だったことから、昭和11年(1936)に東品川1丁目1番に移転し、昭和13年(1938)聖蹟公園として開園した。
報告が遅れました。

今回の震災によってマリーナや桟橋が被害を受けました。その影響で「あそんで学ぶ環境と科学倶楽部」の「桜クルーズ」は中止になりました。

東京を再発見する会では予約のあった方の散歩は催行させて頂きます。また、これからの予約も可能です

日に日に桜の花が見頃を迎えてゆくと思いますので、ぜひご参加お待ちしております

「あそんで学ぶ環境と科学倶楽部」におきましては理事長の中林さんが現地で支援活動を行い、現在も義援金などの活動をされています。ご協力できる方は「あそんで学ぶ環境と科学倶楽部」ホームページをご覧になって下さいませ
こちらの事業も本日までとなっております。

午後にガイドを行いまして終了。後程報告をさせて頂きます
本日で品川ガイド事業は終了いたしました。あれこれ紆余曲折ありましたが約1週間やってまいりました

このお話は「あそんで学ぶ環境と科学倶楽部」の理事長中林さんから、目黒川の桜クルーズの参加者の方々が、せっかく品川宿という名所があるのに、ボートに乗った後にあまり観光もせずに帰ってしまうのはもったいないのではないかということで、阪急交通社の散歩ツアー「時遊人」の担当者の方を交えて企画したものでした

私自身も品川を下見した時に、入り組んだ昔ながらの路地に残る井戸、そこで遊ぶ子供たち、子供たちに御菓子を与える通りすがりのご年配の方。温かい街の雰囲気が好きになり思い入れも込めて企画をさせて頂きました

3〜4月は仕事も暇になるのでちょうどいいかなと思っていたのですが、予想外の仕事が入って2月後半から忙しくなって、品川ガイド事業のことに手を付けられない日々が続いてしまいました。そして震災です。震災によって仕事に遅れが生じたために、職場はピリピリ。思うように進まない仕事に怒号が飛んだり、とても良い雰囲気とは言えずに、私も疲れ果ててしまいました。品川ガイド事業の準備も遅れに遅れていきました

さらに震災の影響で、あそんで学ぶ環境と科学倶楽部のエコボートがマリーナの被災により使用できなくなり、「目黒川桜クルーズ」や、それに伴う阪急の時遊人のツアーも中止、品川区のしながわ運河祭も中止となってしまいました。

当法人の方でも知人関係の予約が幾つか入っていたもののそれらもキャンセル。開催を中止しようかと思ったのですが、何組かのお客様が予約通り来られるというので、期間を縮小して4月1日〜4月8日の間で品川宿散歩ツアーを催行させて頂きました

アクシデントが重なりまくってどうなることかと思ったのですが、何とか無事に期間を終了することが出来ました。ここで学んだことを今後の活動に生かしていければ良いかなと考えています。

関係各位の皆様ありがとうございました

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